かつて虐待してきた母親との関係を10年かけて修復しつつある田中さん

 10月28日、北海道・伊達市で19歳の女性が父親の背中を数回刺した。父親は自ら救急車を呼んだという。彼女は両親、妹2人、弟の6人家族。

 無職の父に代わり、彼女が働いて一家を養っていた。幼いころから父親の暴力がひどく、事件後、「殺せば状況が変わると思った」と述べている。

 同じく北海道・南幌町では3年前、女子高校生が祖母と母を殺す事件が起こっている。彼女は真冬に全裸で外に立たされ、水をかけられたり、生ゴミを食べさせられたりしていた。

 祖母の犬を散歩させるため、門限は夕方5時で、いつも走って帰っていたという。そして、いつしか少女には祖母と母への殺意が芽生えた。同居する姉もまた、「祖母と母がいなくなればいいと思っている」と知り、彼女は決意した。

虐待の定義

 この事件を知った彼女の同級生やその親たちは非公開の家庭裁判所での審理を求める署名1万人分以上を集めて札幌地検に提出している。

「被害者はこの子のほうだ」という同情の声は大きかった。

 決して、このふたりが特別だったわけではない。ネットには「親を殺したい」という子どもたちの書き込みが複数見られる。そして、その裏には虐待という実態が潜んでいることが多い。

 日本で児童虐待防止法が施行されたのは2000年。児童とは18歳未満で、現在の虐待の定義は以下のとおりだ。

1.身体への暴行

2.児童へのわいせつ行為と、わいせつ行為をさせること

3.心身の正常な発達を妨げる減食・長時間の放置

4.保護者以外の同居人による前記の行為と、その行為を保護者が放置すること

5.著しい暴言・拒絶的対応・著しい心理的外傷を与える言動を行うこと

「中学生になったころから母親を殺そうとずっと思っていました」

 そう話すのは、会社員の渡辺美佳さん(仮名・27)。母親は結婚しないままに美佳さんを出産し、飲食業を営む祖母と3人で暮らしてきた。

小さいときから母の束縛がひどかったんです。何もかも母の決めたとおりでないと殴る蹴る。しかも顔や手足など見えるところには痕を残さない。高校を決めるときも母が勝手に自分の卒業した高校を受験する手はずを整えていた。

 でも、私は内緒で行きたい高校を受験しました。そこに受かってからも“おまえはバカ、あんな学校に行って”と嫌みを言われ続けました」

3年前の大ゲンカで発した言葉

 自分の人生が母に支配されていると痛感したそのとき、美佳さんの心にたまった殺意があふれ出た。深夜、台所で包丁を握りしめる。今なら母は熟睡しているから刺せる。

 だが、そこでふっと祖母を思った。母を刺殺したら、祖母は孫に娘を殺されたことになる。祖母を苦しめたくなかった。いっそ自分が死のうかとも思ったが、祖母が悲しむ。彼女はまな板に包丁を思い切り突き刺し、そのままにしておいたという。

「そのころ、高校で担任が顧問をやっている部活に無理やり入れられたんです。高校と地域の店がコラボして商品を作る部活で、最初は興味を持てませんでした。

 でも、地域の人たちと話し合って商品を開発して、イベントに出店したときはうれしかった。先生は私に会計係を命じてくれました。責任を感じて、それからは部活に夢中になりましたね」(渡辺さん)

 それと同時に、母親の過干渉もそれほど気にならなくなった。それでも数年前まではたびたび衝突。殺意を抱くこともあった。極めつきは3年ほど前の大ゲンカ。

「あんたなんか産まなきゃよかった」と言った母親に、「よく知らない男に股を開いた女に言われたくない」と言い返した。母親は黙り込み、以来、あまり干渉しなくなったという。娘が母親を乗り越えた、と母も実感したのかもしれない。

「成長する過程で、親から離れて精神的に自立するプロセスとして親の死を願うことはありますが、実際に手をかけることとはまったく違う」

 そう言うのは、大妻女子大学人間関係学部教授で心理学者の福島哲夫さん。程度の差こそあれ、虐待されて育った子どもは親の気持ちばかり忖度し、いい子として頑張ってしまうケースが多いそうだ。

