名物クイズ番組の司会者を務めた、福澤朗(左)と柳生博(右)

 “ハンターチャンス” “ファイヤー”といったかけ声とともに、MCとして名物クイズ番組を盛り上げてきた柳生博(80)と福澤朗(54)。当時を振り返りながら、人気番組ならではの苦労や印象深かった出来事を語ってくれました。

まさか都市伝説が生まれるとは思わなかったね(笑)

「番組の名前を決めるとき、僕も会議に出ていました。放送は当初、9時半からのスタートだったんですよ。じゃあ、タイトルどうしようっていろいろ と話し合っていく中で“9時半だ、クイズ半だ、クイズハンターだ”って語呂合わせで決まって。もうみんな大ウケだったね(笑)」

 そのやさしい笑顔は当時のまま。’81年から週5日の帯で放送されたテレビ朝日系の『100万円クイズハンター』のMCを務め上げた柳生博(80)。

回答者として『平成教育委員会』にも出演

「番組は日曜に5本、まとめて撮るんです。毎回4人の回答者がいらっしゃるから、打ち合わせでどういう人なのか、全員の情報を覚えます。収録はほぼ30分で終わって、編集もほとんどなかったから、生放送と勘違いしている人もいましたね。

 別の番組で海外に行くことになると、1日で8本分まとめて撮ることも。無茶する時代だったんだよね。さすがに8本目は倒れそうでしたけど」

 当時は、NHKの連続テレビ小説や昼のメロドラマ、映画などに出演、俳優としても多忙を極め、この番組も含めてなんと年間700本以上の番組に出演していたそう。『クイズハンター』はハンマーで解答ボタンを早押しする斬新な演出や、相手の商品を横取りする際に柳生が発する“ハンターチャンス”などのかけ声が話題となり、12年も続く人気番組に。ときには、こんな都市伝説も生まれた。

「本番中に、おなかの大きなお母さんに“柳生さん、おなかなでて”と言われて。理由を聞いたら大きい手でなでられると安産になるからって。

 そしたら後日“安産ですこやかに生まれました”という手紙が届いたんです。そこから“柳生におなかをなでてもらうと安産になる”という都市伝説がなぜか当時、広まりました」

 ウワサはさらにヒートアップ。

「それがエスカレートして、今度は“握手をすると子宝に恵まれる”という話にまでなって。毎回、4人の回答者とそれぞれの応援団が合計40~50人スタジオにいらっしゃるんですが……あれだけ握手した番組は後にも先にもないと思いますね(笑)

 一方、『平成教育委員会』では生徒として回答者に。

これは初めて話しますが、僕は(ビート)たけしさんの大ファン。ツービート時代に漫才を見たときから大好きなんですよ。天才が出てきたんだと。だから、たけしさんが司会をやると聞いてぜひ出演しようと思いました」

 番組では、最優秀生徒を目指し、ラサール石井や辰巳琢郎らと火花を散らした。

「問題は難しかった。ラサールくんなんて実際に受験を勝ち上がってきているから強いんです。収録の前日は不安で、子どもの中学とかの教科書をよくパラパラとめくって読んでました(笑)。そしたら、子どもから“何してるの?”って聞かれて。“また(最優秀生徒になるともらえる)ブレザーもらってくるから”と言うと喜んでましたね」

 思い出を楽しそうに振り返ってくれた柳生は、1月7日に81歳になるが芸能活動を続けながら、『日本野鳥の会』の会長を務めるなど精力的に活動。雑木林のすばらしさを知ってもらいたいと’89年、山梨県に自らの手で作った『八ヶ岳倶楽部』の経営にも携わっている。

「お店に“クイズハンターの応援席に行ったことあります”というお客さんがよくいらっしゃいますね。この前は“柳生さんにおなかをなでていただいたときの子です”というご家族もいらっしゃって。この番組をやらせていただいていろんな出会いができたんです。そういうとき“やってよかった。楽しかったな”って、ふと思い出しますね」

『ウルトラクイズ』は、人生最大の極限と無気力状態に!

