今回紹介するのは、専業主婦の会田紗香(さやか/仮名・43歳)だ。彼女は、約半年前から、7歳年上の会社経営者の吉田健介(仮名・50歳)と不倫関係にある。
夫とのセックスが嫌で、頭の中で般若心経を唱える
紗香は、夫とセックスレスなわけではない。夫は、結婚して20年以上経った今も、紗香に月に1回ほどは、性欲をぶつけてくる。
しかし、夫とのセックスに嫌悪感しかない紗香は、セックスの最中、意識を完全に遮断するようにしているのだという。
「夫とのセックスは、とにかく嫌なんですよ。でも、かわいそうだから拒否はしていません。その代わりに、夫が夜、セックスを求めてきたら、私は頭の中で般若心経を唱え始めるんです。“観自在菩薩~”って(笑)。意識をどこか遠くに飛ばして、別世界にトリップするようにしています。あとは、わざとセックスの前にベロベロに酔っぱらって、セックスしたことすら忘れるようにしています」
しかしこのような状態に至ったのには、それなりの理由があった。
紗香は、3歳年下の夫と学生時代に結婚。できちゃった婚で、あれよあれよという間に息子が誕生。すると、徒歩で10分くらいのところに住む姑が、若くして結婚した息子を不安に思ったのか頻繁に訪ねてくるようになる。何かあったら、と夫が渡した合鍵を使って、勝手に部屋に入って来るようになり、週3日は夫婦の住むマンションに入り浸るようになった。
「どんな親も、結婚相手に自分の子供を取られたという妬みみたいなのはあると思うんですよ。でも、あの姑は意地悪すぎたと思いますね。ちゃんと、生活してるのか? と野菜とか持ってくるのを口実に、私たちの生活をのぞきに来るんです。私が夫にお弁当を作ってたら、それをじーっと見て、“野菜が足らんね”とか、“部屋、散らかってんねぇ”とか、とにかく来るたびに、1つずつマイナス点を言っていじめる。
洗濯物を畳んでいったり、一見親切そうですけど、下着とか姑に触られたくないじゃないですか。“悪いからいいです、変な下着もいっぱい入ってますから、触らないでください”と言ったら、“いいじゃないの、若い人なんだから”とやめないんですよ。“はあ?”って思いながらも、言い返せないのが悔しくて……」
しかし、決定的だったのは、昼間、夫とセックスしていたら、そこにガチャンと姑が入ってきたことがあってからだ。あの時から“精神のED(勃起不全)”になったと、紗香は夫とのセックスをそう表現した。
「真っ昼間、夫とセックスしている最中に、インターホンを押さずに姑が家に入ってきたんです。大慌てで下着をつけて、もう、あたふたするやら、気まずくて。そんなの予想してないじゃないですか。その時、本当に、情けないと思ったんです。本当に悔しかったです」
ただ、おろおろしているだけの旦那の姿にも失望した。
「旦那は、親にも誰にも強く言えない性格。旦那がまったく頼りにならなかったんです。決して、旦那が私を守ってくれなかったというわけじゃないんですけど、姑に抗議したりはまったくしてくれなかったですね」
そのうち紗香は、夫とのセックスの最中に、憎たらしい姑の顔がチラつくようになった。一生懸命、紗香の上で腰を振っている夫の顔を凝視すると、あの憎い姑にそっくりなのである。それからというもの、恐怖感にとらわれ、吐き気を覚えるようになっていったのだ。
「夫とセックスしてると、私の上に乗っているのが、まるで勝ち誇った姑のように気がしてくるんですよ。私の息子を貸してあげてるのよ! と上から言われているみたいで、気持ち悪くて仕方ないんです。親子だから当たり前なんだけど、夫の顔は姑にすごく似ている。それから、夫とのセックスが嫌で嫌でたまらなくなってしまったんです」
数十年ぶりのオーガズムで得たものは「静寂」
帝国ホテルでの情事から10日後、再び出張で東京にやってきた健介は、紗香にまた会おうと連絡してきた。健介が予約し待ち合わせの場所になったのは、東京都内のヒルトン系列のホテルであった。健介は紗香と会うなり、愛おしそうに抱きしめた。