 成長して親を憎むことがあったとしても、それをすぐ自分で否定して罪悪感に悩む。そう仕向けられ育っているのだ。

「クソ」「死ね」と日常的に言う親

「心理学に『ストックホルム症候群』というものがあります。誘拐事件や監禁事件などの被害者が犯人と長時間過ごすことで、犯人に過度の同情や好意を抱くことをいいますが、虐待された子どもも同じような心理に陥っていることが多いんです」(福島さん)

 福島さんは都内でカウンセリングルームを主宰している。母親が「子どもに問題がある」と連れてくるのだが、母親に席をはずしてもらって子どもだけに話を聞くと、ふだんから「バカ、ブス」と罵倒されているケースが多いという。

「クソ、死ね、は当たり前のように言っていますね。それが言葉の暴力だと親は思っていないようです」(福島さん)

 必然的に、子どもは世の中の大人を信頼できなくなる。カウンセリングをすると、「こんなに自分の気持ちをわかってくれる大人がいたなんて」と驚く子どもたちもいるそうだ。どんな家庭で育っているか、がよくわかる。

「子どもたちには、選択肢がないと思いつめず、どこかに自分を救ってくれるマシな大人がいるはず、と学校や近所で周りを見渡してみてほしい」(福島さん)

 厚生労働省によれば、昨年度に対応した児童虐待件数は、過去最多の12万2578件。前年度より1万9292件増えた。虐待死は前年度比で13人増の84人だった。厚労省で同調査が始まったのは1990年。その年、1101件だったことを考えると現在は120倍となっている。

 実際に虐待件数が増えているのか、虐待を通報する意識が高まったからなのか、はわからない。しかし、虐待の対応にあたる児童相談所の職員数は1000人程度しか増えていない。圧倒的な人手不足だ。

 32年間、児童相談所に勤務し、現在は『子どもの虹情報研修センター』のセンター長を務める川崎二三彦さんは、児童相談所の職員たちの苦労をこう代弁する。

「“虐待かも”という通報が児相に入れば、必ず対応しなければいけません。手遅れとなって子どもに被害が及べば責任を問われ、批判にさらされます。

 今は『189』に電話をすると、近くの児相につながるシステムが構築され、通報しやすくなっていますが、たった1人の子どもを助けることも簡単なことではありません

 例えば、「近所のどこかから子どものひどい泣き声がする」という通報があった場合、まずは子どもがどこの誰かを特定しなければいけない。それだけでも大変な作業だが、多くの親は虐待行為を否定し、「しつけだ」などと主張するため、虐待か否かを判断するのが難しい。

 さらに、児相職員が虐待の加害者である親から暴力を受けるケースも決して珍しくない。身の危険を防ぐため、警察官の援助を受けざるをえない事例も相当数にのぼるという。

「私も暴力を受けたことがあります。深刻な虐待で、命の危険さえある子どもを職権で保護したのですが、“おまえらにそんな権利があるのか!”“国家による誘拐だ!”と反発する保護者との面接は9時間に及びました。その途中で暴行を受け、眼鏡も吹っ飛びました」(川崎さん)

虐待は世代連鎖する

 子どもを保護したあとは、子どもの心理的なケアをし、保護者とも話し合いを続け、子どもを親元へ返せるかどうか慎重に検討していく。どうしても親が育てるのが不適切と判断された場合は、里親への委託や児童福祉施設入所などの対応も必要となる。

児相の統計によれば、“虐待されている”と子ども本人が通報してくるのは約1パーセント。96パーセントは近所や先生など周りの人からです。言い換えれば、周りが気づいて連絡してくれなければ、虐待はエスカレートします。

