噴火で避難生活を送った口永良部島の住民をねぎらわれた(11月16日)

「両陛下は、16日の昼過ぎに特別機で屋久島空港に到着されました。屋久島では出迎えた多くの地元住民に笑顔で応じられていましたよ」(皇室担当記者)

 11月16日から18日の2泊3日で鹿児島県の屋久島、与論島、沖永良部島を訪問された天皇・皇后両陛下。

 おふたりが同県を訪れるのは'03年のとき以来、14年ぶり。屋久島は皇太子ご夫妻時代の'72年以来の45年ぶりで、与論島と沖永良部島は初めてのご訪問となった。

「16日の午後には『屋久島総合センター』で、'15年5月の噴火災害で一時離島を強いられた口永良部島の住民数人と約30分、懇談されました。

 この日は口永良部の島民の半数近くが同施設に集結し、両陛下を歓迎していました」(前出・皇室担当記者)

 この場で、おふたりと懇談した寺田仁奈さん(36)は、美智子さまからかけられた言葉に励まされたという。

私はまだ幼い子どもが2人いて、そのことを中心にお話ししたのですが、熱心に聞いていただいて感激しました。

 美智子さまは子どもたちをとても気になさっていて、“大切にお育てください”と温かいお言葉をかけていただきました。

 子どもがとても大切だと感じましたし、自分の子どもだけではなく、島にいる子どももみんなで大事に育てていきたいと思いましたね

 翌17日は与論島に移動され、沖合に浮かぶ幻の砂浜といわれる『百合ケ浜』を見学した後、地元の伝統芸能『与論十五夜踊り』をご鑑賞。

 最終日の18日には沖永良部島の小学校で、児童の黒砂糖作りを視察して帰京された。

両陛下が何度も足を運ばれてきた「離島」

 実は、今回の鹿児島県で全都道府県を二巡したことになる両陛下だが、以前から今回のような「離島」に何度も足を運ばれている。

'93年に歴代天皇としては初の沖縄県、同年に北海道・奥尻島など国内の数々の島を訪問されています。

 '94年の小笠原諸島では、『失声症』に苦しまれていた美智子さまが、父島のアオウミガメの放流を視察しているときに声を取り戻す劇的な出来事がありました」(皇室ジャーナリスト)

 噴火によって避難生活を余儀なくされた三宅島の住民にも心をくだかれていると話すのは、元宮内庁担当で産経新聞記者の山本雅人さん。

屋久島町で歓迎の横断幕を用意して待っていた島民に笑顔で対応された(11月16日)

「'03年と'06年に三宅島を訪れている美智子さまは、'02年のお誕生日に際して、こう話されています。

《島民の健康を祈り、また島に常駐したり、通ったりして島の復旧に尽くしておられる人々の苦労を偲びつつ、1日も早く三宅の自然が美しくよみがえり、帰島の日の訪れることを念じています》

 両陛下は、三宅島の避難民が農業を継続するために新設した農園を視察したり、御料牧場で作られた牛乳を送り届けるなど、何度も避難民を励まされていたのです」

 これまで50以上の「離島」を旅されているのは、おふたりの強いご意向があるからだという。

「昨年8月に陛下が発表されたビデオメッセージでも“日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました”と話されています。

 遠く離れたところで暮らす人々にも、心を配られているのでしょうね」(前出・皇室ジャーナリスト)

 国民にくまなく心を寄せられる両陛下の“離島への旅”はまだまだ続きそうだ。