日本に“帰化”という重い決断をしつつある第69代横綱・白鵬

「やっぱり、白鵬は強い」。7月23日に千秋楽を迎えた名古屋場所で、王者は底力を改めて見せつけた。千代の富士の通算1045勝、魁皇の1047勝という史上2位、1位記録を次々と抜き去り、自身の持つ最多優勝記録を更新する39回目の優勝を達成。

 通算勝ち星の記録も、1050勝にまで伸ばした。一時期の不調を脱し、再び、抜きんでた土俵の王者として君臨しようとしている。

 しかし、相撲ファンや関係者の間からは、その強さを称賛する一方で、相撲内容への不満も少なからず聞こえてくる。特によく指摘されるのが「荒々しさ」への批判だ。手のひらで相手の顔面を強烈に張る「張り手」や、ヒジのあたりを相手の顔面にぶつける「激しいカチ上げ」でひるませる。こうした取り口が、荒々しいと非難されているのだ。

 あらかじめ断っておくと、どちらの行為もルールに反したことではない。相撲では、「握りこぶしで殴る」「髪の毛を引っ張る」「両耳を同時に張る」「目やみぞおちを突く」「胸や腹を蹴る」「1指または2指を折り返す」などの行為は「禁じ手」とされ、反則負けの対象となる。

 しかし、白鵬の行為はそのどれにも違反していない。それでも非難の声が上がるのは、この荒々しい技が、相撲の本質的な魅力を損なうものだからだ。

いったい何が相撲の最大の魅力なのか

 相撲の魅力は語り尽くせないほどあるが、私は、最も大きいのは、格闘技の中で際立つ「ゲーム性の高さ」だと考える。「土俵の外に出るか、足の裏以外の部分が地面についたら負け」というルールは、実にシンプルでわかりやすい。柔道や剣道で「一本」を見分けるのは初心者には難しいが、相撲なら子どもでも勝負を判定できる。

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 そして、注目したいのが、このルールに「相手を痛めつける」要素がないことだ。

 ボクシングは、相手をノックアウトすることを目指すスポーツだ。柔道には関節技や締め技があり、相手が「参った」をすることで勝負が決まる。剣道で防具をつけるのは、そうしなければケガをしてしまうからだ。しかし、相撲のルールには、こうした相手を痛めつける要素がない。

 もちろん、相撲でケガをすることも、頭と頭で思い切りぶつかってクラクラすることもある。相手のヒジを外側から抱え込む「極(き)める」という技のように、結果として相手を痛めつけかねない技もある。

 しかし、その目的は痛めつけることでなく、相手の動きの自由を奪うことにある。保育園や幼稚園などで相撲大会が広く行われているのも、相手を痛めつけないルールがあるからだろう。これは、相撲が広く老若男女の心をとらえる大きな理由であり、相撲の本質的な魅力だと思う。

 白鵬の張り手や激しいカチ上げは、こうした相撲の本質的な魅力を損ないかねない。

白鵬の横綱土俵入りは不知火型

 張り手は、ルールに反してはいないが、相手を痛めつけ、ひるませる技。脳震盪を起こして土俵上で倒れてしまう力士も少なくない。過去何度も、「張り手は是か非か」は議論の対象となってきた。

 カチ上げについては、そもそも白鵬のカチ上げはカチ上げでないという見解がある。一般的なカチ上げは、ヒジを90度くらいに曲げ、ヒジから手首のあたりにかけての部分を相手の腹や胸のあたりにぶつけ、弾き上げるようにして、相手の上体を起こす技だ。これなら相手が感じる痛みはそれほど大きくない。最近では高安が得意技にし、大関昇進の大きな力となった。

 ところが白鵬のカチ上げは、ヒジを曲げた形は同じだが、ヒジのあたりの固い部分だけを、相手の顔面に激しくぶつける。目的は、相手の上体を起こすことではなく、張り手と同じように、相手を痛めつけ、ひるませることにある。

 事実、過去にはこの激しいカチ上げで脳震盪(のうしんとう)を起こして倒れた相手もいる。人気漫画家でエッセイストの能町みね子さんは、この技をカチ上げではなく「パワーエルボー」と表現しているが、まさしくぴったりだ。

 そして、白鵬が横綱であること、しかも史上まれにみる大横綱であることが、荒々しさへの非難をさらに手厳しいものにする。

 横綱は、他の力士よりも抜きんでて強いことが求められる。それも、ただ勝てばいいというわけではない。自分から攻め込んで相手を圧倒するのではなく、まずは相手の相撲を受け、存分に力を出させてから、おもむろに力を出して勝つ。そんな取り口が理想の「横綱相撲」とされる。

