子どもはもちろん、親をも悩ませる夏休みの自由研究。でも楽しく向き合えば、子どもの才能を伸ばせるいいチャンスに! なかには、自由研究が書籍化されたり、カタツムリと意思疎通ができるようになった天才キッズも。そのスゴすぎる自由研究の作成秘話を聞きました。
手描きの『文房具図鑑』が書籍化、大ヒット! 好きなモノをとことん深める観察眼と集中力
■当時小6(現在中2)山本健太郎くん
168点にも及ぶ文房具を紹介している『文房具図鑑』。ほぼ原寸大の文房具が、緻密な手描きイラストで描かれている。ペンのイラストの横に、どのような線が書けるのか試し書きがされていたり、「ペンのにおいがすごい」「強い力で消すと消しゴムがひっこんでしまう」など、公式カタログではわからない使用レビューが正直に書かれている。もとは夏休みの自由研究としてつくられた図鑑だが、そのクオリティーの高さからネットで話題となり、書籍化された。書籍版では、ひとつひとつの商品に文房具メーカーからのコメントが寄せられている。
「解説うますぎ! 営業トークに使わせてもらいます」「難しい芯の替え方まで説明してくれてありがとう」「確かに不便かも、今後の商品開発の参考にします」と、鋭い観察記録はメーカーも舌を巻くレベル。
文房具図鑑の著者は、当時、小学6年生だった山本健太郎くん。文房具に興味を持ったのは5年生のときで、友人とのなにげない遊びがきっかけだった。
「消しゴムをはじいてぶつけ合って、机から落とすゲームが流行ってて。大きい消しゴムが強いだろうと思ってインターネットで調べていたら、どんな消しゴムにもメーカーのこだわりがあることを知って興味を持ちました」
そんなとき、お母さんから白紙の100ページの本をもらったことから、文房具の図鑑をつくることを決意。初めは持っている文房具をスケッチして解説したが、少しずつ気になる文房具を買い集めるようになった。文房具代は、貯めていたお年玉から捻出。通っていた文房具店の店主からメーカーのパンフレットをもらったり、文房具雑誌を図書館で借りたりしながら情報収集し、大作を完成させた。
「描くことで苦労した記憶はないんですが、困ったのは描く文房具がなくなってきてしまったことで、ノートだけ持って文房具屋に行き、スケッチしたりペンの書き味をメモしたりしたことも(笑)。“油性と水性のちがい”といったコラムやクイズもはさみながら、100ページ描きました」
完成した図鑑をいつも行く文房具屋に見せに行くと、「これはすごい!」と喜んだ店長がSNSにアップ。
文房具マニアの間で話題となり、書籍化の話が舞い込んだのだ。
一躍、有名人となった山本くん。出版後はメーカーから新商品が送られてくるようになり、一時期、自分で文房具を買いに行く機会が減ったそう。
将来の夢は少年漫画家になることだそうで、そのために、いまは絵の練習中だという。
そんな山本くんをお母さんもそっと応援している。
「私の兄の家にマンガがたくさんあった影響で好きになり、小学1年から4コママンガを描いていました。その集中力には驚きました」(お母さん)
イラストレーターとしての顔を持つお母さん。だが、息子にアドバイスをすることは一切ないという。
「文房具図鑑をつくっていたときも、陰から“いいぞ、いいぞ”と見守ってました(笑)。好きなことに夢中になれるのはとても幸せなことだと思うので、思う存分、取り組ませてあげたいですね」
【母が驚いた健太郎くんの素顔】
◎小学1年で4コママンガを描く
伯父さんの家にマンガがたくさんあった影響で好きになり、小1から自分で4コママンガを制作するように。
◎大人っぽいひと言にドキリ
携帯のカメラで月を撮ろうとしていたら小1の健太郎くんが「目に映しとけばいいんじゃない」とポツリ。
◎小学4年で「ひとり映画館」
4歳で映画館デビューを果たし映画が大好きに! 小4のクリスマスプレゼントは「ひとりで見たい」と映画館へ。
◎画材屋のボールペンに感動!
あまりにも絵をたくさん描くので、インクの減りが早く、普段は100円ショップのボールペンを買い与えていた。初めて画材屋に連れて行くと「こんなに書き味のいいペンが世の中にあるのか」と感動し、売り場を離れなかった。
ペットのカタツムリと意思疎通がしたくて図鑑にない好物や学習能力を実験で証明!
