連日、満員御礼と大賑わいの大相撲名古屋場所も、残すところあと数日。『週刊女性』7月25日号で読者1000人のアンケートによる「好きな力士ランキング」を発表。今回は、そのトップ10入りした、10人の関取の素顔や豪快エピソードを徹底取材。
なかなか知ることができない、土俵外の力士たちの素顔。まずはめでたくランキング第1位に輝いた横綱・稀勢の里。
「シャイで、とても恥ずかしがり屋さんなので、インタビューがしづらい力士ですね。基本的に“うん、そうですね”しか言わない。でも取材以外の普段の姿は、明るくて面白い方です。高安関が大関になったときに時計をプレゼントするなど、後輩思いの横綱でもあります」
そう話すのは、21歳にして観戦歴は18年以上という相撲大好きタレントの山根千佳。
史上2番目の早さの18歳で幕内に昇進したが、初優勝は30歳。横綱までは苦労の連続だった。
相撲ライターの佐藤祥子氏は、当時の様子について、
「稀勢の里関の初優勝のときは、取材していた記者たちみんなが涙しましたね。優勝したときに、担当の記者が泣くなんてことはそうそうないことですよ」
ちなみにカラオケの十八番は、BEGINの『島人ぬ宝』。
続いては2位の横綱・千代の富士関。
「すごく怖かったですねぇ……。近寄りがたかったです。記者に対しても厳しい人で、“この記事を書いたのは誰だ?”なんて聞いてくることも。すごくお酒の強い人だったので、お酒の場で記者を酔わせて“ツブす”のが楽しそうでした。部屋を継承した九重親方(元・千代大海)も“1度も褒められたことがなかった”って言っていましたね」(佐藤氏)
3位は、今場所に通算最多勝のかかる横綱・白鵬。
「楽屋にあいさつに行くと、とてもフレンドリーで優しく接してくれます。カラオケでは、サビまでをお弟子さんが歌って、サビから自分が歌いだすとか……。いいところをすべて持っていってしまうおちゃめな一面も(笑)」(山根)
「サービス精神旺盛で社会貢献のための活動にも積極的。素顔はとても負けず嫌いな人ですね。酒の場で始まったちょっとしたゲームでも負けるのが大嫌い。絶対に自分が勝つまで続けるそう」(佐藤氏)
4位は、若貴ブームを起こし、現在は親方の貴乃花。
「“相撲道”をまっすぐに突き進んでいた人で、現役時代は周りの力士はみんな尊敬していましたよ。貴乃花部屋には現在、幕内には貴景勝関、幕下に貴源治、貴公俊という双子力士など後進が育ってきており、親方としても期待ですね」(佐藤氏)
貴乃花と並んだのは、同率4位の遠藤。
「イケメンということで取り上げられることが多いですが、本人としては騒がれるのがあまり好きでなく、すべての時間を相撲に捧げているようなストイックさがあります。お酒も付き合い程度しか飲まないそう」(佐藤氏)
「人気がありすぎて、ほかの力士とは違う場所から出入りしているようで、出待ちのレアキャラですね。遠藤関を見ることができたらラッキーです!」(山根)
ちなみにピンク好きで、時間いっぱいのときに顔などをぬぐうタオルや着物の色はピンク色。
6位は、平成生まれ最初の関取でもある新大関の高安。
「親思いで、とてもご両親と仲がいい。東京場所だと、いまでもご両親が車で送り迎えしていますよ」(山根)
「力士には珍しく有言実行の人。あまり“優勝します”など直接的なことを言わない力士が多いですが、高安関はメディアに対して、目標をはっきりと口にすることが多いですね」(佐藤氏)
漫画『ワンピース』が大好きで、部屋には全巻がそろえられているという。
7位にランクインしたのはアクロバティックな相撲で人気急上昇中の宇良。塩をまく量がとても少ないことが有名で、ネット上では“パスタをゆでるときに使う量より少ない”と評判(?)だ。
「本人が言っていましたが、指の第1関節くらいまでしか持っていないそうです」(山根)
リアル『くまのプーさん』のような可愛い顔も人気の要因のひとつだが、黄色好きではなく、遠藤と同じピンク好き。
「お母さんが好きな色らしく、ピンクのタオルやかばんなどを使っていますよ」(スポーツ紙記者)
ちなみに、中学時代の文化祭でバック転などアクロバティックな出し物をした際の“芸名”は、『スマイリー宇良』だった。
回転して相手力士を攪乱“くるくる舞の海”など、トリッキーな取組の多かった“技のデパート”こと舞の海は8位に。
「現役時代、朝帰りをくり返していたので、ついたあだ名が、本名からとった“夜明けの秀平”。でも、朝まで飲み歩いてばかりいたわけではなく、のちに結婚する奥さんの家によく泊まっていて、朝に帰ってくることが多かったことが由来です」(佐藤氏)
現在は、解説者として相撲に携わる舞の海。
「解説者になる前は、きちんとした言葉で相撲を伝えようと、話し方教室に通ったそうですよ」(佐藤氏)
9位は、現役力士有数のイケメンとして人気の勢。
「勢関といったら歌。何度も直接、歌声を聴いていますが相撲甚句などバツグンで、本人が“相撲をやっていなかったら、歌手になりたかった”と言うほど。イケメンな佇まいもカッコよく、江戸時代の侍みたいですよ」(佐藤氏)
「歌のなかでも特に演歌が大好き。実家が寿司店のため、小さなころから有線放送で流れてくる演歌を聴いて育った。先代師匠(元関脇・藤ノ川)から部屋に勧誘された際には、“大好きな山本譲二さんに会わせてあげる”と口説かれたそうです」(前出・スポーツ紙記者)
滑り込み10位は、昭和の名横綱で、引退後は相撲協会の理事長を務めた北の湖関。亡くなったのは、'15年11月20日だった。
「ファンに対しても、とても気さくで優しい方でした。亡くなった直後の'15年の冬のボーナスは、日本相撲協会の全力士、そして全職員が、前の年と比べて3割ほどアップしていたんですが、それは北の湖理事長の遺言があったから。“相撲人気も盛り上がってきたところだから、もし俺に何かあったら、(給料の底上げを)頼むぞ”と、関係者に伝えていたそうです」(佐藤氏)
顔だけ見れば仏頂面がよく似合う怖~い感じだけど、最期まで大相撲と、それに関わるすべての人を気にかけていた。身体以上に大きな心を持った横綱だった。