 実際にはそんな相撲を取れる横綱は少ないが、白鵬は史上最多の39回の優勝を誇り、通算勝ち星の最多記録までも更新した大横綱だ。理想の相撲を取れるはずだと期待する声は大きい。張り手や激しいカチ上げは、そんな望みとは対極に位置する技だ。

なぜ、白鵬の相撲は「荒々しく」なったのか

 しかも、最近の白鵬は、立ち合いに変化して相手をかわすことも多い。名古屋場所では、注目の宇良の横綱初挑戦となった8日目にも変化した。こうした姿勢が、荒々しさとともに「勝てば何でもいいのか」という批判につながっている。

 では、なぜ白鵬は荒々しい相撲を取るようになったのか。

 よく聞かれるのが、白鵬に意見をする人がいなくなったという見方だ。白鵬はかつて、大鵬を師と仰ぎ、その話に熱心に耳を傾けていた。大鵬は優勝32回を誇る昭和の大横綱だ。

 白鵬は、横綱昇進後、その重さに悩んでいたときに大鵬の下を訪れ、話を聞き、時には厳しい叱咤を受けながら、多くのことを学んだという。ところが、その大鵬も天に召された。一方で、白鵬は優勝回数でその大鵬を抜き、孤高の高みを歩み続けている。

 そんな中、白鵬に意見をする人がいなくなった。それが、白鵬の現在の荒々しさを生んでいるというのだ。確かに、そうした要因もあるのかもしれない。

 しかし、私はそうとばかりは言い切れないと思う。なぜなら、白鵬はこれまで、過去の横綱の姿を手本とし、真摯に学んできたからだ。

近年の相撲ブームで、連日、満員御礼の大相撲

 2年前、戦後の大相撲を振り返る『大相撲「戦後70年史」』(ベースボール・マガジン社)の企画で、白鵬にインタビューをしたことがある。そこで白鵬は、歴代の横綱とのかかわりを熱く語ってくれた。

 少年時代、モンゴルで出会った「土俵の鬼」初代若乃花の思い出。大関、横綱へと駆け上がる頃、千代の富士の左前廻しを素早く取る相撲に憧れ、何度も映像を見て自分のものにしようとしたこと。

 横綱の重みに苦しんでいたとき、大鵬に教えを乞い、「横綱は強い者がなるのでない。横綱という宿命にある者がその地位につくんだ」との言葉が支えになったことなど。白鵬が横綱の重みを真正面から受け止め、真摯に学んできたことが、ひしひしと伝わってきた。

 なかでも印象に残ったのが、双葉山のことだ。双葉山は、多くの人が力士の理想として称賛する大横綱だ。その強さは比類なく、69連勝は、白鵬が今も破れない不滅の大記録として語り継がれている。さらに、強さ以上に評価されているのが、相撲内容や土俵態度だ。

 白鵬自身の言葉が、その魅力を雄弁に物語る。「花道から入ってくる姿も、土俵下で控えている姿も、仕切っている姿も、すべて美しい。『勝ちたい』という気持ちがまったく感じられず、ゆったりした姿のまま立ち合い、勝ってしまう。どうすればそんな相撲が取れるのだろうと、繰り返し映像を見ました」。

 なかでも白鵬の心をとらえたのが「後の先」と呼ばれる立ち合いだった。「自分から勝ちにいくのではなく、相手の攻めを受け止め、自分の相撲に持ち込む。私も、そんな相撲を理想とし、少しでも近づきたいと思い続けてきました」。実際に、白鵬の相撲からそんな姿勢を感じた時期もあった。相手によって違っていた立ち合いの足の踏み込み方を一つに定めたり、張り手を封印したりもした。

 ところが、現在の白鵬の荒々しい相撲は、双葉山からはまったく遠いところに行ってしまったように見える。大鵬が亡くなり、意見をする人がいなくなったからというのも、一つの見解だろう。しかし、これほど真摯に過去の横綱から学び続けてきた白鵬が、それを簡単に捨ててしまうものだろうか。私には別の理由があるように思える。

横綱という地位の「特権」と「残酷さ」

 双葉山を目指していた頃の白鵬は、勝ち負けよりも「理想の相撲」を追い求めていた。それに対して現在の白鵬は、「勝つ」ことを何よりも重視し、そのためにあらゆる知恵と技と力を振り絞っているように見える。荒々しさもそこから生まれたものだ。白鵬がそんな道を選んだのは、そうせざるをえない状況にあったからではないだろうか。

