アフロ記者・稲垣えみ子

アフロ記者の200円メシは最強のうまさ!

 アフロえみ子の別名で知られる元朝日新聞記者・論説委員の稲垣えみ子さん。

『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』では「準備10分、1食200円」の驚きの食生活を公開しています。その基本は、メシ・汁・漬物。かつてはレシピ本が好きで、膨大な冊数をコレクションしていたそうですが、1食200円の地味メシに転じた理由は何だったのでしょう。

東日本大震災の原発事故をきっかけに冷蔵庫をなくしたのが、食生活が変わる大きなきっかけでしたね。みんなに無理だと言われたので、そうだ、江戸時代を参考にすればいいじゃないかと。江戸時代には冷蔵庫なんかない。それでもみんな当たり前にご飯を作って食べていたわけです。彼らの食の基本は、メシ・汁・漬物。で、やってみたら作るのも早いし安い。何より毎日食べても飽きない美味しさ。今までレシピ本を見て、手間暇かけて作ってきた料理は一体、何だったんだと」

 料理とレシピ本について考え始めたもうひとつの大きな理由が、お母様の病気だと言います。

「認知症の症状が出始めたとき、母が料理を億劫がるようになりました。私は簡単な手抜き料理のアイデア集を送ったりしたんですが、使ってくれませんでした。母は、レシピ本を見始めた最初の世代。本を見て、毎日違う凝ったごちそうを子供たちに食べさせるのが母親の務めであり、食の豊かさだと信じて疑わなかったと思います。それは母の矜持でもあったんですよね。そして、子どもの私もそれを当たり前だと思っていました。毎日同じものが並ぶ食卓というのは手抜きであり、よくないことだと信じて育ってきたんです。結果、私もレシピ本を見て料理を作るようになった。それが、私たちの信じて疑わない豊かさだった。でも、最後になって母に認知症の症状が出てきたとき、母が一番プライドにしていたものが、一番最初にできなくなってしまった

 お母様の枕元に散乱するレシピ本を見て、稲垣さんは無力感と怒りを感じたと言います。

「母の苦しみを見ていて、これは何かがおかしいと思ったんです。誰に悪意があるわけじゃない。レシピ本を出すほうだって善意でやっているし、それを見て料理を作るほうも一生懸命。でもその結果、母がこういうことになるんだったら、これは何かがおかしいと。考えてみたらそれは母だけのことじゃないんです。SNSなどでキラキラした華やかな料理がアップされると、それを見て自分はこんなことはできないと、料理そのものを諦めてしまう人がいる。二極化してるんですよね。頑張って凝った料理を作り続ける人と、もう料理をやめてしまう人と。料理に対する情報量の氾濫で、どんどん料理のハードルが上がってしまって、複雑で難しくて時間もかかるものになってしまっているんじゃないでしょうか。それを豊かさだとみんな信じているけれど、本当にそうなのか。その豊かさは諸刃の剣で、お金も時間も体力もあって頑張ってできる人はいいけれど、それができないのはダメ人間だっていうことになるとすごくきついですよね。それは母だけの問題ではなく、自分の問題だし、みんなの問題だなと考えたんです。それが、レシピ本そのものがどうなんだろう……って考え始めた大きなきっかけですね」

料理は自由への扉。まずメシを炊こう!

 稲垣さんの本を読んでいると、料理はシンプルで自由で元気になるものだと実感できます。

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「例えば、夫婦でも親子でも、料理を誰がするかで押しつけ合いになっているじゃないですか。それがね、なんか変だなあと思うんですよね。料理なんかしなくていいんだったらこれほど素晴らしいことはない……って、本当にそうなんでしょうか? 食べるって、生きるっていうことですよね。いわば人生の首根っこです。

 その大事な部分を手放してしまっていいんでしょうか。他人やお金に頼らないと美味しいものを食べることができないって、本当に無力です。今の世の中、10年後にどうなっちゃうかわからない。

 そんな世の中で、お金がなくても、ちょっとしたスキルとちょっとした道具と、ちょっとしたお金があれば、すごくうまいものだけは、どんな環境に置かれても、外国行っても奥地に行っても自分の力で食べることができるなら、人間、怖いものなんてない。でもコンビニがないと生きていけません……ってなった途端、行ける場所も可能性も限られてしまいますよね。料理は自由への扉なんです。自分で料理する力を失ってはいけないと思います」

 稲垣さんのおばあさんは、40代に脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になっても自分で料理し続けたそうです。ごく当たり前の日常を続けるように。

「母が病気になって料理が難しくなってきたとき、改めて祖母のことを思い出したんですが、祖母はレシピ本なんて使ってなかったんですよね。作るものといえば単純な煮物ばかり。味見をしながら適当に醤油とか酒とか入れて作っていたに違いないんです。でもそれがものすごく美味しかった。料理って本来そういうものだと思うんです。単純で身についた料理なら、身体が不自由になっても、最期の日まで1日でも長く自立して生きられる。自分で自分の食べるものを作ることができる。人に食べさせることもできる。そう思うことが自分が生きていくうえでのひとつの大きな柱というか。その点で、最後まで料理していた祖母の姿というのは、ひとつの希望。私にとっての希望です」

<取材後記>
稲垣さんと言えばアフロヘア。大阪の路上で、おばあさんに「若い人は自由でいいねえ」と話しかけられたエピソードは最高です。髪型だけでなく服装も自由な稲垣さん。「友達も面白い服を着てる人が多いです。みんなと同じ格好をしている人は何を考えているかわからないから友達になりづらい」という発言にはドキリ。以前、「着る人にも見る人にも希望を与えるメッセージを発するのが真のファッション」と稲垣さんが語っていたのを思い出しました。

●著者PROFILE

いながき・えみこ 1965年、愛知県生まれ。朝日新聞社大阪本社社会部デスクなどを経た後、論説委員として社説を担当。2016年退社。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)や節電生活を書いた『寂しい生活』(同上)など多数。

取材・文/ガンガーラ田津美 撮影/伊藤和幸