「金田一耕助シリーズ」をはじめとして、何年経っても色褪せることない圧倒的な面白さで新しいファンを獲得し続けているのが、推理小説の巨匠・横溝正史の作品だ。

 その魅力を余すところなく伝え、横溝作品を後世に残す強烈なイメージを作り上げたともいえるのが、角川文庫における横溝正史作品の表紙絵の数々。高いデッサン力と独自の構図が特徴的な、それらの作品をすべて担当したのが、イラストレーターの杉本一文さんだ。いま流行している「怖い絵」さながらに、あの角川文庫の表紙絵がトラウマとなっている人もいるのでは?

 この度、杉本さんがこれまで手掛けてきた装画と、近年の主な作品である銅版画の画集が発売され、同時に大規模な個展も開催される。杉本さんの作品には昔からの熱心なファンに加え、若い世代や海外のファンも多い。今回発売される「杉本一文『装』画集」の、Amazonでの予約順位は常に5位内をキープ。なんとあの新海誠監督の公式図録より上位だともいうのだから、その人気ぶりは確かなものなのだ。

杉本一文さん

 横溝作品に関わり始めたのは、なんと24歳ごろからだという杉本さん。そんな若さで推理小説の巨匠の世界観を世に知らしめた杉本さんとは、いったいどんな方なのか? 今回特別にお話を聞くことができた。実際の杉本さんは、笑顔の似合う柔らかな男性。なぜ、あんな「百万人のトラウマ絵」とも称される作品を世に次々と生み出すことができたのか。金田一耕助さながらに聞き込んでみた──。

■「原作をあえて読み込まなかったから描けたのだと思います」

──どのようなきっかけで横溝作品の表紙を手掛けることになったのですか?

杉本 デザインの事務所に勤めていた時代に、自費出版で自分の作品集を作ったんですね。フリーになったのを機会に、それを各社に送ったんです。それが角川書店の文庫の担当者の目に止まって、お仕事をいただくようになりました。

 ちょうど角川さんのほうで、角川春樹さん(角川書店元社長)が映画制作も始めるということで、書籍と映画を連動させるという、メディアミックスというのを考えたんですね。「読んでから見るか 見てから読むか」というキャッチコピーで知られるようになった、あれです。

 76年の「犬神家の一族」の映画化がメディアミックスの最初だったのですが、それに併せて横溝さんの文庫の表紙を一新させるということでお仕事をいただきました。だから向こうも始まったばかりのプロジェクトだからか、「こういう感じで描いてほしい」といった、明確な注文はありませんでした。

 最初の依頼は『八つ墓村』で。(小説の)原稿が送られてきて、読むように言われたのだけど、結構量があって、辛くてね(笑)。僕、デザイン畑の人間だから、活字読むの苦手なんですよ(笑)。

 だから、ザーッと目を通して、ああ、こういう人たちが出るんだな、それを表せばいいんだな、と考えて、イラストにしたんです。だいたい人が何人も死ぬ話だから、明るくない方がいいだろうし、と(笑)。

「八つ墓村」(杉本一文『装』画集より)

──出来上がった作品に対してのこだわりは? とても緻密な作品なので、仕上げるのが大変だったのではないでしょうか。

杉本 むしろ小説を読み込んでないからよかったんじゃないでしょうか。手に取った人がイメージを膨らませられたらいいなあと、内容というより「こんなシチュエーションで、こんな登場人物が出る作品ですよ」という思いが伝わるように描きました。

 ひとつの作品が出来上がるのに、それほど時間はかかっていないんです。角川さんからは、横溝作品に加えて、ほかの作家さんの表紙のお仕事もたくさんいただいていましたから。もう、次から次へと仕上げなければならなかったのでね。でも、私はもともとデッサンも速いし、その当時はまだ珍しかったエアブラシ(スプレー式の塗装器具)を取り入れていたので、塗装もとても速く済んだんですよ。作業は並行でしていましたが、1日1枚は仕上げられましたね。

──「イラストがあまりにも怖すぎたので、発禁になったものもある。だから表紙がよく変わった」なんて都市伝説がありますが……。

杉本 そういうこともあるのかもしれませんが……(苦笑)。角川さん側がね、「もっと売れるように」と、刷を重ねるごとに、新しい表紙を描くように要請してくるんですよ。だから違う表紙のものがいくつも存在するんです。後からね、ファンの方に「表紙が違うので買ったら、中身がおんなじだったってことがよくありました」なんていわれるんだけど、僕にそういわれても困っちゃうよねえ(笑)。まあ、おかげさまで作品がたくさん残せてよかったな、とも思います。

