平昌オリンピックが2月9日にいよいよ開幕する。これまで数々のドラマを生んできた冬季オリンピック。感動のウラにあったさらなる感動、意外な選手たちの素顔、トリビアを徹底取材─。
荒川静香に恩師がすすめた彼氏候補はアノ選手
のちにトリノ五輪で金メダリストとなるフィギュアスケートの荒川静香が、初めて五輪に出場したのは、'98年の長野大会。当時、彼女は弱冠16歳の高校1年生だった。いくら五輪に出場する選手といっても、16歳の女の子。年ごろになれば……。
「小学生から高校生まで荒川さんを指導した長久保裕先生は、思春期に入って、だんだんと“大人の女性”になっていく彼女を心配していたそうですね。年ごろになれば普通に恋愛に興味が出てくるし彼氏ができてもおかしくない。しかし、それでスケートに身が入らないのは困る。もし恋人にするなら普通の学生は邪魔になるから、スケートを後押ししてくれるような存在がいいと、彼女と同じく自分のもとで指導していた、本田武史さんや田村岳斗さんを本気ですすめていたそうですよ」(スケート雑誌編集者)
真央ちゃんがいまハマっているもの
長年、女子フィギュアスケートの人気を牽引した浅田真央。昨年4月に引退し、アイスショーなど今年はプロスケーターとして本格的な活動が期待されている。そんな真央ちゃんの興味は……。
「ぬり絵にすごくハマっていますね。集中力アップのためや、逆にフィギュアをいっとき忘れることによるリラックス効果を狙い、選手時代からやっていましたが、引退後も趣味として継続しているようです。
“作品”の一部は、彼女のインスタグラムに載せているのですが、更新頻度はかなり高いですね(笑)。選手時代よりも本格的にハマっているのではないでしょうか。最近は細かいデザインのリボンのぬり絵が多い。昨年のクリスマスイブにはツリーの絵をアップしていました」(前出・スケート雑誌編集者)
イナバウアートリプルアクセル技名の由来は……
金メダルを獲得したトリノ五輪で披露したことにより、荒川静香の代名詞となったイナバウアー。上体をエビのように後ろに反らした姿勢が印象的だが、実は上半身は関係ない。
「イナバウアーは、片足を曲げて、逆足は後ろに伸ばし、さらに両足のつま先を180度に開き、横に滑るというものです。その姿勢がイナバウアーであり、上半身は関係ないのです。荒川さんは、“反ったほうがきれいだから”という理由で、あの形で披露しています」(前出・スケート雑誌編集者)
技の名前は、開発した旧西ドイツの元選手、イナ・バウアーから。ちなみに“トリプルアクセル”のアクセルも、ノルウェーの元選手のアクセル・パウルゼンが由来。
期間中、海を越えマックの出前をしてもらった選手
日本で初めて開催された冬季五輪は、'72年の札幌五輪。
「特に人気を博したのは、フィギュアスケートで尻もちをつきながらも、銅メダルを獲得したアメリカ代表のジャネット・リンさんですね。“札幌の恋人”“銀盤の妖精”と呼ばれ、日本でCMに出演するほどでした」(スポーツジャーナリスト)
リンさんは引退後、長野五輪のときに五輪スポンサーであり、選手村に出店もしているマクドナルドの“オリンピック・スポークス・パーソン”を務めた。その理由はいまから50年前にさかのぼる。
「'68年のグルノーブル五輪のときに、ホームシックになったリンさんのために、マクドナルドがハンバーガーを空輸してくれたことがきっかけだったそうです」(同・スポーツジャーナリスト)
当時、彼女は14歳。ホームシックになっても当然の年齢だった。
もし五輪期間中に生理になってしまったら?
