今年2月、ゴミ屋敷から両足が壊死した高齢女性が救出され世間に衝撃が。きっかけは人それぞれでも、社会との関係を断ち切り、最終的に身の回りの世話もしなくなる“セルフネグレクト(自己放任)”が大きな社会問題となっています。

 

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家族や自分も陥りかねない現代社会の成れの果て

 激しい疲労や落ち込みから、食事や入浴、掃除などの日常動作もやる気が起きず放置してしまうという経験は、誰しも1度くらいあるのでは? しかし、たいていはしばらくすると気を持ち直し、いつもの生活に戻れるもの。

 それに対し、生活や健康状態が自分では回復できないレベルまで悪化し改善する意欲も周囲に助けを求める気力もなくなってしまうことを「セルフネグレクト」と呼びます。中にはゴミにあふれた部屋の中で孤独死する深刻なケースも……。

「自己放任、自己放棄ともいわれるセルフネグレクトは、これまでひとり暮らしの高齢者に多いとされてきましたが、近年では働き盛りのサラリーマンから大学生まで、年齢を問わず増えています」と話すのは、地域医療やビジネスパーソンのメンタルケアに精通している医師・田中伸明先生(ベスリクリニック院長)

 セルフネグレクトの事例を見ると、ごく普通の生活をしていた人が陥ることも多いよう。まずはその原因と過程からひも解いていきます。

環境、反応、維持する仕組み3つの要素がそろうと赤信号

 田中先生によれば、セルフネグレクトに陥る過程には、3つの要素があるそう。

 まず1つ目は、きっかけとなる環境の変化。

「例えば、家族の死や恋人との別れ、仕事での大きな失敗、病気など。そうした出来事に対して、2つ目の要素である個人の反応が起こります。自分自身を守るために“社会との関わりを断つ”という状態に行き着くんです。反応の仕方は、その人のもともとの資質によっても現れ方が変わってきます。特に強く現れやすいのは、極端な執着思考の人や、物事を勝つか負けるかといった具合に両極にしか考えられない人、ネガティブな事柄の原因を自分ではなくすべて相手が悪いと考える人。また、もともと社会との関わりが薄く、孤立傾向の人。こうした人たちは、セルフネグレクトに陥りやすいといえます。そして3つ目は、社会との隔絶状態を維持できる仕組み。悪化した生活状態であっても、年金や家族の援助などによって経済的にはなんとか生きていける状況であるということ。この3つがつながることでセルフネグレクトが完成するのです」

 そのときの本人の状態は、自分だけの世界に閉じこもる“自閉”の状態に通じますが、その中でもセルフネグレクト特有なのが心身の分離。

「心は自分自分だけれども、身体は自分とは関係のないものだと思ってしまう。自分とは関係ないから、汚くなろうが、衰弱しようが全く気にならず無視する。この状態こそ自己放棄=セルフネグレクトというわけです」

周囲の接し方や現代社会の環境にも問題が潜んでいる

 3つ目の要素である“維持できる仕組み”は、家族など周囲の人間がよかれと思ってやっていることが、結果的にセルフネグレクトを助長してしまっている場合も。

「親が仕送りをしたり食事を運ぶことで、本人が社会と関わりを持たなくとも生きていける状況を作り上げてしまっているんです。また、親だけに限らず現代社会は外出して人と直接関わらなくても、インターネットで手軽に外部と接続できてしまいますよね。これにより自分が社会と隔絶しているという自覚がないまま、自閉状態が維持されてしまうという社会的背景もあります」

 改善するには、そんな状況を壊していくことが必要。

「例えば、同居している息子や娘がセルフネグレクト状態で閉じこもっている場合、部屋の前まで食事を運んではいけません。お腹が減ったでしょう? だったらダイニングで一緒に食べましょうと声をかけてください。そのとき、閉じこもっていることなんて、家族はまるで気にかけていないかのような、明るい雰囲気を保つのもポイントです。またネットの接続が切れてしまって自分たちでは修理できないから、専門業者さんのところへ行って自分で直してきてと外出を促したり。とにかく本人がセルフネグレクトの状態を維持できないよう、居心地の悪い状況をあえて作っていくように、周囲の人間も関わり方を変えていくことが解決につながります」