 横綱は、いくら負けても地位が下がることはない。それは横綱の特権であると同時に、残酷な定めでもある。ケガや病気になったとき、休んでじっくりと回復する時間が与えられる反面、もしも優勝を争う力がなくなったら、たとえ若くても引退を迫られる。それは、白鵬のような大横綱でも同じだ。むしろ大横綱であるからこそ、力が落ちても現役を続けることはなおさら許されない。

 そして、白鵬にとって引退とは、相撲協会との縁を切ることを意味する。普通の横綱なら、引退すれば親方として相撲界に残り、指導者となれる。しかし、親方になれるのは日本国籍を持つものだけだ。モンゴル出身の白鵬も、日本に帰化すれば道は開ける。実際に、同じモンゴル出身の旭天鵬や朝赤龍も、帰化して相撲協会に残った。白鵬も帰化すればいいのだが、それは簡単なことではない。

 白鵬の父はモンゴル相撲の大横綱であり、オリンピックのレスリングでモンゴルに初のメダルをもたらした国民的英雄だ。その息子である白鵬が日本に帰化するのが難しいことは容易に想像できる。帰化せずに特例として相撲協会に残れる道はないかと模索したと聞くが、それもかないそうにない。

 いくら白鵬でも、いつかは力が衰えるときがくる。その兆しが初めて現れたのは、2012年のことだ。2010年から2011年にかけて7連覇を達成するなど、白鵬は直前まで無敵を誇っていた。双葉山の名前を盛んに口にしていたのもその頃だ。しかし、この年の白鵬は年6場所中2場所しか優勝できなかった。それだけ優勝できれば、横綱としては十分に責任を果たしたといえる。

白鵬が向き合っているであろう「理想と現実」

 しかし、白鵬ほどの大横綱となれば、その程度の成績で満足するわけにはいかない。理想の相撲を追求したとしても、結果が伴わず、優勝から遠ざかれば、引退を余儀なくされる。そんな状況で、白鵬は悩んだ末に、理想の相撲を目指すことを捨て、やむをえず、「勝つ」ことにこだわった相撲へと転換したのではないだろうか。

国技館前に並ぶ、色とりどりののぼり

 前述のインタビューの際、白鵬はちょっと寂しそうにこう語っていた。「昭和の横綱双葉山が『後の先』を極め、平成の横綱白鵬がちょっとかじった――そんなふうに言っていただければ十分です」。

 名古屋場所の白鵬は、これまでにも増して荒々しく、勝ちにこだわっているように見えた。それは、さらに力の衰えを感じたからにほかならないだろう。

 昨年名古屋場所から今年春場所まで、5場所も優勝から遠ざかった。横綱昇進後初めてのことだ。それまで圧倒的な強さを誇っていた初顔合わせの力士に続けて負けるという、信じられないこともあった。

 足指のケガの影響も大きかったろうが、言い訳にはならない。そんな状況で、さらに勝ちへのこだわりを深め、覚悟を決めた。だから、初顔の宇良相手にも、なりふりかまわず変化して勝ちにいった。そうした姿勢が、さらなる荒々しさとして現れ、結果として連覇にもつながったのではないだろうか。

 見方を変えれば、勝ちにこだわる白鵬の取り口は、理想の相撲ではなくても、「究極の相撲」だといえる。あらゆる手を使って勝とうと思ったところで、それを実現できる力士などめったにいない。

 無数の引き出しを持つ白鵬だからこそ実現できるのだ。白鵬ほどの力士が、知恵と技と力を振り絞り、すべての引き出しを駆使して見せている現在の取り口は、空前絶後の究極の相撲なのではないだろうか。それを堪能するのも一つの見方だと思う。

 とはいえ、私自身、正直に言えば、勝ちにこだわる現在の白鵬の相撲を見て、寂しく思う。双葉山のように理想の相撲を目指してほしい。しかし、もしもここまで述べてきたような事情から、白鵬が仕方なく現在の道を選んだのだとしたら、それを責めることなど到底できない。

 白鵬は、今、帰化という重い決断をしつつあるという。もしもそれが実現して、いつ引退しても相撲界に残れる道ができたなら、もう一度、理想の相撲を目指してはくれないだろうか。それが、一相撲ファンとしての私の勝手な願いなのだ。


十枝 慶二(とえだ けいじ)◎相撲ライター・編集者 1966年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学時代は相撲部に所属。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。