 中学生くらいになると、家出や非行、自殺などの行動を起こすこともあり、事態は複雑かつ深刻になります。

 親はよく、“自分はもっとひどい暴力を親にふるわれたけれど、今ではこうしてきちんと仕事をしている”と言ったりしますが、よくないと思っていても実際、自分が叩かれて育つと、暴力を介さずに子どもと接する方法がわからないんです」(川崎さん)

 虐待は世代連鎖する可能性も高いのだという。

 田中由香里さん(仮名=45)にとって、物心ついたときから母親は怖い存在だった。些細なことでもヒステリックに怒鳴りちらし、殴られたり物を投げられたりするのは日常茶飯事だった。

 ちょっと部屋を片づけなかっただけで、夜中に叩き起こされて片づけさせられたこともある。彼女が中学1年生のとき、親は離婚。その後は母の実家で祖父母と暮らしたが、母の暴力と暴言は続いた。

「“そんなこともできないのか、この役立たず。父親と同じだ”と人格否定がすごかった。お小遣いももらえなかったし、いつも否定され、拒絶されている感じでした」(田中さん)

 あとで知ったことだが、母は自分の母に愛されていなかった。結婚した夫は一流企業に勤めていたものの人間関係でつまずいて退職。それからは酒を飲んでは暴れた。そのストレスが娘に向かったのかもしれない。

 そして由香里さんは、母に虐待されると、7歳年下の弟をいじめた。心のゆがみや虐待は弱いほうへとしわ寄せが来る。10代のころはいつか母を殺してやろうと思っていたそうだ。

刺殺より、素手でぼこぼこにして苦しむところを見たいと思っていた。ただ、自分の手を汚したら負けだという気持ちが殺意を上回った。私、空手を習っていたんですが、その先生がとてもいい人で、ときどき自宅でごはんを食べさせてくれたんです。親のことは話せなかったけど、今思えば救われていたんですね」(田中さん)

 彼女は26歳で結婚し、そこからカウンセリングを受けるようになった。そして虐待や内省、心理学などを勉強。母親にもさまざまな講座の受講をすすめた。10年かかってようやく母も気づき、彼女に謝ってくれたが、由香里さんの心がすっきり晴れたわけではない。それでも、なんとか母との関係は修復しつつある。

 このように親との関係を再構築できる人もまれにいるが、虐待された子の多くは親を見限ることができずに苦しむ。

「そんな親は捨ててしまってもいいんです」

「子どもの虐待」をテーマに千葉で開催された今さんの講演会。当事者らも参加

 虐待された人たちからの手紙を集めた本『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』の編著者である今一生さんは、そう断言する。

虐待から逃れる方法

「虐待する親の共通点は、社交性があるように見えて孤立している、家の中のことを話すのは恥だと思っている、相談相手を自分で調達できない、など。子どもは親の笑顔が見たくて、叱られないようにいい子であることを自分に課すようになります」(今さん)

 では、虐待から逃れるにはどうしたらいいのだろう。

「経済的に自立できるようになれば、虐待する親からいつでも避難できます。実際、14歳の起業家もいます。小学生のうちからそういう教育をすれば救われる子が増えると思うんです」(今さん)

 また、意外にも子育て支援の取り組みが虐待防止に役立つ、と今さんは期待する。

「子どもの送迎や託児を頼り合える仲間を作る『アズママ』という会社があります。スーパーなどでイベントを開き、集まったママ同士をつなげ、1時間500円程度で子育てを助け合える仕組みを全国で事業化しています。

 虐待する親は、そもそも虐待の意識がないし、孤独だからそういう場には来る。そこで他の家庭、他の子育てがオープンになると虐待児を発見しやすくなる。当の子どもが自分の家の異常さに気づくチャンスにもなる」(今さん)

 そして周りができることは、とにかく異変を感じとったら、189に電話すること。普通ではない子どもの泣き方、不可解な親の怒鳴り声が聞こえる、いつも同じところに座り込んでいる子がいるなど、何かおかしいと思ったら通報したほうがいい。

 虐待されている子の命が失われないために、そして虐待された子が長じて親を殺したりしないために─。

<取材・文/ノンフィクションライター 亀山早苗>