 本人が自分の意志で動き始めたら第1段階は突破。これが改善に向かう“変曲点”になります。解決への取り組みにおいて、この変曲点は重要なキーワード。

「治療は時間をかけてあれこれやっても、変化はごくわずかしか現れないことがほとんど。でも、それを繰り返し積み上げていき、変曲点に達したときに刺激を与えると、加速して変化が現れてきます。すぐにあきらめず粘り強く向き合うことも大切です」

抜け出すためにどうすれば? 正しい接し方と解決法

 悲惨な状況を目の当たりにし、どうしていいかわからず慌てるばかり……。もしも身近な人が陥ったとき、そうならないために、有効な対策や予防法をしっかりインプットしておこう。

■本人の状態や資質により有効な対策は違う

 心と身体が分離した状態は同じでも、本人に自尊心が残っているかどうかで対応の仕方は変わると田中先生。

「自尊心が残っている場合、昔ながらの友人や地区の民生委員などの第三者に協力してもらい、みんなも困っているよという話をすることでもともと社会的立場を気にかける人なら、特に自分も動かなければという気持ちを呼び起こせる可能性があります。一方、自尊心が残っていない人は治りたいという気持ちがそもそもないので、身体をきれいにしなさいなどと正面から説得しても意味がありません。治療方法としては強制的に身体をきれいにすることから始めます。本来、心と身体はつながっていますから、身体をきれいにしたり、女性なら化粧をさせたりすることで心が戻っていく効果が期待できます。つまり分離した心と身体を再び合体させるような治療を行っていきます

 ただし、結果を焦るのは禁物。

「人間は心身の構造上、3回経験すると無意識が発動して行動できるようになっているんです。1回目は意識だけの領域に指示を与えて拒絶されても、2回目には前回の記憶があるため少しずつ無意識の領域にまで指示が下りていきます。そして3回目には、無意識が発動して自動的に動けるようになるんです。だから、一気に解決しようとしてはダメ。その人が現況に陥ったきっかけを理解し、自分を守るために自閉状態になっていることを受け入れたうえで心身が分離する状態に至るまでの道のりを、反対にたどる作業をしていかなければいけません。同じことを3回繰り返しながら、根気よく接していくことが必要なのです」

■人や社会との交流、自立を意識した教育も重要

 冒頭であげた、家族の死や恋人との別れ、病気といった環境の変化は、誰にでも起こりうること。では、そこからセルフネグレトに陥らないための予防策とは?

「一番は、人や社会との関わり、つまり社会性を大切にすることですね。人格というのは、他者との関わりによって形成されるものですから、地域社会や家庭の中で、自分の存在価値が明確になれば向上していきます。私がいなければ困る人がいる、という意識を持つようにするのもいいでしょう。また子どもに対して、親や周囲の人間がすべてやってあげるのではなく、ゴミ出しなど何かしら日課を与えるなどして、子どもの自立性を高めていくことも、健やかな心を育み、セルフネグレクトを防ぐ対策になります」

 なお、家族や友人だけに限らず、困ったときには専門家や行政サービスも活用したいところだが一部、問題点も。

「高齢者であれば、介護保険制度や民生委員など、ある程度対応してくれる窓口がありますが、若者や中年層には、今のところ社会にサポートする仕組みがないのが問題。この点は今後、早急に解決するべき課題ですね」

■1度で完治とはいえないから再発しない暮らし方を

 1度、脱することができても、また何かのきっかけで、容易に再発する可能性があるのがセルフネグレクトの怖いところ。特に、他者のサポートによって外に出した場合は、すぐに元に戻ってしまう危険性も。

「再発を防ぐために、こもっていた部屋をなくしてしまうなど先手を打って環境を整えておくのも手です。また、根本的な部分ですが、現代人は心の問題ばかりに注目して頭でっかちになっている人が多い。やはり人間は心身両面を働かせることでバランスがとれるんです。普段から身体を動かす習慣をつけるのも、再発予防に有効だと思います」

<話を聞いた人>
田中伸明先生◎日本神経学会認定医、日本東洋医学学会専門医、医師会産業医。諏訪中央病院(鎌田実院長)で地域医療に従事、その後、大学教授などを経てベスリクリニックを開設。薬に頼らないメンタルケアを提唱している。