現在の『ヒト胚および卵子の凍結保存と移植に関する見解』には、施術実施ごとに夫婦の同意が必要だとされている。
日産婦の元理事長の吉村泰典慶應大名誉教授は、
「胚移植に関しては、'88年に日産婦が示した見解で、すでに今回のような問題が起こることが予見されていました」
と指摘しクリニック側の対応を次のように批判した。
「生まれてくる子どものことを考えると、クリニックが同意を取る、確認するということは、医療者として最低限やるべき義務なんです。
生殖医療というのは、子どもを産むための技術であるが、最も大切な子どもの同意を得ることはできないんです。だからこそ、子どもの不利益にならないようにしなければいけない」
別居中の夫婦は、お互いの同意のうえに大切な命を産む選択を怠った。その行き違いを、前出・元夫の弁護士は、
「女性側は、年齢を考えるともう1人子どもが欲しかった、と話しています。男性は、離婚をするのに子どもをつくる必要はない、と答えていたようです」
と説明する。
夫に相談すれば当然、反対されることがわかっていた妻は、年齢という出産リミットを横目に、自らの歯止めを見失ってしまったのか。
医療現場からは、次のような声も聞かれた。
生殖補助医療を専門とする順天堂大学医学部附属浦安病院の菊地盤先任准教授は、
「私たちは、女性からの情報を信じて治療を行っていることがほとんどです。女性側に悪意があれば、いくらでも起こることで、明日はわが身なんです」
と、確認の難しさを訴える。同意書の筆跡が夫のものであるかどうか、病院に一緒に来た“夫”が本当の夫かどうか、「究極をいえば、奥さんが持ち込んだ精液が旦那さんのものかどうかなんて、私たちには確認のしようがないんです。卵子は私たちが採取しますから問題はありませんが」(前出・菊地先任准教授)
前出・吉村名誉教授も、
「私たちは夫婦だと話す患者に、“本当にそうですか?”と問うのは越権行為ですし、人間の関係性なんて私たちにはわからない。やはり医療は性善説にのっとり行われるべきものだと私は考えます」
過去、生殖補助医療をめぐり裁判に発展した事例がある。
不妊治療を行ったが、なかなか妊娠に至らない高齢夫婦の場合。ある日、妻が夫に内緒で他人の精液を使用し、人工授精を行ったところ妊娠に成功し出産した。当初は喜んだ夫だったが、その後、子どもとの血縁関係に疑問を抱き提訴に踏み切ったという。夫の主張は認められた。
一方で白血病の夫の凍結保存された精子を使用し、夫の死後、遺言に従い妊娠出産した妻の場合。最高裁は民法に想定されていないと、父子関係を認めない判断を示した。