今回紹介するのは、7歳年上の夫・良平(仮名)との間に3人の子供を持つ菊池弘子(仮名・53歳)。結婚後、優しかった夫にDVの兆候が表れ始め、生き地獄のような家庭生活から逃避するように、PTA会長の稲田浩平(仮名)と不倫関係に陥った。
出会い系で知り合った男に「心」を求めて
浩平と破局した後、弘子はインターネットの出会い系にハマり、そこで次の不倫相手を見つけることとなる。牢獄のような家庭生活から一瞬でも逃れられたらとの思いで、弘子は自分の「心」を満たしてくれる相手を求めていた。
その男性は不動産の営業マンで、月に1~3回は、千葉から100キロもの道のりを車で飛ばしてやってきた。弘子はそれがうれしかった。
やり手の営業マンということもあって、気遣いができて会話も面白い。相手の車でラブホに入り、そのままサービスタイムで昼間を過ごす。3年間もそんな関係が続いた。しかし、いつも会うのはラブホという密室。当たり前だが相手にも子供がいて、W不倫ということもあり、安易に外を出歩くわけにはいかなかった。
それでも弘子は、身体だけの関係だとは思いたくなかった。最初は、ラブホで会うだけでも楽しかったが、次第に普通の恋人同士のようなことをしたいと思うようになった。しかし、街でデートしたいという話をすると、それを巡って毎回必ず口論になった。
「私は、一口に不倫といっても、身体を求め合うというより、ちゃんと恋愛がしたかった。公園に散歩に行ったり、花火を見に行ったりという普通のデートがしたかったけど、それは無理だって言われたんです。やっぱり身体だけ求められているんだなぁと思いました。
“男の人って身体だけなんだよね?”って言って私が怒ったふりをすると、“そんなことないよ”とは言うけれど……。始めの何年かは優しかったんだけど、そういうのを2度3度と繰り返すと、向こうも嫌になったんだと思う。いつの間にか、連絡が途絶えちゃったんです」
ああ、私って馬鹿だな、大切な人をなくしちゃった――。弘子は、不倫相手が去っていくたびにそう思った。
「不倫っていう、本来であればしてはいけないことをしてるんだから、これで良かったんだと後で思ったんだけど、それでも本音は恋人同士みたいな遊びをしたかった。大切にされたかった。そういうのって、求めちゃダメなのかもしれないけど……」
寂しくて、辛くて、心細くて、誰かにすがりたい――しかし、不倫は、弘子にとって逃避でしかなかった。
夫の良平の両親は二人とも小学校の教員で、ほとんど家にいなかったそうだ。親からの愛情に飢えた幼少期を送った良平が理想とする家族像は、そのトラウマを反面教師にしたもので、「母親は常に家にいないとダメだ」というものだった。
「旦那のお母さんからも“自分たちが共働きだったから、ちゃんと子供を育てられなかったのよ。弘子さんは、ちゃんと家にいて、子育てをしっかりやってほしい。フラフラ外に出ていくことはしないでね。仕事なんかしないで”って言われていた。でも、それって私という人間をダメにするなと漠然と思っていました」
夫はPTA活動などの子供に関わることでの外出は認めていたが、弘子が外で働くことは絶対に許さなかった。自分の所有物という感覚がとても強く、思い通りにしないと激しく当たり散らした。
唯一、内職としてやっていた公文の採点で、採点者向けの講習会に行くことすら禁止された。「遠出する必要なんてない。ちゃんと家にいろ」――こっぴどく叱責され、怒鳴りつけられ、弘子は精神的に追い詰められていった。
DV、モラハラなど、あまりのストレスから突発性難聴も発症。この出口のない絶望から逃れるには、やっぱり離婚するしかない。度重なる不倫の末に気付いた結論、それは夫と妻という関係に終止符を打つことだった。
「お父さん、お願いだから私を解放して」と離婚を懇願
弘子は、夫に何度も離婚を懇願したが、夫はそれを聞くたびに怒り狂い、眼前で離婚届をビリビリと破いた。そのため、話は離婚調停に持ち込まれることになったのだが、品行方正そうな調停委員たちは、「そんなのどこの家庭でもよくある話よ」と訳知り顔で諭し、離婚を思いとどまるように説得した。予想外の展開に言葉を失った。調停委員たちは、いくら弘子がDVの現状を訴えても、全然聞く耳を持たなかったのだ。
「私は経済的に自立したいと思っていたけど、そんな私を旦那は馬鹿にしていた。そうはいっても、食っていけねぇだろ、と。“離婚したいだの、一人になりたいだの、よくそんな口が叩けるな。俺が食わしてやってるのに”。そう言われると、何も言えなかった。でも、何度も“お父さん、お願いだから私を解放して”って泣きついた」