女性アスリートも、一般人と同様に生理現象は起きる。それが期間中だった場合……。
「ヨーロッパ系の選手は薬でコントロールしている人が多いですね。五輪などの大会でも練習中、ドクターがリンクで選手に渡したりしたそうです。気にする選手は、何か月も前から薬で調整します。ただ、あまり飲みすぎると、身体が鈍くなるという選手が多いですね」(元スケート選手)
五輪カップルができやすいのは夏季と冬季どっち
若い男女が、選手村というある意味“ひとつ屋根の下”で生活するオリンピック。カップルができることも多い?
「五輪の選手村はだいたい部屋がツインなので、協力者がいないと難しくはあるんですよね。ただ、夏季大会は競技も多いから選手も多く、また暖かいからけっこうオープンだって聞きますね。
冬季は寒いので、部屋に閉じこもっちゃったり……。それでも、若い人は夜中にグループで抜け出したそうですよ。選手村も門限があるわけではないですしね。まぁでも、どちらかというと冬の競技のほうが、そういった意味では“まじめ”な印象ですね(笑)」(前出・元スケート選手)
五輪出場は7回! 橋本聖子の運命は1歳で決まった
女子選手として冬季五輪で初めてメダリストになったのは、アルベールビル五輪のスピードスケートで銅メダルを獲得した橋本聖子。彼女の運命は1歳のときに決まっていた。
「聖子さんはとても丈夫な子どもで、10か月になるころにはひとりで歩くことができたそう。お父さんはそのころから“将来、大きくなったらオリンピック選手にすべぇ”と話していた。
冗談というわけではなく、2歳になって言葉が理解できるようになってきたころにも、お父さんは“オリンピック選手になるんだぞ”と言い続け、2歳の聖子さんはそのたびにうなずいていたそう。そして3歳になると氷の上に立たせ、スパルタな特訓が始まったのです」(前出・スポーツジャーナリスト)
冬季だけでなく自転車競技で夏季にも出場。計7回の五輪出場は、赤ちゃんのときからの特訓の成果なのかも!?
「反省してま~す」腰パンスノボ選手の現在の年収
'10年のバンクーバー五輪で、スノーボードハーフパイプに出場し、8位に終わった國母和宏。名前を聞いてもピンとこない人は、“腰パン”“反省してま~す”というフレーズで思い出すかも?
「成田空港から出国する際、選手が着る公式スーツを“腰パン”で着こなし、全日本スキー連盟などに批判が殺到しました」(スポーツ紙記者)
また、その後の記者会見で服装について指摘されると、
「チッ……うるせぇな。反省してま~す」と、反省していないような態度で発言、騒動を大きくさせた。彼の現在は?
「國母さんは五輪に出場した当時からプロスノーボーダーとして多くのスポンサー企業を持ち、あの時点でも数千万円の収入がありました。欧米は大会も多く、賞金も高く、また活動を支援する企業も多い。
現在は結婚し子どもも生まれました。仕事のメインは、自身の滑りを撮影した映像の制作で、彼のDVDは海外を中心に人気が高い。年収はスポンサー収入と合わせて1億円ほどだそう」(スキー雑誌編集者)
神様・仏様……! メダリストたちのゲンかつぎ
五輪は4年に1回しか開催されない。メダルを逃したら取り返すために4年かかってしまう。そのため選手にかかるプレッシャーも大きい。
「長野五輪のスピードスケートで銅メダルを獲得した岡崎朋美さんは、気が強そうなイメージですが、実は、あがり性で、それを克服するために遠征先では、いつもアロマテラピーで心をリラックスさせていたそうです」(前出・スケート雑誌編集者)
また、スキージャンプの金メダリスト船木和喜は、
「長野五輪へ向けて、前年の'97年に札幌でトレーニングをしていた際は、いつも山道に立ち並ぶお地蔵さんにお祈りをしてから、練習を始めていたそうです」(前出・スポーツ紙記者)
「チャンピオンになるには、実力と同時に、運も必要。すべての条件がそろったときに、チャンピオンが生まれるのだと思う」
荒川静香は、トリノ五輪後の記者会見で、“浅田真央の将来のメダルの可能性”について聞かれ、そう答えた。努力は当然。努力で実力をつけたうえで、運も味方につけなければ五輪は勝てないのだ。
配布されるという五輪コンドームは選手に人気?