 入社4年目で先輩アナの福留功男から引き継ぎ、『全国高等学校クイズ選手権』を10年、『アメリカ横断ウルトラクイズ』を2年担当した福澤朗(54)。

「『高校生クイズ』は6月から地区予選がスタート。土曜に現地入りして日曜にロケ、最終便で東京に戻ってくる生活が7月中旬まで続きました。朝起きて一瞬、自分がどこにいるかわからなくなることもありました。

「ジャストミート!」のフレーズが大ブレイクした福澤朗

 その後、夏休みに入ると地区代表を決める大会があって、8月に全国大会なんです。そんな生活を10年ですから。僕にとって夏=高校生クイズで、今でも夏の暑い日に広い場所へ行くと、その当時を思い出しますね。

『ウルトラ』は、20代のペーペーによくこんな大番組の司会をやらせたな、と。『高校生クイズ』は先輩的な感じでやれたんですが、『ウルトラ』の出演者は僕よりも年上の方が多かった。今なら人生の酸いも甘いも噛み分けた者同士、うまくできると思うんですけど(笑)

 忘れられないのは’91年、東京ドームで行われた『ウルトラ』の第一次予選でのこと。福留が番組降板を告げると、参加者から“福留コール”が巻き起こるなど異様な雰囲気に。福澤はそこへ登場しなければならず、「お金を積んで立ち去れるなら、いくらでも積む(笑)」と思ったほど人生最大の極限状態に。意を決して外野から「ジャストミーーーート!」と絶叫しながら登場。

「よく息が続いたなと思いますね。でも“このまま倒れて病院送りになればやらなくてすむ”という気持ちもありました(笑)」

 その後の海外ロケでは毎晩、問題の下読みや打ち合わせなどで、ほとんど熟睡できなかったという。

あそこまで追い込まれたのは初めてで、ずっと気持ちがオンの状態。それでようやく翌日帰国という夜、ベッドから落ちたんですよ。熟睡したんでしょうね。一瞬何が起きたのかわからなかったんですけど、あー終わったんだ、と。しかも、帰国して約1か月間、無気力状態になってしまいました。精も根も尽き果てたんでしょうねぇ(笑)」

 また、逸見政孝さんの後任として、’94年から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』の2代目店主を務めた経験も。

「内容ができあがっている番組を継ぐのは本当にしんどいんです。比較されるところから始まりますからね。やっぱり番組を立ち上げるところから携わるほうがいいですよ。

 なので1回目から司会をやっている『最強の頭脳 日本一決定戦! 頭脳王』は楽しいです。類いまれなる天才たちが集う頭脳祭りを見ていると、こういった人たちがいれば日本は大丈夫だなと思いますよ。年末に予選があって1月に決勝戦を放送予定なので、楽しみにしていてください」

 視聴者、司会、回答者のすべてを経験した。

「今はおもしろいところ、笑えるところしか放送で使わないけど、本来クイズは泣けて、しみて、考えさせるもので、そこには“負けの美学”がある。プロレスも同じで、正々堂々と戦って負けた選手にも惜しみない拍手が送られる。だから、クイズ番組にはまだまだ可能性がありますよ。

 僕は今『ウルトラ』のようなクイズドキュメンタリーをやりたいんです。同じ高校に通っていた3名でチームになって戦う『“元”高校生クイズ』なんてやったら楽しいでしょうね。当時、番組を見ていた世代の人たちの人生には悲喜こもごもがあるはずなので、おもしろくなると思いますよ。そんな同世代の人たちを“燃え尽きるのはまだ早い、人生後半、燃えてゆけ、ファイヤー”って応援したいですね」


<プロフィール>
柳生博◎1937年生まれ。茨城県出身。『100万円クイズハンター』のMCを務める。NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』や、映画『ミンボーの女』など役者として幅広く活躍。『生き物地球紀行』ではナレーションを担当。’04年からは『日本野鳥の会』の会長に就任

福澤朗◎1963年生まれ。東京都出身。’88年、日本テレビ入社。『アメリカ横断ウルトラクイズ』『全国高等学校クイズ選手権』ほかMCを務める。『全日本プロレス中継』での“ジャストミート!”のフレーズで人気に。’05年フリーとなり各方面で活躍。日本酒アンバサダーでもあり近著に『日英対訳 ときめきの日本酒』(文芸社)が