 普通、流行作家の作品というのは消えていくものなんだけど、横溝さんのファンは、全然減らないですね。「あの表紙の文庫をなんとかして手に入れたくて古本屋を回っています」なんてお話を、若い人からもよく話してもらいます。現代の作家の方からも「有名になったら、あのイラストを描いた方に表紙を描いてもらうのが夢だったんです」という理由で、お仕事の依頼をいただくこともしばしばありますね。

 横溝作品や金田一さんのファンの集いによくお招きいただくんだけど、「あのときのあの登場人物は、実はこう思っていたんですか?」なんて質問も多くて、困っちゃう。だから僕は、本を読み込んでないからね(笑)。

──50歳を過ぎてから銅版画での作品制作も始めたそうですが、きっかけは?

杉本 今から20年ほど前なのですが、ちょうどそのころからパソコンでのイラストが主流になり始めたんです。僕にはなんだか合わないなあと感じていたんですが、昔それこそ角川などに送った僕の自費出版の作品集を見た人が、「銅版画もやっていたらいいんじゃないの」と言っていたのを思い出して、始めてみました。僕の銅版画は、エッチングという、ペンで彫る技法なのですが、性に合ったみたいで最初からたくさん作品を作ることができました。

 発表していたら海外から多く注文が来るようになりましてね。昔だったら連絡方法はエアメールくらいしかないから、受注が往復で2週間くらいかかったでしょう。今はEmailですぐだから。いい時代に始めたなあと思っています。コンテストに出展したらいつの間にか賞を取っていて、外務省経由で記念の盾が届いたりとか(笑)。

「女・ミカーラ」(杉本一文銅版画集より)

──現在の銅版画もそうですが、杉本さんの作品は人間や動物を掘り下げるように描かれますよね。

杉本 風景を描くよりも、やはり生き物を描く方が好きなんですよね。風景って変わらないけど、人間や動物は思いを込めるとこっちでも考えていなかった表現が出てきたりするしね。また、見る人にはそれ以上に想像してほしいとも思います。

 今年で70歳になりましたけど、この年まで好きな作品を作っていられるのはとても嬉しいことですよ。今回の画集や個展は、これまでなかったほど大規模なものなので、ぜひ多くの方に見ていただきたいですね。

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 なんだか意外なイラスト作成秘話には、横溝作品のようなおどろおどろしさをイメージしていた人々にはちょっと拍子抜けだったかも!?

 しかし、杉本さん自身が、金田一耕助のようなナチュラルさが魅力の人物だったというのは、ファンとしてはたまらない現実かもしれない。

〈プロフィール〉
杉本一文(すぎもと・いちぶん) 1947年福井県生まれ。デザイン事務所で勤務後、イラストレーターとして独立。角川文庫における横溝正史作品のカバーで独特の世界観を表現し、爆発的横溝ブームを支える。50歳を機に銅版画を始め、細密なタッチが世界的にも高く評価されている。

「杉本一文『装』画集〜横溝正史ほか、装画作品のすべて」(アトリエサード発行 税別3200円)※記事の中で画像をクリックするとamazonの紹介ページに移動します 

【書籍】
「杉本一文『装』画集」(アトリエサード発行 税別3200円)
「杉本一文銅版画集」(アトリエサード発行 税別2500円)

【個展の情報】
「杉本一文 装画の世界 / 銅版画の世界」
2017年11月18日(土) ~ 2017年11月26日(日)
場所:六本木ストライプスペース
東京都港区六本木5-10-33 ストライプハウスビル 1F, B1
電話03-3405-8108
11:00~19:00 (最終日17:00まで)
入場料:500円
ご入場のお客様に会場限定特典ポストカードを進呈

【関連イベント】
「ずっと金田一さんの話だけしていたい!#2 杉本一文に横溝カバーアートの話を聞いてみたい」
[日時] 2017年11月23日(木/祝)開場19:00 開始19:30
[会場] 東京新宿Live Wire HIGH VOLTAGE CAFE
[詳細] http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=124236349