日本では生き方の多様化が進む一方、「生きづらさ」を感じている人も少なくない

 フランスに住んで7年目になる筆者が、外から日本を眺めていてここ数年で強く感じるのは、日本に大きな変化が起き始めているということだ。それを象徴するのが「多様化」という言葉を頻繁に聞くようになったことにある。

 なかでも多様化が顕著なのは、働き方だろう。ワーク・ライフ・バランスや、在宅ワークなど、新しい言葉もよく聞かれる。また、若い世代では、正社員になること以外に、フリーランスや、起業家として、ほかには、都会よりも地方へ移住するなど、働き方のスタイルの選択肢は増している。

「婚活」をしにパリに移住した

 結婚や子育ての価値観やスタイルにも多様化が見られる。結婚は「誰もが当たり前にするもの」から、できないもの、しないもの、いろいろな理由を含めてシングルで生きる人も一定数いることが認識され始めている。

 結婚情報誌『ゼクシー』のTVコマーシャルでは、「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです」と、言い切っているところからも、明らかに結婚観の変化が起きていることがわかる。

 しかし、日本で多様化という言葉が広がり始めていることに違和感が漂う。日本と多様化というのはまるで、水と油のように、交わらないもののように感じるからだ。

 そもそも、日本には(日本人にしかわからない)大企業に勤める「きちんとした人」と結婚して、子どもを持ち、育てる、という「王道のスタイルの生き方」がいまだ堂々と生き残っている。

 だからこそ、そこから外れた人が出てきた場合や、逆に王道を押しつけるような事態が発生した場合、炎上するのだろう。

 前置きが若干長くなったが、筆者がフランスに移住しようと思ったきっかけは婚活だった。

 30歳を目前に、東京で編集の仕事をしていた頃、失恋と失業をほぼ同時期に体験し、先行きの不安を結婚することで解決しようと婚活に励んだが、逆効果だった。頑張れば頑張るほど精神的に追い込まれてしまう。

 いろいろあって、苦しみの反動で、日本を出て世界で婚活をすることを決意し、世界を旅しながら、日本の外の恋愛観、結婚観をレポートしてみることにした。

 すると、人生初めて訪れたパリでその後の人生を変えるほどの衝撃を受けることになる。パリでは、日本ともほかの国とも違う多様な恋や結婚観を実践している人たちが生きているのを目の当たりにしたからだ。「婚活などしている場合じゃない」。そう思った私はすぐさまパリへ移住した。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

パリに住む日本人女性も自由に生きている

 実際にパリに住んでみると、恋、結婚だけでなく、あらゆる多様な生き方、価値観があることがわかった。

 私と同じ日本人女性であっても、パリで周りの目を気にすることなく、軽く10歳ほど年下のパリジャンと恋をしていたり、事実婚をしている女性にも何人も出会った。

 最初から結婚はしないと決めて(男性側は、親の結婚生活を見て嫌気がさし、女性側は親の離婚を見て結婚はしないと決めていた)2人の子どもを産み、育てているフランス人カップルもいた。

 最近では、同性婚が認められたことにより、男性同士、女性同士で結婚しているカップルも増えているし、同性カップルがベビーカーを押している光景も見掛ける。

 また、カフェやレストランで、親と子で肌の色が異なる組み合わせの家族を見て、養子を迎えているんだな、と気がつくこともある。

 日本ではありえないと一番驚いたのは、幼児の頃韓国の道端に捨てられていた、という女性が、フランスの家庭に養子に迎え入れられて、後に大臣にまでなったことだ(元文化・通信大臣のフルール・ペルラン氏)。

 こうした生き方を目の当たりにして、いろいろなことに気がついた。それは、これまで生きてきた30年間、いかに自分が日本社会の「○○であるべき」という王道の基準に自分を合わせて生きていたかということだ。

 それが原因となって、重苦しい鎧(よろい)を着ているような「生きづらさ」を長年感じていたのである。

 日本を離れ、社会や世間、他人の基準を気にせず、自分が好きなように生きられるパリでは、重い鎧を脱ぎ捨てて素の自分になるような開放感を味わった。

 ところが、だ。脱ぎ捨てたはいいが、今度は「素っ裸の自分」になり多様で自由な社会の中に放り出されたことで、「あれ? 自分って、これでいいんだっけ?」と、まったく参考にする基準がないことに戸惑い始めてしまったのである。

 30年間生きづらいとは感じていたものの、王道の基準をあてにできるのは楽なことであり、自分が想像していた以上に、しみ付いていたのだ。

バレンタインデーの過ごし方は?

