『注文をまちがえる料理店』。
このちょっと変わった名前のレストラン。どんなレストランだと思いますか?
実は、このレストランで注文をとったり、配膳をしてくれるのはみんな“認知症の状態にある人たち”なんです。
ハンバーグのはずが餃子?
認知症を抱える人が注文を取りにくるから、ひょっとしたら注文を間違えちゃうかもしれない。だから、あなたが頼んだ料理が来るかどうかはわかりません。でも、そんな間違いを受け入れて、むしろ間違えることを一緒に楽しんじゃおうよ、というのがこの料理店のコンセプトです。
申し遅れましたが、僕はこの『注文をまちがえる料理店』を企画した発起人の小国士朗といいます。普段はテレビ局のディレクターをしています。そんな僕が、このヘンテコな料理店を作ろうと思ったきっかけは、2012年に経験した、ある「間違い」でした。
そのとき僕は、ドキュメンタリー番組の制作で、認知症介護のプロフェッショナル、和田行男さんのグループホームを取材していました。
和田さんは「認知症になっても、最期まで自分らしく生きていく姿を支える」ことを信条にした介護を30年にわたって行ってきた、この世界のパイオニア。和田さんのグループホームで生活する認知症の方々は、買い物も料理も掃除も洗濯も、自分ができることはすべてやります。
ロケの合間に、おじいさん、おばあさんの作る料理を何度かごちそうになっていたのですが、その日の食事は強烈な違和感とともに始まろうとしていました。
というのも、僕が聞いていたその日の献立は、ハンバーグ。でも、食卓に並んでいるのはどう見ても、餃子です。ひき肉しかあってない……けどいいんだっけ?
「あれ、今日はハンバーグでしたよね?」という言葉がのど元までこみ上げたのですが、うっと踏みとどまりました。
「これ、間違いですよね?」その一言によって、和田さんたちとおじいさん、おばあさんたちが築いている、この“当たり前”の暮らしが台無しになっちゃう気がしたからです。
「注文をまちがえる料理店」が生まれた瞬間
ハンバーグが餃子になったって、別にいいんですよね。誰も困りません。おいしけりゃなんだっていいんです。それなのに「こうじゃなきゃいけない」という“鋳型”に認知症の方々をはめ込もうとすればするほど、どんどん介護の現場は窮屈になっていって、それこそ従来型の介護といわれる「拘束」と「閉じ込め」につながっていくのかもしれない。
そういう介護の世界を変えようと日々闘っているプロフェッショナルを取材しているはずの僕が、ハンバーグと餃子を間違えたくらいのことになぜこだわっているんだ、とものすごく恥ずかしくなった瞬間、「注文をまちがえる料理店」というワードがぱっと浮かんだのです。
おっ、これはいいかもしれない。頭の中に映像がぱーっと駆けめぐりました。僕はお客さんで、ハンバーグを注文する。でも、実際に出てきたのは餃子。最初から「注文を間違える」と言われているから、間違われても嫌じゃない。いや、むしろ嬉しくなっちゃうかもしれない。これはかなり面白いぞ。
そしてなにより、「間違えちゃったけど、まあ、いいか」。
認知症の人も、そうでない人もみんながそう言いあえるだけで、少しだけホッとした空気が流れ始める気がする……。
突如として思いついてしまったこのアイデアを実現するために、僕は2016年11月から介護分野のプロである和田さんをはじめ、デザインやデジタル発信、料理やレストラン経営といった各分野のプロ中のプロたちに声をかけはじめました。
そして、プロジェクトの主旨に賛同してくれた人たちとともに、2016年の6月、座席数12席の小さなレストランを舞台に、2日間限定で「注文をまちがえる料理店」はオープンしたのです。
間違いが、ふんわりと解決していく
いざ店が開いてみると、目の前にはすごい光景が広がりました。水は2個出すのは普通、サラダにはスプーン、ホットコーヒーにはストローがついています。
そして、注文を間違わないようにと僕たちが結構苦労して作ったオーダー表なんですが……それをお客さんに渡して書かせてるじゃないですか。すごいぞ、それなら間違わないね!と思ったら、ハンバーグを頼んだお客さんに餃子を出してるよ……。
さらに、レストランの入り口に立てかけられた『注文をまちがえる料理店』の看板を見て、「注文を間違えるなんてひどいレストランだね」と笑い飛ばすおばあちゃん。いや、いや、それはあなたが……というツッコミをぐっとこらえました。