■当時小5(現在小6)八田知也くん
小学2年生のときに担任の先生からカタツムリ2匹をもらい、飼育を始めた八田知也くん。3年生で、カタツムリはレタスをよく食べることを突きとめた八田くんは「レタスはやわらかいから好物なのか?」という疑問を抱く。4年生ではさまざまなエサをすりつぶしたり、ゼリー状にする「形状実験」を実施。レタスよりも細かく砕いた卵の殻やカルシウム剤をよく食べるという新たな結果を導き出した。
5年生になると「なぜいままで食べたことのないカルシウム剤を好むのか」という疑問から、どのようにエサを見つけるのかを観察。カルシウム剤をいろいろな場所に隠したりして10匹のカタツムリに与えたところ、主に嗅覚を頼りに視覚や経験・記憶も使ってエサを探すことを発見した。
研究の最中、八田くんはひそかな願望を抱いていた。
「犬やネコのようにエサを与えたとき、ワーッと集まって食べてくれたらいいのに」
そこで、音の聞こえないカタツムリとコミュニケーションをとるべく、約90日間、条件反射の実験を実施。エサを与える10分前に色彩が鮮やかなピカソの絵『鏡の前の少女』を飼育ケースの前に置き、給餌直前にカタツムリの殻を3回ノックすることで、給餌時間を教えるようにした。2週間後、絵に反応する個体が出現。後半から絵に反応する個体は減り、ノックに反応するように。八田くんは「絵を見てすぐにエサをもらえないと学習したから」と推論した。
「エサを持っていったら集まって食べだす」という夢こそ叶わなかったが、「コミュニケーションをとるヒントを見つけた。距離が縮まった気がしてうれしい」と笑顔を見せる。
5年生で行った「食生活を通してのかたつむりと僕とのコミュニケーション」は、『自然科学観察コンクール』で見事、入賞。内容は大人顔負けだが、可愛らしいのはカタツムリへの愛情が感じられること。サプリメントを与える実験では「サプリだけで弱ってしまったらつらいので、少しは普通のエサも与える」と条件を譲歩したり、「殻をノックするとき、たたくとかわいそうだから指でそっと」など、やさしい人柄があらわれている。
今年の自由研究は、さらに発展的な課題に取り組んでいるというが、詳しい内容は「まだ秘密です」とのこと。科学者として、研究発表のタイミングの重要性を知っているのだ。そんな小さな科学者を育てた両親は、
「集中力をつける。これが育児のコンセプトでした。何かに集中していたら、邪魔をせず見守ることで、子どもが自ら発見する機会を得られるように心がけました」(お父さん)
幼いころから自然に触れさせ、観察する力や創造性を育むようにもしていたという。
「すぐ近所の公園に行くのに朝からお弁当を持って、暗くなるまでずっと外で集中して遊ぶような子どもでしたね」(お母さん)
なんでも家族で話し合う八田家。自由研究も「まったく反応しなかったらやばいよね」など、ワイワイ話し合いながら取り組んだ。八田くんが疑問に思ったことを粘り強く観察し、まとめを導き出す背景には、研究を楽しくサポートする両親の姿があった。生きもの以外のことにも興味津々。学校の勉強で好きなのは、歴史や地理だという。
「歴史のつながりがわかったり、行ったことのない地域について知るのがおもしろい。最近は法律にも興味がある。将来は裁判官もいいなあ」
好奇心旺盛な少年の未来は無限に広がる。
【八田家のおもしろ子育てルール】
◎幼少時の遊び道具は自然のもの
完成品のおもちゃよりも、積み木や外遊びをさせることで創造性を育むように。山に行けば、棒1本、小石ひとつでずっと遊べるように!
◎車は使わず、歩く!
歩けるようになった1歳半でベビーカーは使用禁止! 車も使わず、できるだけ歩かせ自然に触れられるようにしていた。
◎急かさない、邪魔をしない
集中力を育むため「待つ」子育てを徹底。5分で帰れる距離が1時間になってしまったとしても、途中で昆虫や植物の観察をする知也くんをせかすことはない。
◎しりとりで語彙力を伸ばす
八田家の遊びの定番といえば、しりとり。「歴史の人物」「日本の地名」などの制約を設け親子3人でしりとりをして、語彙力や頭の回転力を鍛えている。
先輩天才キッズ★自由研究をそのまま仕事にしちゃった!?
国立研究開発法人農研機構で、環境にやさしい農業を実現するため、主任研究員としてクモと環境の関わりを調べている馬場友希さん。日々フィールドワークを行っているが、初めてクモに興味を持ったのは小学校の自由研究がきっかけだった。
「北九州市の自然の中で育ち、生きものが好きでした。ある日、近所の草むらで虫とり網をふったらクモがめちゃくちゃとれたんです。クワガタやカブトムシと違ってあまり人気がなくて、人々に注目されていない点にも惹かれ、4年生の自由研究では近所のクモを調べてイラストで図解しました」
6年生の自由研究では、海岸にいるイソハエトリというクモの生態を観察。音は聞こえるのか、目は見えるのか、エサのとり方、どんな形状の巣をつくるのかなどをまとめたところ、観察記録が評価され、『自然科学観察コンクール』で入賞。
「いま考えると、そのときに謎を突き詰めることの楽しさを知ったことが現在までの研究のモチベーションになっていますし、ここで習得したクモの育て方や扱い方は今も役立っています」
高校ではいったん生きものから離れ、卓球部やバンド活動へと興味が広がったものの、「やはり生きものの研究をしたい」と九州大学理学部生物学科へ。生きもの全般を学びつつ、生物研究部では沖縄に出かけ、新種のクモを見つけたりする活動も行っていた。
「クモは、日本で1600種類くらいいるのですが、名前がついていない種がまだ約300種もいるとされています。
私が発見して、和名や学名にババと名前がついたクモも4種類います」
卒業後は大学院に進んで研究を継続し、現職に。水田に生息するクモの生育環境について研究をしている。
魅力を聞いてみると、
「網を張ることですね。クモは種類によって、網の大きさや形、網目の間隔などが違うんです。また、多くのクモは毎日、網を張り替えますが、体調によって網の張り方が変わる。糸によって、クモの行動や状態が可視化されるところがおもしろいんです(笑)」
そんなクモ博士の馬場さんだが、研究者以外の道を考えたことはないのか。
「正直、大学院では“このままクモの研究を続けていていいのか”と思ったこともあります。それでも続けてこられたのは、小学生のときにじっくりクモと向き合い、彼らの魅力を知り、評価された経験があったから。クモはわからないことが多くて研究のしがいがあるので一生楽しめます。
小学生のみなさんには、興味のあることにチャレンジして、一生ものの趣味であり、仕事を見つけてほしいですね」
◎馬場友希さんのプロフィール
国立研究開発法人農研機構 農業環境変動研究センター 生物多様性研究領域 生物多様性変動ユニット 主任研究員。九州大学理学部生物学科卒業、東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻博士課程修了。’09年に契約研究員として入所、’17年より現職