10月20日、美智子さまの誕生日にお祝いを伝えるため皇居へ入られた眞子さま

「10月上旬には、国体が開催されていた愛媛県を2泊3日で訪問し、バドミントンや相撲の試合を観戦されました。

 帰京した翌日にも、都内で行われた男子テニスの『楽天ジャパン・オープン』に出向かれるなど、婚約会見後も公務に精を出されています」

 そう話すのは、とある皇室担当記者。

 秋篠宮家の長女・眞子さまは、国際基督教大学(ICU)時代の同級生・小室圭さん(26)と正式に婚約後も、以前と変わらず積極的に公務に励まれている。

 その一方で「仕事」と「研究」にも励まれているというのは、秋篠宮家関係者。

都内の『インターメディアテク』というミュージアムに週に何度か勤務しながら、昨年9月からはICUの大学院で比較文化の分野で博士号取得を目指すなど、多忙な日々を送られています

「研究」という意味では、今年8月に、お父さまである秋篠宮さま(51)と東欧のハンガリーへ「私的旅行」に行かれた際に、現地の博物館を視察したという。

 この旅行にも同行し、秋篠宮家と20年以上の交流がある国立科学博物館の館長・林良博さん(71)は、「研究者」としての眞子さまについてこう話す。

「首都のブダペストにある博物館を訪れた際には、“どんな展示方法がみなさんにいちばん伝えられるのか”をお考えになっていました。

 眞子さまの小学生時代から定期的にお会いしていますが、昔から明るい人柄でありながらも落ち着いていらっしゃる印象を持っています。

 人の話をよく聞かれる方なのですが、見識のある人だけではなく、どんな人の話もよく聞かれている点は、研究者として素晴らしいことです。

 結婚後のことは、ご夫婦で考えられることですが、博物館学にとても興味を持たれていますから、研究を続けられるかもしれませんね」

眞子さまにとって特別な誕生日

 公務とミュージアムでの勤務、さらには研究まで取り組む眞子さまは、10月23日に26歳の誕生日を迎えられた。

 皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、今年の誕生日は“特別な意味”があると話す。

眞子さまは来年の秋までに小室さんと結婚される予定ですので、皇族として“最後の1年”になります。

 来年のお誕生日は民間人としてお迎えになる可能性があり、これからの1年は“特別な思い”があると思うので、内親王として最後まで公務に邁進されるのではないでしょうか

 来年の夏から秋にかけて結婚する見通しの眞子さまだが、その後は民間人として生活されることに。皇族としての“ラスト1年”は、今まで以上に公務に全力で励まれる日々になることだろう。

 眞子さまは現在、『日本工芸会』の総裁や『日本テニス協会』の名誉総裁をお務めになっている。

 それらの関連行事にもお出ましになっているが、秋篠宮家と長年、親交がある日本画家の上村淳之さん(84)は、眞子さまが「児童福祉」にも興味を持たれていると話す。

「まだ眞子さまが小さいころ、東京の百貨店で開かれた私の個展にいらっしゃったことがありました。その後、学習院初等科の卒業文集に私の絵のことについて書かれたそうで、とても光栄なことでうれしかったことを覚えています。

 最近では、昨年2月に私が館長を務める京都の『学校歴史博物館』で特別支援教育の歴史を紹介する企画展にいらっしゃいました。

 眞子さまが子どもの福祉にたいへん関心があるとのことで、展示を熱心にご覧になっていましたよ」

 子どもたちに対してだけではなく、国内の自然災害による被災地にも心を配られている眞子さまは、'11年7月に東日本大震災の被災地である宮城県石巻市と岩手県大槌町を訪れ、身分を隠してボランティア活動をされた。

 昨年10月にも岩手県で開催された国体に合わせて、被災地の復興状況をご視察。津波で駅舎や線路が流出したあとの'14年に復旧した三陸鉄道島越駅で出迎えた駅長の早野くみ子さんも眞子さまに元気づけられたという。

「眞子さまは被災地の復興状況について熱心に耳を傾けられていて、被災地に心を砕かれていると感じました。

 駅に集まっていた地元の人たちにも、ひとりひとり話しかけながら握手をされていたのが印象に残っています。

 とても優しい笑顔で心が温かくなり、みんな感激していましたよ」

眞子さまは「おばあちゃん子」

毎年『こどもの日』前後に児童施設を訪問されていた両陛下('98年4月)

 児童福祉に関する学びや被災地訪問などの姿勢は、それらに尽力されてきた美智子さまの「思い」を受け継がれているからだと前出の渡邉さんは話す。

美智子さまは、保育園などの児童施設や被災地の視察に出向かれて地元住民を励まされています。同じように、眞子さまも児童に関連する施設訪問をされたり、東日本大震災の被災地で身分を隠すために“まこしー”と名乗ってボランティア活動をされていました。そういった意味でも、美智子さまから“経験の継承”がなされていると感じますね

 経験を継承する眞子さまは、公務以外の面でもおばあさまを慕われていて、明治天皇の皇后、昭憲皇太后が始めて美智子さままで歴代皇后が引き継がれてきた「養蚕」のお手伝いを、幼いころから続けられている。

「美智子さまは、初孫である眞子さまを可愛がられていると同時に、内親王として期待されていました。

 眞子さまも美智子さまのことを“ばあば”と呼んでいて、養蚕のお手伝いも積極的に続けてこられているように“おばあちゃん子”なのだと思います」(渡邉さん)

 可愛がってきた初孫が婚約され、1年以内には皇室を離れることになったことで美智子さまも少なからず寂しい思いをされているにちがいない。

 そんな中、10月20日の昼には美智子さまの83歳の誕生日の祝宴が開かれた。

皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、眞子さまなどの皇族方が集まって美智子さまをお祝いされました。1度に皇族方が集う機会は少ないので、美智子さまもとても喜ばれていたそうです」(宮内庁関係者)

 この祝宴に皇族として参加するのは最後になるであろう眞子さまに対して、美智子さまも“特別な思い”をお伝えになったのではないだろうか。

 美智子さまの思いを引き継ぐ眞子さまは、“最後の1年”を全力で走り抜かれることだろう─。