「職人さんたちの、自信に満ちた笑顔を取り戻したい」
その思いから、“世界一の鍋”への挑戦が始まった。
舞台は『愛知ドビー株式会社』。1936年、船舶などの精密部品を製造する鋳造所、下請けの町工場として誕生した。その後、繊維機械メーカーとして発展を遂げるが、産業の衰退とともに、業績は低迷していったという。この状況を打開しようと、兄・土方邦裕さんが家業を継ぎ、弟の智晴さんもそれに続いた。
「僕も兄も、よく職人さんとキャッチボールして遊びました。みんな“うちの機械は世界一だ”って胸を張っていましたよ。だけど、だんだん下を向いて歩くようになってしまって……。なんとか昔の活気を取り戻したかったんです」(智晴さん、以下同)
入社してすぐ、邦裕さんは鋳造の、智晴さんは精密加工の職人となり、技術を磨いた。
「うちは職人の集団だったので、会社を変えるには、まず自分たちがいちばんの技術者になる必要があったんです」
2人の尽力で、下請けの仕事は軌道に乗り始める。しかし同時に、「最高のモノを作り、直接お客様から感謝されなければ、職人たちの誇りは取り戻せない」と考えていた。
得意とする鋳造と精密加工。双方を生かせるモノを考え、たどり着いたのが「鍋」だ。
「当時は鋳物ホーロー鍋やダッチオーブンがブームでしたが、世界最高の鍋と謳われていたのは無水調理ができるステンレス製の鍋。鋳物は製造過程で歪みが生まれるので、ステンレス鍋ほどの密閉性を実現するのは難しいんです。しかし鋳造と精密加工の技術を合わせれば、ステンレス並みに密閉性の高い鋳物ホーロー鍋が作れると考えました」
100品のレシピブックも付属
そこからは試行錯誤の連続だった。まず、鋳物にホーローを吹きつける技術を身につけるまでに1年。理想の密閉性を実現するまでには、さらに1年半を要した。
「何度も心が折れそうになりましたが、偶然できた成功作で無水調理の肉じゃがを食べたら、信じられないほど美味しかった。ニンジン嫌いだった兄が“美味しい、美味しい”と、わざわざニンジンを探して食べていました(笑)。そのとき“完成したら世界一の鍋になる”と確信したんです」
そうして約3年をかけて誕生したのが、0.01mm以下の精度で蓋と本体が重なる鍋「バーミキュラ」だ。
しかし、兄弟の挑戦はここで終わらない。
「鋳物ホーロー鍋の調理は、火加減にちょっとコツがいるんです。僕たちが世界最高だと思う味をお届けするには、最適な火加減もセットにする必要があると気づきました」
次に開発したのは、バーミキュラ専用のポットヒーター。指先ひとつで、繊細な温度管理が自由自在となる。
「“はじめちょろちょろ中ぱっぱ”で知られるように、炊飯は温度管理が難しい調理の代表格。それすら楽にこなせるという意味でライスポットと名づけましたが、炊飯器を作ったつもりはないんです。これは、火加減まで提供する“進化した鍋”なんですよ」
事実、ライスポットには全100品が掲載されたレシピブックが付属し、公式フェイスブックでも続々と新レシピが紹介されている。その内容は甘酒から茶碗蒸し、おでんまでさまざまだ。
「売れて終わりだとは思っていません。お客様が料理を作り、心から喜んでもらえてようやくゴールなんです」
バーミキュラはオーナーズデスクを設けており、コンシェルジュが相談に乗ってくれる。「オススメのレシピは?」「こんなお野菜をもらったんだけど……」と毎日、電話の鳴りやむことはない。
持てる技術を注ぎ込んだモノ、最適な火加減、そして購入後のサポートまでを含めてこそ、「これが世界最高の鍋」と胸を張れるのだ。