▲ '09年5月5日死亡 末広利明さん(79)=兵庫県神戸市の知人男性 強盗殺人未遂罪
▲ '12年3月9日死亡 本田正徳さん(71)=大阪府貝塚市の内縁の夫 殺人罪
▲ '13年9月20日死亡 日置稔さん(75)=兵庫県伊丹市の内縁の夫 殺人罪
▲ '13年12月28日死亡 筧勇夫さん(75)=京都府向日市の夫 殺人罪
遺産を狙って夫や交際相手の男性を殺したなどとして3件の殺人罪、1件の強盗殺人未遂罪=上記=で起訴された筧千佐子被告(70)の裁判員裁判が京都地裁(中川綾子裁判長)で始まった。逮捕前から“後妻業の女”と注目を集めていたこともあり、初公判の6月26日には傍聴希望者約600人が裁判所前に並んだ。
4事件は期間を区切って順々に審理される。
まずは2013年12月に京都府向日市の自宅で不審死を遂げた筧勇夫さん(当時75)の事件にかかる審理から。検察は、千佐子被告が自宅で青酸物を飲ませて死亡させたとしている。さらに死亡直後に業者に金庫を開けさせ、銀行預金を下ろそうとしたという。
勇夫さんの胃などからは青酸化合物が検出された。毒物の入手先など直接証拠は乏しい。つまり、疑惑の点を線で結ぶのは状況証拠と自白といえる。しかし、千佐子被告は認知症を患っている。
「取り調べに千佐子被告は事件への関与を認めていたが、起訴された後、無罪主張に転じた。当初、犯行を認めた理由について法廷でどう弁明するのか、認知症のレベルがどの程度なのか注目された」
と全国紙記者。
法廷の千佐子被告は、'14年11月の逮捕前、メディアの前で無実を訴えたおしゃれなころとは変わり、すっかり白髪頭だった。耳が遠くなったとしてヘッドホンまで装着した。Tシャツにひざ丈の半ズボンというラフなスタイル。足取りはしっかりしていた。
罪状認否で千佐子被告は「弁護士さんにお任せしています」と答えた。
余計なことをしゃべらせない法廷戦術だったのだろう。弁護側は被告が認知症であることを強調し、起訴内容を全面的に否認した。
被告人質問が7月10日から始まった。まず主任弁護人が「弁護人の質問にはどうされますか?」と聞いた。
千佐子被告は「お答えします」ときっぱり。
「あちらにいる検察官(検事)の質問には?」
「黙秘します」
「裁判官の質問には?」
「黙秘します」
ところが、いざ検事が「ご体調は?」と尋ねると、黙秘するはずの千佐子被告は「いい(好調)です」と返答し、「私が殺しました。毒を飲ませました」と一気に起訴事実を認めてしまった。
否認、黙秘作戦の弁護団はちゃぶ台をひっくり返されたかたちだ。
公判を担当したのは人のよさそうな若い男性検事だった。捜査を担当したのも同じ検事だった。捜査段階では1日7時間近く取り調べることもある。捜査と公判は別々の検事が担当することも多いが、よほど千佐子被告の信頼を得ているのだろう。
千佐子被告は男性検事を「先生」と呼び、
「そのことは先生に何べんも話してますやん」
などと親しげに繰り返した。
男性検事が「私を覚えている?」と尋ねたときは、「それ忘れたら違う病院に行かなあかん」と軽口を叩いた。
本来、検事は被告を追い込む立場にある。この事件を判例に照らすと死刑判決が出てもおかしくない。しかし、千佐子被告に緊張感はなかった。
殺害動機については、
「差別です。同和(部落差別問題)とかとは違いますよ」
と切り出し、
「勇夫さんは前の女性には何千万円も渡してたのに私には全然くれなかった。いい人だけど差別され憎くて殺した」
と話した。
毒物の入手方法は、「Tシャツにプリントする工場を経営していたころ、出入り業者が失敗した印刷を消すため持ってきた毒物を保管していた」と洗いざらい告白。
殺害方法については、「健康食品のカプセルに入れて飲ませた」と述べた。
殺害目的に金があったことも隠さなかった。
「誰かて夫が死んだら遺産は奥さんのものになると考えるでしょ。先生(男性検事)の奥さんもそう思てはります」
男性検事が勇夫さんに対する気持ちを尋ねると、
「申し訳ないが50パーセント」
と答えた。
もはや殺人事件の審理とは思えない。井戸端会議程度の雰囲気だ。傍聴していた勇夫さんの妹は、平然と凶行を語る被告を見て涙を流した。
ちゃぶ台返しについて後日、主任弁護人は「想定外ではない」と筆者に話したが、その表情は苦渋に満ちていた。
法廷での千佐子被告の証言は、あまりにも自分に不利なことをペラペラしゃべるだけで、話が噛み合わないようなことはなかった。弁護側の請求で京都地裁が昨年実施した精神鑑定では、刑事責任能力と訴訟能力ともに「問題ない」とする結果が出ている。
法廷では「軽度のアルツハイマー(認知症)」とされた精神鑑定の簡単な要約が示され、脳がやや萎縮したMRI画像が壁に映し出された。千佐子被告は弁護士の後ろで口元に手をやり、画像を黙って見つめていた。
弁護側は、認知症のため訴訟に耐えられないとして「公判停止」を要求。検察側と真っ向対立している。無罪論が通らず、認知症の影響も認められなければ死刑の公算も高い。入退廷時には丁寧に一礼し、冷静だった千佐子被告は被告人質問でやや興奮ぎみに「この場で死刑になってもいい」と語ることもあった。
プロ裁判官3人のうち裁判長と右陪席が女性。6人の裁判員で女性は5人。つまり9人中7人が女性のかたちで裁く。審理期間135日は裁判員裁判では過去2番目の長さだ。裁判員候補の多くが辞退する中、長期審理を受け入れた女性裁判員は素朴な質問を被告にぶつけた。
「いつごろから毒を飲ませようと思ったのですか」
「私の年ごろになると“いつごろ”と言われてもよく覚えていない」
と千佐子被告。
別の女性裁判員は、「当初から、お金目的で結婚したのですか」と聞いた。
千佐子被告は、
「そんなことで相手を選ばない。“お金あるか”なんて聞かない。でも、借金まみれとかなら雰囲気でわかります」
と、余計なひと言をつけ加えた。
18日で勇夫さん事件については事実上、結審した。31日からは'12年3月に大阪府泉佐野市の喫茶店で千佐子被告と別れた直後にバイクで事故死し、体内から青酸化合物が検出された本田正徳さん(当時71)の事件が審理される。求刑は4事件の審理が終わった後。判決は11月の予定。弁護団を困惑させる法廷全面自供によって“後妻業裁判”は早くも山場を迎えた。
(取材・文 ジャーナリスト・粟野仁雄)
粟野仁雄(あわの・まさお)◎1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部卒。元共同通信記者で社会問題を中心に月刊誌、週刊誌などに執筆。著書は『瓦礫の中の群像―阪神大震災』『「この人、痴漢!」と言われたら』など