弘子は根気よく離婚調停を続けた。夫との離婚が成立するまで9か月を要した。
手に職をつけることの必要性を強く感じた弘子は、紆余(うよ)曲折あって現在の介護福祉士という資格を2年がかりで勉強し、手に入れた。
弘子は、離婚して一度は家を出たものの、子供からの要望があって、現在は元夫と住んでいる。
「夫は一人では何もできないし、放っておけないという気持ちもあります。やっぱり結婚生活30年も経つと、完全には切り捨てられない。旦那は病んでるんですよ。きちんと愛情をもらわずに大きくなってるし、愛情表現もまともにできない。要するに、病んでる夫のところに、愛情溢れる家庭で育った私が来て、そのせいで私も病んじゃったんだなぁと。今振り返ってみると、その結果が不倫だったんだと思いますね」
60歳に近くなり、年老いた元夫は、もはや弘子の仕事に何も言わなくなった。弘子は現在、仕事の合間を縫って3歳年上の恋人と月に2回ほど会っている。セックスもするし、外で堂々とデートもする。
それは、弘子がずっと待ち望んでいた、身体だけの関係ではない、普通の恋人同士のような関係だった。
「例えば、雨が降ってきて、私しか傘を持ってなかったことがあるの。“いや、僕が持つから。腕を組んでくださいよ”って彼が傘を持って相合傘をしてくれた。もう、それだけで幸せな気持ちになる。私、そうやって相手に必要とされるのが好きなのかもしれない」
元夫とはいえ、恋人がいることを悪いとは思わないのだろうか? 単刀直入にそれを尋ねてみた。
「私ね、お父さんに今まで本当に尽くしてきたし、今も尽くしてるんです。もし病気になって身体が動かなくなっても、最期をちゃんとみとるって決めているの。だから、恋人がいても罪悪感は全くない。そう、でもね、いくら私に求められても、心だけは縛ることができない。もし、咎(とが)められたら、“これ以上、私に何を求めるの?”って言うかな」
弘子のまっすぐな目が私を捉えていた。
不倫は良くない、不倫はダメだ、そんな倫理を振りかざしても、不倫に走らざるを得ない個々の心情と、その心情を作り出す悲惨と向き合わなければ、根本的な解決には至らない――私にはとても彼女の足跡を断罪することができなかった。
それは、弘子の生活が何十年もの時を経て、今ようやく輝きだそうとしているからでもある。元夫は、そんな弘子の新しい船出を全く知らない。知ったところで、すでに離婚しているので、口を挟む権利もないかもしれない。
「今は、幸せですね。不倫で得たことは、自分もそうだったんだけど、みんな自分を愛せていないってことかな。あと、女は自立したほうがいいです。仕事は楽しい。介護の仕事は、汚かったりするし、夜勤もあるし、辛い時もあるけど、何よりも利用者さんから“ありがとうね”って感謝されるのは、“いや、こっちがありがとう”って言いたいくらい、うれしいことなんですよ」
「不倫体質」を自称する弘子の人生にとって、不倫は最初、逃避の手段であり、一つの救いであった。しかし、それが次の扉を開けるための起点となった。びくともしない扉に思われたが、文字通り体当たりでこじ開けたのだった。
一人の自立した人間として元夫と向き合えるまでに、思えば何十年もの歳月がかかった。夜勤明けで疲れていても、家に向かう弘子の足取りは不思議と軽い。
夫は年を取ったこともあり、家にいても寝ていることが多くなった。何よりも弘子との婚姻関係がなくなって、経済的に独立したこともあってか、弱気になって何かと頼ってくるようになった。
「お父さん、私なんて付属品だと思っているくせに、“アイス食べたい”とか、メールを送って甘えてくるんです。変なやつでしょ」
そんな元夫のために「これからアイスクリームを買って帰ります」と言って、弘子はとびっきりの笑顔で一礼すると、帰宅ラッシュでごった返す駅の構内に消えていった。
<著者プロフィール>
菅野久美子(かんの・くみこ)
1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。
最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の生々しい現場にスポットを当てた、『中年の孤独死が止まらない!』などの記事を『週刊SPA!』『週刊実話ザ・タブー』等、多数の媒体で執筆中。