「雅子さまは'93年の4月12日に行われた『納采の儀』で、日本橋の老舗呉服屋で仕立てた黄色の着物をお召しになっていました。
今回の園遊会でもきれいな黄色の着物だったので、大切な日の服装は黄色が“勝負色”なのかもしれませんね」
11月9日に赤坂御苑で開催された『秋の園遊会』での雅子さまについて、そう話すのは皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
毎年、春と秋に天皇・皇后両陛下が主催している『園遊会』は、各界の功労者やその配偶者など約2000人が招待されて両陛下や各皇族方が労をねぎらわれる恒例行事。
「今回は、昨年のリオデジャネイロ・パラリンピックで4個のメダルを獲得した競泳の木村敬一選手や、音楽プロデューサーの小室哲哉さんらが招かれました。小室さんは、両陛下が今年3月にベトナム・ハノイを訪問された際に開かれた晩餐会で演奏を披露しています」(皇室担当記者)
午後2時過ぎに皇宮警察音楽隊による『君が代』の演奏が終わると、小高い芝生の三笠山から両陛下をはじめとする皇族方がゆっくりと招待者が待つ順路へお歩きに。
続く雅子さまも招待者と笑顔で懇談されていたのだが、この行事に参加するのは、長期療養に入って4回目となった。
「'03年秋の園遊会直後に『帯状疱疹』と診断されて静養に入ってからは、ずっと園遊会にお出ましになっていませんでした。
しかし、'15年秋に12年ぶりに出席されてからは、昨秋の三笠宮さま薨去に伴う中止を除けば、“4回連続”で参加されています」(宮内庁関係者)
連続出席を果たされているとはいえ、『園遊会』は雅子さまにとって負担が大きい行事だと話すのは、宮内庁ОBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。
「招待者と懇談されているときもずっと取材カメラに撮影されているだけではなく、約2000名の招待者からも注目されるわけですから、緊張が続くことになります。
さらに特別誘導の招待者以外は話す相手が決まっていないので、相手によって臨機応変に対応しなくてはならないことも雅子妃殿下にとって難しい部分なのかもしれません」
そんな“ハードル”の高い同行事にも、今年4月の『園遊会』には13年半ぶりに着物姿でお出ましになるなど、着実に“復調の兆し”を見せていたのだが……。
「今回の雅子さまも式典行事が終わったあと、順路を数十メートル歩かれて10分ほど招待者と懇談したあとに中座されました。
最後まで参加されていれば、'03年の秋以来で“14年ぶり”のことでしたが……」(前出・皇室担当記者)
'15年秋からの3回とも途中で退席されていた雅子さまだが、今回も体調を考慮されたようだ。
「園遊会の前日まで、最後まで参加されるかどうかの検討が行われていたほどで、皇室担当記者の間でも“今回は最後まで参加するのではないか”という期待がありました。
今秋以降の雅子さまは、公務に積極的で療養中とは思えないご活躍ぶりでしたから」(同・皇室担当記者)
雅子さまが目指す“次世代の奨励”
“14年の壁”が崩れなかったのは、今回の「和装」のドレスコードも関係していると語るのは、前出の渡邉さん。
「着物は普段お召しになっていないとお身体に負担がかかるので、今回は大事をとられて中座されたのだと思います。
美智子さまも、まだ療養中である雅子さまに対して“無理をせずにできるところまで”というご配慮があったのでしょうね」
近年の『園遊会』では、和装と洋装を2回ずつローテーションしていて、来春は洋装となる可能性が高く、雅子さまの“完全出席”に期待がもてるという。
「来年は洋装のドレスコードになると思われるので、ご負担はそう大きくはありません。
さらに、美智子さまにとっては“最後の春の園遊会”になるので、雅子さまも最後まで参加されることでしょう。
今回がだめだったのではなく、来年への“慎重な準備”だったのだと思います」
渡邉さんもそう話すとおり『園遊会』は途中退席だったものの、翌日の『コスモス国際賞25周年記念のつどい・シンポジウム』には、皇太子さまとともに参加された。
最近の雅子さまの公務に対する“奮起ぶり”の「理由」を東宮に近い関係者が明かしてくれた。
「東宮職とのコミュニケーションが円滑に行われていることが雅子さまの“好調ぶり”につながっているそうです。
というのも、皇太子ご夫妻はご自分たちの“色”として、“次世代を奨励したい”という気持ちがおありで、例えば、訪問先の高校生ボランティアといった次世代の若者たちと積極的に交流されています。
おふたりの意向に沿った訪問プランを、担当の東宮職が提示できるようになったことが、雅子さまにいい影響をもたらしていると聞きました」
ご自分の“スタイル”が見えてきた雅子さまは、これからも全力で走り続けていかれるはずだ。