りえにとっては、34歳年上の長友さんが頼もしい存在だったのだろう。
「長友さんには子どもがいなかったので、りえさんを本当の娘のように可愛がっていたそうです。りえママとも仲がよく、頻繁に3人で食事をしていました。りえママが亡くなってからは、実の父娘のような関係になったといいます」(前出・スポーツ紙記者)
りえの人生に影響与えた長友さんの存在
逆境に立たされたりえを支えたのも、長友さんだった。
「'96年に渡米してロサンゼルスに住んでいたことがあります。母親との確執が伝えられ、“激ヤセ”が取りざたされたころですね。
彼女はもう日本には戻りたくないと考え始めていました。このとき長友さんは周りの出来事や天気などを書いて、毎日FAXを送ったんです。
そうやって彼女を励まし、日本の様子を忘れないようにしてほしいという願いだったんでしょう。結果的に彼女はアメリカ永住を思いとどまり、帰国してからは映画やドラマで精力的に活動するようになりました」(テレビ局関係者)
'03年に『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど、役者としての才能を開花させる。
「私生活も明るくなりましたね。親しい友人たちと月1で食事をする“珍獣会”を始めました。スタイリストのえなみ眞理子さん、薬膳料理家の吉野ゆかりさん、ファッションクリエイターの伊藤佐智子さんなど、華やかな顔ぶれです。もちろん美食家で知られる長友さんもメンバーでした」(前出・テレビ局関係者)
'13年の4月7日には、東京・麻布でりえの40歳を祝う誕生日会を開いている。長友さんは、この日のブログでりえとの長い親交についてこう記していた。
《“ちゃんづけ”で呼んでいたあのお転婆さんがいつの間にやら40歳とのことだ。こちとらも歳とる訳だ》
4日後にはりえの娘の入園式があり、体調を崩していた彼女の母・光子さんに代わって出席していた。
「前の年にりえさんが夫と別居し、シングルマザーとして娘を育てる覚悟を決めていたときですね。それでもほかの園児たちは両親や親戚がついてきているので、母娘だけで入園式に出席するのは避けたかったのかも。
長友さんは彼女の娘の4歳の誕生日にも、5歳の誕生日にも一緒にお祝いをしています。娘さんにとっても、父親のような存在だったのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)