「この前会った時は、ルームサービスで悪かったね。今日は、なんでも、食べたいものを言ってね。ホテルの鉄板焼きとか何でもいいよ」
しかし、前回の高価なホテルでの宿泊や、ルームサービスのもてなしに申し訳ないと思った紗香は、外で安い焼き肉を食べることを提案し、その後にホテルにチェックインした。
紗香は、ずっと気になっていたことをおもむろに健介に問いただした。自分がセフレのような扱いになるのは嫌だと感じていたからだ。
「“これから私と、付き合う気があるの? これからのこと、覚悟してる?”と聞いたら、“そうだね。ちゃんと覚悟はあるよ”と健介さんが言ったんです。あぁ、良かったと安堵しました。会ったらやっぱり、とても優しいんですよ」
健介との2回目のセックスで、何十年かぶりに紗香は、何度もオーガズムに達した。初回は、ガチガチに緊張していて、イクどころではなかったのだ。
健介とのセックスで感じたのは、ズバリ、一言で言うと、精神の安定――。
これまでの家庭生活のイライラがなくなり、水を打ったような静けさを取り戻すのを感じた。それは、風呂上がりにホッとするような感覚に近いという。不倫すると、精神が不安定になると思っていたが、むしろ真逆なのが、新鮮な感覚でもあった。
「彼とセックスして、家に帰ると、イライラ感が何十年ぶりになくなっていることに気づいたんです。不倫が倫理的にどうかは置いておいて、人間って精神と身体のバランスが大事なんだなと思いました。そこは嘘をつけないんだなと。
健介さんとセックスした後は、すごく気持ちが落ち着いた。姑や夫とのことで、常に耳元がザワザワしたり、気持ちがささくれ立っていたんです。でも、オーガズムを得た後は、一気にシーンと落ち着いた感じ。京都の苔寺に行ったような感覚になったのが、自分でも本当に意外でしたね」
この人と結婚していたら、夫とは違って、今もずっと愛のあるセックスをするような間柄だったはず――、紗香はそう確信した。夫婦でどのくらいの頻度でセックスする? 紗香はじゃれ合いながら、健介にカマをかけた。健介の返事は、「そんなに多くはないなぁ」。
この人、今も奥さんとセックスしてるんだ――。顔には出さなかったが、そう思うと無性に腹立たしくなった。
「奥さんと健介さんがヤッてるのを想像すると、すごく嫌でしたね。奥さんだから、仕方ないという気持ちもありますけど。だから不安になって、私って何? どういう存在? と問いただしたら、健介さんは、“支えになってくれる人”と答えてくれた」
奥さんとセックスして、ズルい――、そう一瞬思ったが、それは自分も同じだと気づいた紗香は、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「不倫で、誰も知らない関係だから燃えるという気持ちと、どこか心の奥底で、私たちが付き合ってることを誰かに認めてほしいという気持ちが同居しているんです。
ホテルに泊まったり、ごはんに行ったりすると、夫婦だと思われたりする。それは実はうれしいんです。奥さんは? とか、旦那様は? とか、店員に聞かれたりすると、その時、一瞬、沈黙が走って、健介さんの顔を見れないけど(笑)、ドキドキしてうれしいですね。不倫って、社会的に認められないからこそ刺激があるのに、矛盾したものを望むなんて、ちょっとおかしいですよね」
紗香は、そう言うと困ったような顔をして笑った。こそこそとホテルで会うだけじゃなく、いつか、普通の恋人同士のようなデートがしたい――。そんな「矛盾した」思いを募らせた紗香は、普通のデートを健介におねだりした。
「今度丸一日休んで、どこかに遠出するか」
「来世で結ばれるために指輪を買って」
