大野智のアイドルらしからぬオシャレ感覚について、こんな一節が。
《「嵐になってからも、お母さんが地元のイトーヨーカドーで買ってきた服を着ていた」なんて本人もギャグにしているけど、事実に近かったりする。いかにもスーパーで売られていそうな変なガラのGパンと、Tシャツとジャンパー、というのが普段のコーデ。下着もお母さん調達のパンツを愛用していた》(『嵐、ブレイク前夜』より。以下《》内は同書引用)
この時期の大野はまだ“釣り”にも目覚めていなくて、オフの過ごし方はもっぱら家で絵を描くこと。しかも、その作品を周囲に披露することに積極的ではなかった。
しかし、’04 年に嵐が初めて『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)のメインパーソナリティーに起用されたとき、転機が訪れる。
「日テレサイドから“メンバーの中で絵が描ける方はいますか?”という依頼が来て、大ちゃんがバーベルを持ち上げている小さい子どもの絵を描いてきたんです。そしたら“うまいじゃん”ということで、番組のTシャツをデザインすることに。当時としてはけっこう売れたんですよ。そこから彼の画才が世にフィーチャーされ、“アート系ジャニーズ”の先駆者となりました」(元側近スタッフ)
ほかのメンバーとの付き合い方も、なんとなく控えめ。初主演となった’02 年の舞台『青木さん家の奥さん』でのことだ。
舞台を見に来た二宮和也が本番終了後に楽屋を訪れ、「大野クン、元気?」と、ねぎらいの言葉をかけると、大ハシャギするかと思いきや、意外な反応が。
「見に来てくれてありがとね。もう帰るの? 気をつけて帰ってね」
実に“ほっこり”とした対応。ただ、二宮自身、前に出るタイプではなく、目立ちたがりも苦手だったりする。だからなのか、大野とは気が合うようだ。
「その後のコンサートでは、ふたりで『大宮SK』というユニットを組んだりしていました。大野の“大”と二宮の“宮”、智のSと和也のKを組み合わせたネーミングです」(別の元側近スタッフ)