「歯磨きが大切なこと、甘いものが歯によくないことは誰もが知っていることですよね。知識はあっても、それを実行に移す時間的、経済的な余裕がないことが問題です」
そう話すのは、東北大学大学院歯学研究科の相田潤准教授。歯科公衆衛生学の専門家で、子どもの虫歯の有無に親の学歴が影響していることを明らかにした。
「健康格差」が乳幼児を容赦なく蝕んでいるという現実。大学院時代、虫歯の分布地図を作成した際に、地方部で多く、都市部では少ない虫歯率に、なぜ? という疑問が湧いたと相田准教授。
「小学校に健康診断に行くと、子どもの健診の結果を話す前から、学校の保健師が“あの子はひどかったでしょう?”と私に話すことがあるんです。しかもそれが当たっている。親御さんのしつけや家庭環境を見て判断しているようで、この経験から所得と口腔内の状態がリンクするのではないかと考えるようになりました」
厚生労働省が実施した「21世紀出生児縦断調査」から約3万5000人の子どもを対象に、2歳6か月から1年ごとに虫歯の治療を受けた割合を分析。
調査は、『両親とも教育歴が高い』『母親が高く、父親が低い』『母親が低く、父親が高い』『両親とも低い』の4グループに分けた。その結果、両親がともに大学等卒業以上の場合は、2歳6か月で5・6%、5歳6か月で31・5%。対して両親がともに高卒以下の場合は、2歳6か月で8・5%、5歳6か月では41・5%にはね上がり、“学歴格差”が明らかになった。
学歴が低い=所得が少ないという構図が成立すると、前出・相田准教授は推測し、
「収入が低いと、共働きであったり、時間的・経済的に生活に余裕がなくなるわけです。余裕があれば、歯のケアに手が回るし、余裕がなければ手が回らないということです」
と説明し、つけ加える。
「学歴や所得は、生活の余裕を示す指標になる。例えば、ひとり親世帯はかなりの割合で貧困家庭なのですが、仕事から帰ってきて子どもをお風呂に入れ食事を作り、とかなり忙しい。人によっては2つの仕事をかけ持ちしている親だっているわけです。すると歯の健康のケアまでどうしても手が回らない。忙しいためお菓子やインスタント食品を与えてしまうのです」
そんな負の循環があると説明する一方、データには表れない陰の部分もあると話す。
「母親の学歴が高いほど子どもの虫歯の発症率は低い。同種の調査結果は他からも出ています。発症率の高低が逆転している年齢層があるのは、子どもの虫歯に気づかないなど治療を受けさせていない家庭がカウントされないからと考えられます」
と相田准教授は指摘し、母親の影響力について説明する。
「学歴の高い母親の場合、虫歯の発症率が低いのはきちんとケアをしているから。母親の学歴が低い家庭では、子どもの虫歯をそれほど重要視していないと推測できます。病院に連れて行くのも母親が多いでしょうし、それだけ母親の影響というのは大きいということですね」
放置された虫歯は自然治癒せず悪化の一途。
“放置虫歯”対策で成果を出している自治体がある。
東京・足立区。23区中、虫歯のある子どもの割合が23位とワーストだった。
『同区衛生部こころとからだの健康づくり課』の馬場優子課長が話す。
「3歳児までは母子健康法に基づき歯の健診があります。小学校に入ると、学校保護安全法で健診が受けられる。ところが4歳から6歳児までは健診がないんです」
と法律から漏れているエアポケットを指摘。
「区の保育園や幼稚園などでは行っていたのですが、私立の幼稚園などでは行っていないところもありましたし、未通園の子はカバーできていませんでした」(馬場課長)
そこで同区は、こんな一手を打ち出した。
「子どもの虫歯を減らすために全員が無料で受けられる“あだちっ子歯科健診”を2014年度から開始しました」
結果は如実で、小学1年生の虫歯の子の割合が2年間で6%も減少。ただ未通園の子どもの受診率は著しく低く、
「保育園に通っていれば自動的に受診することになりますが、未通園の子の場合は、親御さんが歯医者さんに連れて行かなければならないのでハードルが高く、受診率が著しく低いんです。そこで健診の通知にアンケートを同封し、歯科医院に連れていけないと回答した方々に理由を聞いたところ時間がないという回答が圧倒的でした」(馬場課長)
相田准教授が指摘するように、時間的・経済的に生活に余裕がないことで子どもの健康に影響が出ている。
虫歯予防に取り組む足立区に、同区が推奨している、食事のひと口目に野菜を食べる“ベジ・ファースト”から思わぬ副産物も現れた。
「糖尿病対策として'13年9月から始めた取り組みです。昨年11月、『子どもの健康・生活実態調査』から、野菜から食べる子どもは、野菜以外を先に食べている子どもに比べ、虫歯の割合が減りました。しかし科学的な裏づけはまだできていない段階です」
と馬場課長。
「推測ですが、野菜の繊維が歯の汚れを落とし、酸を生みだす病原菌が減るのかもしれませんね」(前出・相田准教授)
足立区では野菜の摂取量の向上に取り組んでいる。
「保育園などで野菜の調理体験などを行っています。その成果か、保護者にアンケートをとったところ、85%の親御さんから子どもが食べられる野菜が増えたと回答がありました」(馬場課長)
野菜を食べ、栄養バランスを整える一方、歯の健康も改善できる。まさに一石二鳥だ。
虫歯はすぐに治療することが大事だが、予防することも重要と相田准教授は話す。
「学校などでは歯磨き指導や保護者への啓発。行政では乳幼児健診でのフッ素塗布、教育現場でのフッ素洗口の導入。家庭では歯磨きの徹底は当然で、何よりもしっかりとした生活習慣を身につけさせることが子どもの将来のためです」
虫歯予防でフッ素洗口に力を入れている新潟県や佐賀県は他の自治体より虫歯の罹患率が低いという。
前出・足立区の馬場課長は、地域全体での解決を掲げる。
「母親が歯を磨きなさいと言っても、“や〜だよ”と子どもは言う。それがサッカーや野球のコーチが“歯を食いしばってプレーするには歯を磨け。一流選手はみんな歯がきれいなんだ”と言うと、磨こうかなという気持ちになる」
地域全体が子育てしていくことが健康格差をなくす方策になるのかもしれない。