「いずれはどこかが(取材に)来るとは思っていましたが、まさかフィリピンにまで来るとは思っていませんでした。お話しできるようなことはあまりないのですが……」
細身で浅黒い肌にはっきりとした目鼻立ち、眼鏡の奥からこちらをしっかり見据えた目には、どこか信念のようなものを感じさせた。
男性の名前は冨重代機氏。日本では映画やPVの製作、写真撮影などを手がけてきた40代の映像ディレクターだ。現在はフィリピンの首都マニラからほど近いマカティで、主に日本のテレビ局向けの現地コーディネート、ロケーション業を営んでいる。
この冨重氏、7月末に『週刊新潮』で神戸市議会の橋本健議員との略奪不倫疑惑を報じられた、今井絵理子参議院議員とは切っても切れない関係にあった。
「かつて彼女のソロプロジェクトに携わり、'08年の日本テレビ系『24時間テレビ』に長男のRくんが出演した際にも出展映像を制作しました。そして'09年に今井さんが出版した、長男との4年間を綴ったエッセイ『ココロノウタ』の写真を撮ったのも冨重さんです」(芸能プロ関係者)
2人の関係は、プライベートでも深くつながっており、聴覚障害のある長男の人生にも多大な影響を与えたのだった。
離婚直前も略奪愛だった
今井議員が『175R』のSHOGOとの離婚を発表したのが'07年9月。このときすでに彼女のそばにいたのが冨重氏だったという。
「今井が24歳のころでした。当時、冨重さんには半同棲生活を送っていた彼女がいたのですが、そのマンションまで押しかけたんですよ。
つまりは略奪愛ですね。2人は間もなくRくんと3人での同棲生活をスタートさせたのです」(芸能プロマネージャー)
前出の『24時間テレビ』や『ココロノウタ』で、屈託のない笑顔を見せていた母子。それもそのはず、ファインダーをのぞいていたのが誰でもない、心許せる“父親”だったからだ。
「彼はまさにRくんの“パパ”でした。聾学校幼稚園では熱心に話を聞き、運動会などの学校行事にも参加しました。
Rくんが手話で“パパ、パパ”と呼ぶようになると、本当にうれしそうで目に入れても痛くないという感じで」(同・芸能プロマネージャー)
同氏はかつて、長男が通う聾学校の卒業生で登山家として世界の頂を踏んでいる男性に、ホームページを通じてこんなメッセージも送っていた。
《現在、3歳の息子が〇〇聾学校の幼稚部に通っております。〇〇さんの登山などの記事を拝見しまして、とても感銘を受けました。息子の将来に不安はありませんが、〇〇さんのように何か打ち込めるものや夢を抱き、笑顔で成長してほしいと願っています》(〇〇は編集部伏字)
本当の親以上にRくんのことを考え、大事に育てていたという冨重氏。メッセージで“息子”と呼んでいるところからも、その本気度がうかがえる。その後、学校に近い地域に住居を移して一家は幸せな日々を送っていた。
「すっかり再婚されたものと思っていました。よく3人でお散歩していました」
「最寄りの駅近くでよく朝マックをしていましたよ。登校する前だったんでしょうね」
このころには住民らに親子の姿も目撃されている。
一方で'08年に長男の障がいを告白してから、聴覚障害者関連の仕事も増え多忙になっていった今井議員。代わりに長男の面倒を見続けていたのが冨重氏。2人の間では再婚話が何度も出ていたというが、最終的には至らなかった。
「絵理子ちゃんの両親が代機さんを“ヒモ”扱いしていたようで、結婚に反対し続けていたといいます。でも、ベビーシッターのように育児を任せっきりにしていたら、彼だって仕事をする時間もありませんよ」(今井家の知人)
そんな生活が8年ほど続いて長男が9歳になったとき、父子は突然、別れを迎える。今井議員が「出て行ってほしい」と、冨重氏に同棲生活の解消を突きつけたのだとか。
「理由は絵理子ちゃんにほかに好きな人ができたから。何でもインターネットで知り合った、自称“放送作家”のイケメンだったようですけど、案の定3か月で別れたみたいです。すると両親が育児に追われ始めるや否や、代機さんに“戻ってきてほしい”と頼んでいたそうです」(同・今井家の知人)
破局してからも、たびたび彼を家に呼んでいたという今井議員。それは復縁を望んでいたからではなかった。
「彼が管理していた、今井の映像や写真のデータを持ってこさせていたんです。
そのたびにRくんは“パパが帰ってきた!”と大喜びするのですが、すぐに出ていってしまう。
“もう行っちゃうの?”と寂しそうにしていたそうです。そしていつの間にか、見知らぬ男性が自宅に出入りするようになったと」(前出・芸能プロマネージャー)
新しい男に引き離された“息子”との絆
'15年の参議院議員選挙で、今井議員が自民党の目玉候補として担ぎ出された際、同級生A氏との半同棲愛を『週刊女性』が報じていた。このとき、冨重氏はもう自宅を訪れることはできず、長男とも会えなくなってしまった。
今井の奔放な恋愛遍歴により、父子は2度も引き離されたというわけだ。
「聴覚障害のある子がぶつかるという、“9歳の壁”をとても心配したまま別れることになりました。
これは9歳を迎えると、“自分が周囲とは違う”“健常ではない”ことを認識し始めて悩んでしまうということなんです。
真摯にお子さんと向き合っていた彼らしい最後でしたね」(同・芸能プロマネージャー)
こうして“息子”への思いを引きずりながらも、以前より仕事を思案していたというフィリピンに旅立った冨重氏。
記者は当人に話を聞くべく、同地を訪れたのだった。
「たしかにいちばん長い付き合いでしたし、(同棲も)はい……そうですね。ただ、フラレて別れたのではありません。
事業で移り住んで1年ほどですが、5年くらい前から海外を行き来するようになって各地で障がいのある方たちの写真を撮るようになったんです。その中で、フィリピンに行きたい気持ちが強くなって別れることになりました」
今井議員との交際を経て、障害者への理解を広めようとしたのがきっかけで、痴情のもつれはなかったと話す。
「彼女はオンとオフがはっきりしているんです。(新幹線で寝ていたことについて)移動で睡眠をとるのは、忙しかったアイドル時代のクセでしょう。本当は一生懸命で、Rくんのことを大事にしていますし、障害者のことをしっかり考えています。政治家としてがんばってほしい」
彼女との関係を饒舌に語る一方で、Rくんの話になると途端に言葉に詰まることも。
「意思疎通ができないこともありましたし、表情を読み取ったり……。実の息子でもないですし……、僕も親父がいないので……。でも、彼は強いから大丈夫ですよ」
気持ちを落ち着かせるためか、取材の途中で何度もタバコを吸いに席をはずした。冨重氏が家を出てからRくんが寂しそうにしていたという話をすると、
「……そうですか。彼は気持ちをうまく伝えられないし、手話もまだそれほどうまくはありませんでした。もし本当に(寂しく)そんなふうに感じているのなら……」
徐々に“父の顔”を垣間見せ始めたのだった。
「耳が聞こえないぶん、目から物事の情報が入るんです。例えば牛丼屋に入れば“牛丼屋さんになりたい”、寿司屋では“寿司屋さんになりたい”と。いま、彼はどんな夢を見ていて、どういう道を進もうとしているのか、遠くから見守りたいですね」
今井議員には父親の分まで長男が歩む道をしっかりとそばで見守ってほしい。