元横綱朝青龍(左)と元大関琴光喜(右)どちらも現役時代、突然の引退へと追い込まれた過去がある

 昨年11月から続く騒動に、相撲ファンはドンヨリ重い空気に包まれたまま年末を迎えていたが、それを大みそかの夜、かつて角界を大いに賑わせたあの人が空気をガラリと入れ換えてくれた。

 そう、第68代横綱・朝青龍! 思えば朝青龍も暴行事件で引退を余儀なくされた横綱だ。

7年ぶりに戻った土俵

 2010年1月場所に優勝した直後、一般男性を車内で殴って鼻の骨を折る重傷を負わせたと報じられた。その後の数週間は今回の日馬富士騒動と同様、マスコミは上へ下への大騒動となり、ついに朝青龍は引退勧告を受けて自ら引退を決断した。

 しかし、殴られた一般男性からは実は「朝青龍を引退させないで」と嘆願書が協会に出されていたこと、また「殴られた」と報道されていたものの、実際は朝青龍の払った手が男性の鼻に当たって骨折した、というのが事実だったことを、その後出版された相撲レポーターの横野レイコ氏の著書『朝青龍との3000日戦争』で知った。

 横野氏が直接に被害者男性にインタビューし、引退が決まる直前、なぜだか土壇場で放映が見送られたインタビューだったそうだ。

 そうしたモヤモヤしたものが残る騒動で引退した朝青龍が、またも巻き起こるモヤモヤ騒動中、7年振りに土俵に戻り、相撲を取るという企画が『AbemaTV』で実現したのには、何か因縁めいたものを感じる。

 朝青龍の持つ、運命の引き寄せ力かもしれない。番組は『朝青龍を押し出したら1000万円』という大晦日にふさわしいド派手な企画で、個性豊かな8人の挑戦者が揃った。

 1人目は「殺すつもり」と豪語する元フランス外国人部隊の久保昌弘、2人目は「偏差値82」が自慢の京大卒のインテリファイター徳原靖也で、共に朝青龍の圧勝。

 最初の取組では緊張した面持ちも見られたものの、言葉で煽りまくる2人を相手にふわりとした立ち合いを見せ、「素人さん」に稽古つけてあげてます、という風だった。圧倒的だ。

 3人目は、実は朝青龍が「ファンだった」という柔道アテネ五輪銀メダリストの泉浩だが、これも上手投げであっさり朝青龍の勝ち。

 司会者が「(朝青龍の)四股がキレイですね」というと、解説の花田虎上が「蹲踞(そんきょ)もキレイですよ」と、力士としての朝青龍の基本の姿をほめる。ちなみに花田お兄ちゃん、フィギュア・スケートの織田信成さんのような爽やかな解説上手っぷりが光った。

全ては“前座”だった

 ところが4人目、ブラジリアン柔術のリダ・ハイサム・アイザックには勝ちはしたものの、彼の指が目に入り、ここで持ち前の勝気にスイッチオン! 朝青龍、現役時代さながらにムッとし、直後には「目にパンチくらわしやがって 火が付いた!!」とツイート。自ら煽って、盛り上げるねぇ。

 でも5人目の覆面プロレスラー、スーパー・ササダンゴ・マシンが取組前に「朝青龍を押し出すためのマネジメントに関する考察」とパワポでプレゼン。かつての天敵(?)内館先生ネタまで繰り出し(覆面破ると実は内館先生!とか)場内を爆笑に包みこんだ。もちろん朝青龍が圧勝したけど、ササダンゴには賞金を一部あげて良かったかもしれない。

 そして終盤、アメフト日本代表の清家拓也は「強烈なタックル」で立ち合い勝ちするのでは? と言われたものの、やはり立って「横綱のまわしを取りに行く」のは素人には無理難題。

 相撲とはただスピードがある、パワーがあるだけでは取れない武道だとよくわかった。それは7人目の挑戦者、野獣ボブ・サップでも同様。かつてK-1で横綱・曙を破った彼だけど、全く歯が立たない。水を付けるひしゃくを歯で噛み切って壊しても「パフォーマンス」は土俵では浮きまくりなだけだ。