カオスです。はっきり言って、むちゃくちゃなんです。それなのに、お客さんがみんな楽しそう。注文を取るのかなと思ったら、昔話に花を咲かせてしまうおばあちゃんとそのまま和やかに談笑したり、間違った料理が出てきても、お客さん同士で融通しあったり、誰一人として苛立ったり、怒ったりする人がいないのです。
あちこちで、たくさんのコミュニケーションが生まれ、なんとなく間違っていたはずのことがふんわり解決していく。これは面白いなぁと思いました。
たった2日間しかオープンしないお店。認知症を抱える6人のホールスタッフと80人のお客様とで作り上げた『注文をまちがえる料理店』でしたが、そこからたくさんの物語が生まれました。
たとえば、元美容師のヨシ子さんは74歳。きゅっと結んだ髪の毛に大きなリボンがトレードマークのヨシ子さんは、2日間、大活躍でした。「疲れませんか?」と聞くと「これくらいで疲れてどうするの。私は立ち仕事には慣れているのよ」と叱られてしまうくらい元気いっぱいでした。
かつては都内の有名な結婚式場で花嫁さんの髪を結う仕事もされていたそうです。一日に何件もこなしていたという当時のことを思い出して、
「花嫁さんには一生に一度のことでしょう。緊張するし、大変な仕事だけど、とても好きだったの。きれいになったと喜んでもらえることが、私はすごく好きだったのよ」
と語ってくれました。料理店でのヨシ子さんの働きぶりにはみんなが目を見張りました。もちろん間違いはいろいろありました。それでも、ヨシ子さんの身体からは、働いていることへの誇りと喜びが満ち溢れているように見えました。
世界20か国以上から注目
史彦さんは、62歳。若年性認知症の状態にあります。もともと大企業の社員食堂で働いていたそうです。休憩中、『注文をまちがえる料理店』の看板を前に史彦さんがしみじみ語ってくれました。
「社員食堂で働いていた時代は本当につらかったよ。間違えるとむちゃくちゃ怒られるからね。お客さんは帰っちゃうし、上司からも怒られるし、『クビだ!』なんてこともあるわけでしょう」
どこかビクビクしながら働いていたら、若年性認知症と診断され、働くことができなくなってしまった。そういう時に、この『注文をまちがえる料理店』の話を聞いたのだそうです。
「すごく気が楽だったよ。だって間違えてもいいんだもんね」。そして、ぼそっと言いました。「ここのお客さんは優しいよ。間違っても怒らないもんなぁ」。
もちろんうまくいった話ばかりではありません。1時間ほど働いたらひどく疲れてしまい、気分も落ち込んでしまって途中で帰った方もいました。それもまたひとつの現実です。
ですから『注文をまちがえる料理店』が認知症の問題を解決するとは、当たり前ですが思っていません。ただ、料理店をやってみて、「間違えちゃったけど、まあ、いいか」とほんのちょっとだけ寛容になれれば、誰にとっても心地いい居場所が生まれるということがわかったのはとても大きな発見でした。
その後『注文をまちがえる料理店』は、9月にも規模を拡大して、3日間限定で実施したところ、国内のみならず世界20か国以上から、熱い注目を集めることになりました。
「自分たちの街で、国で実施したい」という声も多数届いています。間違えたときに、てへっと笑ってぺろっと舌を出す様子をモチーフに作られた“てへぺろ”が『注文をまちがえる料理店』のロゴマーク。
この“てへぺろの輪”が今、少しずつ広がろうとしています。
小国士朗(おぐに・しろう)◎テレビ局ディレクター。『注文をまちがえる料理店』発起人。1979年生まれ。東北大学卒業後、2003年に某テレビ局に入局。2013年に心室頻拍を発症。テレビ番組を作るのが本当に大好きで相当なエネルギーを注いできたが、それを諦めなければならない事態になり、一時はかなり悩み落ち込む。しかし「テレビ局の持っている価値をしゃぶりつくして、社会に還元する」というミッションのもと、数々のプロジェクトを立ち上げ、いつしか局内でもテレビ番組をまったく作らない、おかしなディレクターとして認識されるようになり、ついには専用の部署までできることに。『注文をまちがえる料理店』はとある取材時に思いついたことを形にしたもの。好物はハンバーグとカレー。