「私が取り調べの刑事のことを好きになって、気に入ってもらおうと思ってどんどん嘘を言ってしまった。こんなことになるとは思わなかった」
大阪高裁が再審開始を認めた昨年12月20日、大阪市と滋賀県大津市で両親を伴って記者会見した彦根市の元看護助手・西山美香さん(38)はそう語った。
身に覚えのない殺人罪で12年服役し、昨年8月に和歌山刑務所を満期出所。逮捕勾留から数えると13年以上も自由を奪われた。女性として最も華やかな時期を棒に振り、「20代のいちばん大事な時を刑務所で過ごすのはつらかった」と打ち明けた。
密室で若い男性刑事に自白
2003年5月22日、滋賀県の湖東記念病院に入院していた植物状態の男性患者(当時72歳)が死亡した。滋賀県警は、人工呼吸器のチューブがはずれたことを報じるアラーム音に当直の看護師らが気づかず窒息死したとみて過失致死事件として捜査した。
2人の看護師とともに任意聴取された西山さんは事件から1年以上経過した翌年7月6日、「職場での待遇への不満から、呼吸器のチューブをはずした」と自白して逮捕された。
当時24歳。密室で自白した相手は県警本部から新たに派遣された若い男性刑事だった。
目撃者はなく「証拠」は自白のみ。過ちに気づいた西山さんは裁判で無実を主張したが、大津地裁は懲役12年の実刑判決を言い渡し、最高裁で刑が確定した。
獄中から冤罪を訴え続け、2度目の再審請求でようやく、大阪高裁の後藤眞理子裁判長が「警察官などから誘導があり、迎合して供述した可能性がある」と裁判のやり直しを認めた。
なぜ刑事に恋したのか。週刊女性は昨年末から西山さんに単独インタビュー取材を申し込み、1月中旬に滋賀県内で約1時間半、話を聞くことができた。会見や支援者集会の疲れが残っている様子だった。
認めると急に優しく
西山さんは、「事件当時、恋人はいませんでした」と振り返る。
暴力的、強圧的態度から一転、優しく接するのは取り調べ担当刑事の常套手段とされる。しかし、そんなことは知らず、その刑事を「優しい男性」と思い込んで好意を抱いてしまったという。
事件のカギを握るのがアラーム音だ。人工呼吸器のチューブがはずれるとアラーム音が鳴る仕組みだった。西山さんが故意にチューブをはずしたのであれば、アラーム音は当然鳴る。アラーム音を聞いたのか。男性刑事は迫った。
「私が“アラームは鳴っていなかった”と言うと、“そんなはずはない、嘘つくな”と机をたたき、密室なので怖かった。でも、“鳴っていた”と認めると急に優しくなった」と西山さん。
滋賀県長浜市の農業高校を卒業後、別の病院で働いていたが、湖東記念病院に移って半年たたないうちに“事件”に巻き込まれた。西山さんには発達障害があり、情緒不安定なときがある。あれこれ責められるとパニックになり自暴自棄になる一面もあった。取り調べという精神的にきつい環境で、ときおり優しい顔を見せる男性刑事に魅かれた。
男性刑事は、「殺人罪でも執行猶予で刑務所に入らないでいいこともある」と話したり、混乱した西山さんが拘置所で規律違反をすると、「私が処分を取り消してあげる」などと持ちかけたという。
しかし、その後の捜査で、ほかに誰ひとりとしてアラーム音を聞いた人は出てこなかった。男性刑事に「鳴っていた」と言わされた西山さんの供述は不自然になり、最終的に西山さんがアラーム音を消す操作方法を発見して犯行に及んだとするシナリオに軌道修正された疑いがある。
男性患者の死因についても不可解な点がある。
鑑定医は「酸欠による窒息死」とした。しかし、警察から「呼吸器がはずれていた」との情報を得て鑑定書を作っており、信憑性には疑問符がつく。
西山さんの弁護団は、「植物状態だった男性はカリウム値が異常に低く、致死性不整脈で病死した可能性が高い」とみる。
主任弁護人を務める井戸謙一弁護士は、不自然な供述変遷に“捜査誘導”を確信し、
「事件でも事故でもない。なかった犯罪を警察と検察がでっち上げたのです」
と断言する。
また事件の背景には、男性患者の心肺停止を最初に見つけた同僚看護師Aさんの存在もある。Aさんは指示どおりに痰の吸引を実行しておらず、
「痰が詰まって死んだと勘違いし、怠慢を問われると案じたAさんがとっさに“呼吸器がはずれていた”と嘘をついた可能性が高い」(井戸弁護士)
とみている。
もう彼のことは考えたくない
その嘘に合わせるような供述をした西山さんは、
「Aさんはシングルマザーで逮捕されたら生活できない。自分は正看護師ではないし、親と暮らしているし」と、お人よしな性格。しかし、退職したAさんが弁護団に協力することは一切なかった。
とんでもない罪を背負わされてしまった西山さんと男性刑事の別れのシーンは恋愛ドラマのようだった。
「会えなくなるのが寂しい」
西山さんは起訴される2〜3日前、調書を書く男性刑事の手の甲を撫でるように触れながら言った。別の日には、「離れたくない。もっと一緒にいたい」と抱きついた。
「彼は拒否しなかった。“頑張れよ”と励ましてくれた」
男性刑事に騙されたと思うかと尋ねると、
「もう彼のことは考えたくないです」
と言って机に突っ伏した。
後日、井戸弁護士に発言の真意を確認すると、いまでは男性刑事を恨むことはあっても好意は一切ないという。
西山さんの実家に両親を訪ねた。獄中から両親に送った手紙は350通を超える。両親はこの12年、出所するまで毎月、娘と面会するため刑務所に通い続けた。
脳梗塞の後遺症で足が不自由な母・令子さん(67)は、
「上2人の息子は国立大学に行ったけれどお金がかかり、家計のため私は必死で働きましたが、美香のことが放ったらかしになったと後悔しています」
と、うつむいた。
西山さんは、「私は勉強ができなくて、よくできた兄と比べられてコンプレックスを持っていた。それを刑事に言うと“お兄さんと同じように賢いところあるよ”と言われて、うれしくなってしまった」と告白している。
人間関係をつくるのも上手ではなく、幼少時から本当の友達はいなかった。
父・輝男さん(75)は、「勤めだしてからは、お金をあげたりして、友達をつくっていたみたいですね」と話し、「警察は当初、“弁護士はすごい金がかかる。国選にしろ”とか言っていた。何もわからん娘に警察はあまりにも残酷な……」と唇をかんだ。
大阪高検は再審開始決定を認めず最高裁に特別抗告中。西山さんの闘いは続く。
(取材・文 ジャーナリスト・粟野仁雄)