現代人は多忙だ。「忙しい」が口癖の方、もしくはつねにそう感じていらっしゃる方も多いのではないだろうか。もちろん、生活に追われ、本当に余裕がないという人もいる一方で、実は多くが「忙しさ」を「盛って」いる、つまり、実態以上に忙しいように見せているところがある。
というのも、「忙しさこそが現代におけるステータスシンボルだからだ」という研究が最近、アメリカで発表され、話題を集めている。つまり、ブランド品を見せびらかす代わりに、「忙しくしている自分を見せびらかしている」というのだ。
ケインズの予言
20世紀を代表する経済学者ジョン・メイナード・ケインズは1930年に、「孫たちの時代には、1週間当たりの労働時間は15時間になる」と予言した。
実際、世界的に見ると人々の労働時間は少しずつ短くなっており、将来的に、人々の仕事はAIやロボットに取って代わられるという見方もある。
ケインズの予言は意外に近い未来にありうる話かもしれないが、今のところはまだ実現には程遠い状況だ。「働き方改革」の掛け声もかまびすしい日本でも労働時間は減少傾向にあるが、世界的に見れば随分と長いままだ。
その実態を知るには、「雇用者(自営業者除く)データブック国際労働比較2016」などによれば、日本人以上に長時間働いているのがアメリカ人である。
年の平均総実労働時間(2014年)は日本が1741時間に対し、アメリカが1796時間。旅行サイト大手エクスペディアの調べによると、有給休暇の取得日数はフランスやスペインが30日なのに対し、アメリカが12日、日本が10日と圧倒的に少ない。
祝祭日数はアメリカが10日なのに対し、日本は17日もあることから、合わせた実際の休暇日数は実は日本のほうが多いことになる。
特にシリコンバレーやウォールストリートのエリートたちのワーカホリックぶりは有名で、若いブルーカラー層の5分の1が職を持たず、働いていない一方で、ホワイトカラー層の労働時間は増加している。
つまり、アメリカ人パワーエリート層は、日本人並みに働きバチだ。金持ちほど、長時間働いているということになるが、かつては、「働かなくてもいいこと」こそが金持ちの特権だった。
19世紀から20世紀初頭のアメリカの著名な経済学者であるソースティン・ヴェブレンは著書『有閑階級の理論』の中で、「金持ちはその暇と贅沢な消費を見せびらかすことで富を顕示した」とし、「暇」こそが権力と富の象徴、と洞察した。
ヴェブロンは見栄や虚栄の消費効果について分析し、見せびらかしたり、虚栄心を満たすための消費の対象となるもの、たとえば宝石などの場合には価格の上昇はかえって消費の増大を招くと主張し、「Conspicuous Consumption(見せびらかしの消費)」という言葉で一世を風靡した。同じように、「暇」も見せびらかすものであった。
ところが、現代ではその逆、「忙しさ」こそが見せびらかしの対象になる、という研究を、コロンビアビジネススクールのシルビア・ベレッザ准教授らが昨年12月に発表し、大きな話題となった。
つまり、宝石やブランド物、高級車などの「見せびらかしの消費」やゆったりとしたバケーションなどの「見せびらかしの暇」ではなく、「忙しいこと」がステータスシンボルであるということだ。
この理由について、研究では「忙しいということは、その人に対する需要が高いということを示す。有能で野心があり、人から望まれる資質を持っているということであり、ダイヤモンドや車や不動産といったものより、忙しいということのほうが希少価値を持っているということになる」と説明している。
「空港ラウンジカレー」投稿の深層心理
「忙しさ」自慢は持ち物自慢より、いやらしくないため、ついついやってしまうことが多い。その代表例がソーシャルメディア上にはびこる「出張自慢」ではないだろうか。
「××空港にチェックインした」「○○へ行ってきます」「△△に来ました」等々。筆者もしばしば投稿するが、日常の仕事にさして、面白い出来事もないので、出張という「非日常経験」についてならアップしてもいいだろう、という気持ちもわかる。しかし、その奥底に「忙しさ」自慢の心理がまったくないとも言い切れない気がする。
