2歳下の妹たちとの違いに気づいたのは幼稚園のとき。以来、ずっと“ブス姉”と“美人妹”の格差に悩んできたという尼神インターの誠子。

「妹は双子ちゃんで、それだけでも可愛いと、ちやほやされるうえにホンマにべっぴんさんでなぁ。幼心ながら、どうも自分とは違うって感じてたし、妹たちがうらやましかったですね」

 普通は姉のお下がりを妹が着るものだが、双子だから新しい服をおそろいで買ってもらえる。その服は、姉のよりもずっと可愛らしかった。子どもとはいえ当然、おもしろくない。

「その服貸してや! 私がお姉ちゃんやで!? お姉ちゃんの言うことはきかないかんのや! 私が着てみるから」と取り上げて、入りもしないのに無理に着ては、妹を泣かしていた。

赤ちゃんのころはハーフ顔で、美人3姉妹と言われていた時期もあったという

 それでもお姉ちゃん風を吹かせていられるうちはよかったが、成長するにつれて妹たちの逆襲が始まった。中学生になると、誠子は太り始め、ビジュアルが崩れだす一方で、妹たちはスリムなまま、可愛らしさに磨きがかかった。

「妹たちが“あれ~っ、おネエだけブスやで”って気づいて、優位になってしまったんです」

 やがて、妹たちは姉を無視するように。

「最初は外にいるときに“自分のお姉ちゃんと思われるのが恥ずかしい”という理由で、そのうち家でもまったく口をきいてもらえなくなって。その状態が5年間続いたんです」

 話しかけても答えてもらえない。その時期、妹たちにつけられたあだ名はアメリカのファンタジー映画に出てくる怪物『シュレック』だった。

「2人で“シュレックがさぁ~”と話しているから、映画でもやるのかなと思ってたら、“今日、家にシュレックおるで”って、ひそひそ話してて、私のことかって……」

 ハーフ顔で美人の妹たちは、よくイケメンの彼氏を家に連れてきて、4人仲よくワイワイ盛り上がっていた。

「いつだったかなあ、たまたま妹の彼氏とリビングで2人きりになったことがあったんだけど。彼氏はひと言も口をきかずに、私の顔を見てずっと爆笑しているのね。妹から話を聞いていたんだと思います。その時期は、家にいるのがつらかったけど、妹たちに無視されていることは、親にも友達にも誰にも相談できなかった。できることは、妹が新しい自転車を買ってもらったときに“チャリの鍵、なくせ!”とか、ちっちゃな不幸をこっそり願うくらい(笑)

いつか妹より女として幸せになる!

 妹に対するコンプレックスは徐々にバネになっていった。

「絶対にイケメンと結婚して、女として妹たちよりも幸せになる。それが私の支えになった」

 ブスな女が、人生の大逆転を図るにはどうしたらいいのか。その答えが、女芸人。

尼神インター・誠子 撮影/森田晃博

「ブスだって自分を輝かせられる。お金も稼げるし、うまくいけばドラマに出て、俳優さんと知り合える可能性もある。すっごい美女とさんざん付き合って、もう美人には飽きたころに、性格のよい私に気づいて、結婚ってことだって……(笑)」

 ちなみに今、夢想しているのは高橋一生さんだそう。

「こうやって元気に“恋愛するぞ宣言”できるのは、妹たちのおかげなのかなぁって最近、思うんです。妹がおらへんかったら、芸人にもならなかったろうし。モチベーションになっているので感謝してるんですよ」

 妹たちはブレイクしつつある誠子を見て、態度を少し変えてきたという。

「チュートリアルの徳井さんや、さんまさんに会わせてと勝手なこと言うので“紹介できるように、もっと頑張るわ”と答えています。“紹介なんかするかぁ!”って啖呵を切ってみたいけど、言えへんねん!(笑)」

 妹たちとの今後の付き合いについて尋ねてみると、

「芸人として成功して、女としても幸せになったら、仲よくなれるんちゃうかな。そのとき、もし妹が困っていたら全力で助けられると思う。そんなことがあればだけどね」

<プロフィール>
誠子(せいこ)/尼神インター(ボケ担当)。1988年生まれ・神戸市出身。高校3年のときに『M‐1グランプリ』を見て「進学して勉強してもイケメンとは付き合えないが、芸人なら付き合える」と、お笑いの世界に飛び込む。

※『シュレック』をディズニー映画としていた箇所を修正しました(2017年10月2日20:15)