 パリジャンたちは、幼いころから個を持つように教育された筋金入りの自分を持った人たちだ。道行く人に声をかけて、恋や愛についてインタビューすることがよくあるのだが、声をかける度、2人として同じ答えがないことに驚かされる。

 たとえば、バレンタイン商戦で盛り上がるモールで、バレンタインデーの過ごし方について街頭インタビューしたときのこと。アムールの都だけにさぞかし恋人同士たちは盛り上がるかと思いきや、熱烈にいちゃついていた10代カップルの答えは、「バレンタインなんて商業的なイベントにわざわざ何をする予定もない。僕たちは若者だからおカネもないし」と驚くほどクール。

 付き合って数年経った風情の落ち着いた20代のカップルは、「私たちは音楽家で、コンクールで忙しくてそれどころじゃない。落ち着いたら、まあレストランにでも行くかも」と、これまた関心がない様子。

 ならばと、年齢を一気に上げて定年退職カップルに話を聞いてみたところ、「バレンタインというより、私の誕生日だから毎年、南仏の海辺の別荘でプチバカンスを過ごしている」ということで、1つの行事でも人によって過ごし方はそれぞれなのだと思った。

 多様な社会というのは、このようにいろいろな自分を持った人が生きている社会である。こうした中で生きるには、しっかりと自覚して自分というものを持たなければならない。多様な社会のパリに、素っ裸で放り出された形になった筆者も「自分はどうありたいのか?」を考えるところから始めた。

 その答えは、他人や社会の中にあるわけではなく、自分の中にしかない。当初はとまどったが、周りにはあらゆる多様な生き方を実践しているパリジャンのサンプルがゴロゴロいたので、「あれはいいな、これはいやだな、こんなのもありなのか!」と、自分の基準を確かめるのに参考にすることができた。

 30年間という月日でしみ着いてしまった、王道の基準を参考にする習慣を改め、自問自答する習慣を身に付けることは簡単なことではなかった。チリが積もるように少しずつ、忍耐強く確かめてゆく訓練のようなものだった。

鬱々した気分になることが減った

 こうして数年経過した頃、自分に変化が起きていることが分かった。

 それまでは、フェイスブックなどSNSで他人の生活をのぞいた際、自分と他人を比べて、鬱々とした気分になっていたのだが、その回数が減っていることに気が付いた。

 鬱々となる一歩手前で、「でもそれ、本当にうらやましいと感じるか?」と、ワンクッションおいて、自問自答する習慣が身に付いたのだ。結果、むやみに他人と比べて嫌な気分になることが減った。

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 ここ最近は、肩の力を抜いて気楽に生きている、と実感できている。多様な価値観やシステムがある社会の中で生きることは、他人のわがままと付き合うことでもあり、嫌な思いをすることもある。が、同時に自分目線で見れば、自分のペースで生きられるということでもあり、とても自然で心地がいい。

 とはいえ、日本人がパリジャンのように極端にわがままな自分を持つことはオススメできない。が、これまで社会、世間、他人の基準に自分を合わせていた習慣を、自分に合わせるように意識してみてはどうだろうか。

 足元ではさまざまな生き方が出てきているのに、誰もが参考にする基準が1つだけでは、これからの日本はますます多くの人にとって生きにくい環境になりかねない。けれど、多くの人が世間ではなく、「自分」を意識して生きていけるようになれば、本当の意味での多様で、ワクワクできる社会が訪れるのではないだろうか。

 「自分」を意識するというのは、自分と、そして、他人を尊重するということでもあるのだ。


中村 綾花(なかむら あやか)◎ラブジャーナリスト、ライター 1980年福岡県生まれ。県立長崎シーボルト大学(現・長崎県立大学シーボルト校)国際情報学部情報メディア学科卒。2010年に「世界婚活」プロジェクトを立ち上げ、世界婚活の旅へ。2012年、世界婚活中に出会ったフランス人と結婚し、現在はパリにてLOVEを調査中。その軌跡をまとめた『世界婚活』(朝日出版社)が好評発売中。日仏カップルや、現地のフランス人・日本人にインタビューをする日々。パリを案内するプライベートガイド「パリジャンガイド」としても活動中。