《来年の3月をもって芸能界から次の場所へ向かいたい》

 7月22日の夜、ファンクラブサイトで来年3月を持ってジャニーズ事務所を退社することを発表したTOKIOの長瀬智也。これに対し、

長瀬智也の選んだ、新たな道に進む決断を尊重し、他のメンバー3人は彼の生き方、考え方を納得した上で、気持ちよく、彼を次の道に送り出す方向で話がまとまりました》

 リーダーの城島茂、国分太一、松岡昌宏は盟友を送り出すべくコメントを発表。気になる今後だが、3人は「先代の社長から頂いた、この『TOKIO』というグループ名を閉ざすことなく」と、ジャニーズ内で新会社を設立するという異例の“社内独立”をすることに。これからもTOKIOであり続けるのだろう。

 突然、降って湧いたような長瀬の退社だが、以前より、まことしやかにささやかれてはいた。

「彼の中でのTOKIOは、山口達也さんの脱退ですでに終わっていたのでしょう。音楽に人一倍打ち込んでいた彼は、プライベートでもバンドを組んでいたほどで、歌手活動ができないのならばグループにいても仕方がないと判断したのでしょう。退社後は、テレビなどの表舞台からは退き、独自のライブ、クリエイティブ活動を展開していくものと思われます」(スポーツ紙記者)

 それにしても、なぜ、このタイミングでの発表になったのか、だ。長瀬の退所も含めてまだ8か月以上ある。

ジャニー喜多川さんの特別な日

 来たる2021年7月23日、日本は歴史的な1日を迎える。そう、東京五輪の開幕日だ。

「2016年に五輪・パラリンピックの機運を高めるフラッグツアーアンバサダーに就任したTOKIOは、各関連イベントに参加しては現場を盛り上げてきました。もちろん、当時は山口元メンバーも一緒で“今からとてもワクワクしています”と、明るい未来を見据えたコメントをしていたものです」(ワイドショースタッフ)

 ところが、2018年5月、彼は女子高生に対する強制わいせつという容疑で書類送検されてしまう。未来に道を示す役割を担っていたはずのTOKIOを窮地に陥れたのだった。

「このときアンバサダー“職”こそ続投が決まったものの、世間から4人に向けられたのは、同情と哀れみでした。そして昨年の3月にフラッグツアーイベントは全て終了を迎えたのですが、終始浮かない表情をしていた長瀬さんが気がかりではありました」(テレビ局報道ディレクター)

 そして今年3月、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、東京五輪・パラリンピックの延期が正式に決定し、開会式の日程もまた来年の7月23日に変更されたのだ。

「予定通りに開催されていれば、4人も何らかの役割を果たすことになっていたと言います。しかし、このコロナ禍を見れば、2021年の開催もどうなることやら。

 少なくとも2020年の五輪“未開催”は、長瀬がTOKIOに、ひいてはジャニーズに残る最後の“枷(かせ)”を外したのかもしれません。

 TOKIOは“TOKYO”からつけられたグループ。1964年の東京五輪に感銘を受け、2020年を夢見ていた名付けの親・ジャニー喜多川さんへのせめてもの報告として、この日を選んだのではないでしょうか」(前出・テレビ局報道ディレクター)

 手塩にかけた子どもたちが次々と去っていく現実を、ジャニーさんは天国からどんな思いで見ているのだろうか。