特に、「出張自慢」の極めつきは、「空港ラウンジカレー」である。空港の航空会社のラウンジでカレーを食べ、それをアップする人をよく見かけるが、「出張で忙しい」×「ラウンジを使える」=「よく出張に行っている」のダブルプレステージを知らず知らずに誇示している節がある。
「忙しさ」がステータス化している中で、「より忙しく見せる」、つまり、忙しさを「盛る」人たちも増えている。大手広告代理店のハバスワールドワイドが1万人に行ったグローバル調査では、「42%の人たちが自身の忙しさを誇張し、60%がほかの人は『実態以上に忙しいふりをしているだろう』と思っている」という結果だった。
「うそをつく、人をだますということではなく、働き手の価値がどれぐらい忙しそうかで決まることを承知しているからこそ、あえて、誇張する」のだという。この誇張度合いが最も高かったのが、1980年代~2000年初頭までに生まれたミレニアルと言われるデジタルネイティブ、ソーシャル世代だ。
「誇張している」という割合は51%に達し、「ほかの人も同様に誇張している」と思っている人の割合も65%と高く、まさに「忙しさのメガ盛り」世代ということらしい。一方で、戦後生まれのベビーブーマー世代の「盛り」率は26%と低かった。
日本人は「世界一、休みを欲しがっていない国民」
この「忙しさ」信仰は特にアメリカでは顕著だが、逆に、階級社会であり、余暇を重視するヨーロッパでは、いまだ、「暇な時間」があることがソーシャルステータスと結び付きやすいのだという。
日本は、この2つの座標軸の中でいうと、アメリカに近いように感じる。余暇の過ごし方なども、たとえば、ヨーロッパ人なら、1カ所にじっくりステイして、何もしない時間などを楽しむが、日本人はせわしなく、いろいろと観光して回ろうとする。
前出のエクスペディアの調査では、日本人は有給休暇消化率が世界一低いにもかかわらず、「休みが不足している」と感じる人は約3割で、「世界一、休みを欲しがっていない国民」という結果だった。逆に、休み不足と感じる人が最も多かったスペインは、有給休暇が30日も付与されており、その消化率は100%だが、それでも満足していなかった。
つまりは、「働きバチ」日本人は、休むのが極めて苦手で、「忙しさ」に価値を見いだす国民性であるということだ。「暇」には慣れていない日本人だけに、「働き方改革」による労働時間の短縮に戸惑う人も多いようだ。
早く帰るように指示されたサラリーマンが、家になかなか帰らず、寄り道をして帰る「フラリーマン」化しているという特集をNHKが放映し、話題を呼んだが、突如出現した「スケジュールの空白」は「忙しさ」をカルト信仰している日本人からすれば、困惑以外のなにものでもないだろう。
「忙しさ」が現代のステータスシンボルであり、高い価値を持つのだとすれば、画一的な「働き方改革」は「忙しく働き続けたい」という肉食系サラリーマンには苦痛以外のなにものでもない可能性がある。
「働き方改革」には「有り余る時間」というものの使い方に慣れない日本人のための「『忙しさ』に代わる新たな価値創出」といった視点も求められているのではないだろうか。
ケインズは「(15時間労働の到来とともに)自由と暇をどう使うかが大きな課題になる」と予言したが、まさに、その「暇対策」は日本人のリソースを再分配し、活用する絶好の機会にもなるだろう。学びの機会、社会貢献の機会、そして、多くのビジネスチャンスにもつなげることができるはずだ。
岡本 純子(おかもと じゅんこ)◎コミュニケーション・ストラテジスト 世界水準のパブリック・リレーションズ&スピーキングを通じて、企業やプロフェッショナルの「発信力」強化を支援するコミュニケーションのスペシャリスト。欧米の最先端ノウハウやスキルを基に、アクティング(演劇)の手法を取り入れたコミュニケーションコーチングやグローバルリーダーシップ人材育成・研修、日本企業のPR支援に力を注ぐ。これまでに1000人近い社長、企業幹部のプレゼン・スピーチコーチングやコンサルを手掛け、リーダーシップコミュニケーションの造詣が深い。読売新聞経済部記者、電通パブリックリレーションズコンサルタントを経て、株式会社グローコム代表取締役社長。早稲田大学政経学部政治学科卒、英ケンブリッジ大学院国際関係学修士、元・米MIT(マサチューセッツ工科大学)比較メディア学客員研究員。