家庭生活があり、おおっぴらにはデートできない二人。そのため、紗香と健介は、仕事の合間を縫って平日の昼間に高速で車を飛ばして、岐阜まで行くことにした。途中、道の駅でソフトクリームを食べて、駅前をまるで恋人同士のように腕を組んで歩く。それが、紗香にとっては無性にうれしかった。
普通のデートの後、シティーホテルに入ると、健介が後ろから抱き締めて、キスの雨を降らせた。さらに、そのままセックスにもつれ込むという、“オス”の一面ものぞかせた。無造作に左手の薬指を紗香に絡めて、羽交い締めにしてくる健介。しかし、そこには、いつも結婚指輪が光っているのを紗香は横目で見ていた。
「この指輪をつけながら、よく私のこと抱けるよなと思うこともあります。多分、彼は結婚指輪とか特に意識せずに、はめっぱなしだと思うんですけどね。だから、“私にも指輪を買って”って言ったんです。次に生まれ変わったら一緒になりたいから、その時のために、婚約指輪が欲しいって」
健介は少し沈黙した後に、「いいよ」とつぶやいた。そして、二人は何度も何度も身体を重ねた。
そんな甘い時間を過ごしても、家に帰ると、待っているのはいつもと何も変わらない夫との家庭生活だ。
夫が居間でテレビを見ている。その呑気な姿を見て、紗香はふと、夫がよく友人たちに豪語していた言葉を思い出した。
「女性の40代は一番盛ってるって言うけど、ウチは全然(性欲が)ないんだよね」
全然ってあなた、あたしのこと何も知らないくせに――。台所に立って、包丁で野菜を切りながら、心の中で夫にそう毒づく。紗香は、さらに健介との逢瀬を思い出し、たった一人だけの秘密にクスクスと笑いが止まらなかった。
「何かいいことあったのか」。夫が、機嫌がいい妻にまんざらでもなさそうに話しかけると、紗香は「昨日のテレビ番組」と言ってごまかした。
紗香の不倫関係のゴール、終着点とはいったいどこなのか。
「このまま、不倫関係が続いて、どこまで行くのか考えることもありますよ。でも、それを言ったら、健介さんの奥さんが先にころっと逝くかもしれないじゃないですか。奥さんがいなくなったら、健介さんは私を頼ってくれるんじゃないかと思ってるんです。がんとか、病気だってあるし、先のことは分からないですよね。だから、このままの関係を維持していけたらいいと考えています。
確実に言えるのは、彼とは、あまり近い関係を望んでいないということ。近すぎる夫との関係で失望したから、健介さんがいて当たり前の存在になるのが嫌なんです。夫とは一緒にいるけど、男女としては終わった。それを悔いてるんでしょうね」
結婚生活って、まるで写経みたい。延々と同じ文字を映す作業が、楽な人にはすごく楽だけど、辛い人にはめちゃくちゃ辛いから――、紗香はどこを見るともなく、最後にそうつぶやいた。それは言い得て妙だった。
姑が亀裂を入れた家庭という牢獄で、傷ついた紗香が踏み込んだ不倫の世界は、結婚生活で崩壊寸前だった自分を取り戻すための唯一の手段であった。そのぐらい、紗香は結婚生活というものに追い詰められていた。だからといって、今さら、その生活から逃れられるわけではない。
紗香は、あるカウンセラーから「精神が病んでしまうのを防ぐには、不倫を続ける以外に方法がないかもしれない」とまで言われたという。
取材を終え別れた後、人ごみの中に消えていく紗香の凛々(りり)しい後姿を見つめながら、その言葉には一面の真実があるような気がしてならなかった。
<著者プロフィール>
菅野久美子(かんの・くみこ)
1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。
最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の生々しい現場にスポットを当てた、『中年の孤独死が止まらない!』などの記事を『週刊SPA!』『週刊実話ザ・タブー』等、多数の媒体で執筆中。