 しかし、申し訳ない。そうした全ては「前座」だった。

 本番は8戦目の元大関・琴光喜。それまで白の稽古用のまわしを締めていた朝青龍も、琴光喜と同じ本場所でも着ける黒の締め込みに変えてさがりも付けた。2人とも表情がキリリとして、7年前にタイムワープしたかのような錯覚に陥ると同時に、これぞ相撲! の空気に一気に変わった。

 ああ、これだ、これ。これが相撲だ。私が見たいのはこれだ! 私は相撲が好きだ、相撲を愛してる。

 見てる私も思いがあふれて爆発しそうになった。

 突然の引退で、それぞれ土俵に思いを残していた2人。琴光喜は朝青龍が引退した数か月後、野球賭博で解雇処分に。2014年まで相撲界への復帰を目指して裁判で協会と争っていた経緯もある(しかし東京高裁で敗訴)。それだけに2人が土俵に、この一番にかける思いは大きかった。

 仕切りの一つ一つ、塵手水(ちりちょうず)も四股も、蹲踞の姿勢にだって、万感の思いがこもっている。「ああ、相撲が取れてうれしい」2人の心の声が聞こえてきそうだった。

 いよいよ立合い。2人とも手もつかず鋭く立ったが待ったナシ! 琴光喜が右脇を差して下手投げを食らわそうとするものの朝青龍には効かず、頭を琴光喜の胸にしっかりつける。そのまま土俵中央に止まる2人に場内から拍手が起こるほどの大相撲になったが、最後は土俵際まで追い込んで、寄り倒して朝青龍の勝ち。

 その瞬間またウオオオオオオ!と、かつての本場所のような歓声が起こる。

 朝青龍が起き上がる琴光喜に手を貸して、2人は腰をポンポンと叩き合い、お互いの健闘を称えた。そして朝青龍はかつて国技館で批判されたこともあるガッツポーズをカメラ目線でこれでもか! と決め、勝利に酔いしれた。見事な8戦全勝!

「相撲道」が胸に響く

 もう、この頃には見てるこちらは涙がとめどなくあふれた。11月からずっと、私たち相撲ファンの心はズタボロに叩きのめされてきた。もう相撲なんて見ないほうが幸せかも? なんて思うことさえあった。

 それがこの清々しい、ひたすら相撲が好きだ! という純粋な愛にあふれた一番に、ああ、相撲って素晴らしい! と心から思えて喜びに震えたのだ。

 取組後のインタビューで朝青龍は「相撲はこれが人生最後なんで、お別れします。もう(土俵に)絶対上がらない。人生で残ってた相撲(への想い)、夢に出てくることとか、この土俵に残して、本人ダグワドルジに戻ります」と言った。

 琴光喜も「本当にこれで、気持ちよく引退できました」と言い、2人ともこの一番で区切りをつけ、人生最後の相撲だと実に清々しい顔をする。ツイッターには「ありがとう」「救われた」「しあわせだ」という声があふれた。

 朝青龍はそれぞれの取組の合間にも、相撲に大切な礼節を度々口にし、最後のインタビューでも琴光喜との取組を「土俵に上がり礼に始まり礼に終わる、あの感じに『やっぱり、いいなぁ』と思ったんです。これは忘れられない一番ですね」と語った。

 かつて土俵上の所作にも多々叱責を受けた朝青龍が不本意な引退から7年の今、相撲道を語る――それは相撲への愛情にあふれるが故に自然に出てきた言葉。私は今までわからなかった相撲道というものが初めて胸に響いて理解した。

 暴力疑惑で引退に追い込まれた元横綱が、相撲界を揺るがす殴打事件騒動の中、相撲ファンを救い、相撲愛を確認させてくれた。なんというめぐり合わせだろう。

 そして多くの相撲ファンがツイートしていたのは「日馬富士にもいつかこんなときが来るかな?」だった。私も本当にそれを望む。人生をかけてきたものを急に取り上げられた人の、身体を切り裂かれるような痛みや空虚な気持ちは想像するだけで辛い。

 そりゃ、彼がやってしまったことの責任は大きいかもしれない。でも、こんな形で引退しなきゃいけなかったのか? 私にはわからない。どうか、いつの日か、彼がこんな場を持てることを祈らずにおられない。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。