『パリのすてきなおじさん』の著者・金井真紀さん

 フランス語もできず、パリにも詳しくない女性が、パリで集めたのは「おじさん」!? 金井真紀さんが書いた『パリのすてきなおじさん』(柏書房)には、パリに住む40人のおじさんが登場します。その風貌はイラストで、その人生は文章で綴(つづ)られるのです。それにしても、どうして「おじさん」をテーマにしたのでしょうか?

「2016年にサッカー欧州選手権を取材しに行ったパリで、広岡裕児さんに会って、一緒に本をつくろうという話になったんです。それまで何度かパリに来ていますが、通りすがりのような場所でした。私にパリで何ができるのかと考えたときに浮かんだのが、おじさんに話を聞くことだったんです」

「選おじさん眼」を信じて街を歩く

 金井さんは、中学生の頃に、スタッズ・ターケルの『仕事!』に出会いました。130人が語る仕事の話を集めた分厚い本で、金井さんは図書館で借りて何度も読んだそうです。

無名の人たちが自分の持ち場について語った話から、その時代のアメリカが見えてくるような気がしました。この本のようにいろんな断片が集まって構成されている本が好きで、自分でも書いてみたいと思ったんです」

 若いころからたくさんのおじさんを見てきて、「選おじさん眼」が磨かれたと、金井さんは笑います。新宿の〈酒場學校〉で日替わりのママを務めたときには、「どのおじさんにも“いいな”と感じさせる面があるなあ」と思ったそうです。

「いまは私もおばさんなので(笑)、年下でも面白そうな人には話を聞いています。この本でいちばん若いのは、アフガニスタンからやって来た28歳の難民。いちばん年上は毎日、競馬場に通っている92歳のおじいさんです」

 すてきなおじさんに会うために、広岡さんと2人でパリのあちこちの街をうろつき、「絵に描きたい!」という顔を見つけたら、ナンパするように声をかけたそうです。

「2人だったから図々しく話しかけられたんでしょうね。2週間の滞在中、朝から晩までおじさんに声を掛けました。5人に話を聞くまではビールを飲んじゃダメというルールをつくったりして(笑)。忙しいからと断られることもあったけど、たいていは引き受けてもらえました。パリのおじさんは、話し好きですね。思いどおりにいかなかったことや悲しい出来事も含めて、自分の人生を語ることが好きみたいです。東京のおじさんはもっとシャイで、初対面の人にここまで話をしてくれないんじゃないでしょうか」

「おじさんの神様」が微笑んでくれた

 そうやって出会ったおじさんは多種多様。人種も職業も趣味もひとりひとり異なります。よくこれだけ、いろんな人たちを集められたものだと感心します。

「私から“こういう人に会いたい”と広岡さんにリクエストしたこともありますが、そう簡単に会えないことが多かったです。ところが、たまたま昼ご飯に入ったクスクス屋の主人がイスラム教徒で、フランスでのイスラム教徒の立ち位置を聞くことができました。サッカーのサポーターが集まるバーでは、マスターが自分から、小さいときに弟さんが事故で亡くなった話をしてくれました。そういう話を聞けたときには、『おじさんの神様』が微笑(ほほえ)んでくれたのだと思いました」

 人の話を聞くときには、相手が『話してくれる話を聞こう』と思って臨むという金井さん。

取材だとつい、こちらの求める話を聞き出そうとしてしまいがちですが、今日、全部の正解を持ち帰らなくてもいいと思うと、その人の話を自然に聞くことができるんです。今回は広岡さんの通訳を通しての会話でした。細かいニュアンスは伝わりにくいのですが、訳してもらっている間に相手も私もいろいろ考えることができたのが、かえってよかったのかもしれません」

『パリのすてきなおじさん』金井真紀〈文と絵〉 広岡裕児〈案内〉(柏書房/税込1728円)

 ナチスのホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)から生き延びた「隠れた子ども」だったロベールさんには、3時間半も話を聞いたそうです。

「話が終わったときには3人ともどっと疲れて、大きな仕事を終えた気分になりましたね。家族が強制収容所に送られ、その後の人生を生き抜いてきたロベールさんは、戦後にユダヤ教を捨てて無神論者になりました。だから、“ぼくは信じるよりも、闘い続けていたい”という言葉に感動しました

 金井さんは、話を書きとめたノートとスケッチを持って日本に帰り、ひとりひとりの印象を思い出しながら文章を書いていきます。

樽で酒を熟成させるみたいに少し間を置いたので、書いていて追体験ができて楽しかったです。私は絵を描きはじめて間もないので、対象を好きにならないとうまく描けないんです。今回は文章を書いた勢いで、愛を持っておじさんたちを描くことができました」

 本書のカバーは4種あり、それぞれタイプの違うおじさんが描かれています。本書を読んで、あなたも、好きなおじさんを見つけてください。

(取材・文/南陀楼綾繁)

■取材後記
 弁護士、画家、彫金師、本屋、喜劇役者、ワイン屋、塗装工、難民……。パリはさまざまな職業や人種が集まる都市です。その街を歩いて出会ったおじさんの話を聞きまくった記録が『パリのすてきなおじさん』です。著者の金井真紀さんに「選おじさん眼」の磨き方から、話を聞くときの姿勢まで伺いました。これであなたもおじさん通に!?

■ライターは見た! 著者の素顔
 金井さんの目は大きくて、その目でまっすぐ相手を見つめます。黙って話を聞いているときもその目はくりくり動いたり、またたいたりします。パリのおじさんたちも、この目に向かって語りかけたのでしょう。言葉は通じなくても、目で会話していたんですね。

<プロフィール>

かない・まき◎1974年、千葉県生まれ。作家、イラストレーター。著書『世界はフムフムで満ちている 達人観察図鑑』『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學』『はたらく動物と』。

ひろおか・ゆうじ◎1954年、神奈川県生まれ。フリージャーナリスト、シンクタンク研究員、異文化間コンサルタント。フランス在住。著書に『EU騒乱』『エコノミストには分からないEU危機』など。