選手村では、コンドームが配られるとよく聞くけど……。
「大会によってまちまちかもしれませんが、自動販売機のような機械を使って配布しているのを見たことがあります。けっこうすぐになくなっていましたね(苦笑)。ただ、オリンピックのマークがついていますのでおみやげにもらったり、買ったりする人が多いみたいですよ」(前出・元スケート選手)
ちなみに夏季大会だが、'16年のリオ五輪で配布されたコンドームの数は、なんと45万個! カンボジア代表として男子マラソンに出場した、お笑い芸人の猫ひろしも、《本当に配られてた》とコンドームの写真つきでツイートしていた。
伊藤みどりの五輪出場を阻もうとしたもの
トリプルアクセルといえば、いまでは、'17年に引退した浅田真央の得意技として知られるが、世界で初めて女子でこの技を成功させたのは、同じく日本人の伊藤みどり。'92年のアルベールビル五輪で銀メダルを獲得した彼女は、小学6年生で全日本フィギュアで優勝するなど、まさに“天才少女”だった。
「コーチ代、リンク代、コスチューム代、道具代など、フィギュアスケートは出費がかさむため、いまでも裕福な家庭の子どもが多いスポーツです。しかし、伊藤さんの家庭は母子家庭で裕福ではなかった。彼女を育てた山田満知子コーチは“何度もスケートをやめさせるという話があった”と話しています。
大きい出費を母子家庭に課すのはあまりに忍びない、ということだったのです。しかし、彼女の才能を伸ばさないのはあまりに惜しすぎる。山田コーチは自宅に住まわせ、指導を続けたのです」(前出・スポーツジャーナリスト)
まさに“二人三脚”で獲得したメダルだった。
五輪期間中に選手の財布を悩ます○○代金
五輪は国際大会であるため、世界中で開催される。そのため選手を悩ませるのは……。
「昔の選手ほど“電話代が馬鹿にならない”と言いますね。時代を遡れば遡るほど国際電話の料金は高かったわけですしね。まだ子どもが小さい選手などは、期間中に毎日電話したりしていると、それだけで数万、高い人で10万円にもなったという選手もいましたよ」(前出・スポーツ紙記者)
しかし、そんな五輪期間中に、人生を懸ける一世一代の重大なメッセージを伝えるために、国際電話をかけた選手がいる。
「葛西紀明選手は、ソチ五輪のスキージャンプ個人ラージヒルで銀メダルを獲得したその夜、選手村の自室から当時交際していた12歳年下の一般女性に、メダル獲得の報告とともにプロポーズしたそうです。お相手となった現在の奥さんは、喜びで大号泣だったそうですよ」(前出・スキー雑誌編集者)
さすが、レジェンド!
高梨沙羅を日本のエースにした文通相手
羽生とともに、平昌でのメダル獲得が期待されるスキージャンプの高梨沙羅。彼女が“日本のエース”に育った裏にはひとりの女性の存在が。
それは日本女子ジャンプのパイオニアで、“女王”と呼ばれた山田いずみ。現在は、女子ジャンプの日本代表コーチを務めている。
「高梨さんが、小学5年生のころ、ある国内大会で山田コーチが優勝した直後に、高梨さんが“ヘルメットください!”とやって来たそうです。当時、山田コーチはヘルメットを自身でデザインしており、人気でした。そんな出会いを経て、すでに競技を始めており、ジュニア大会で優勝を重ねていた高梨さんと山田コーチは手紙でやりとりするように。よく高梨さんがジャンプの相談など技術的なことや精神的なことなどを相談していたとか」(前出・スキー雑誌編集者)
山田は現在、日本代表のコーチだけでなく、高梨の個人コーチも務める。文通がつないだ絆で、初の金メダルを目指している。
カーリング娘の躍進を支えたプルーンジュース
トリノ五輪での女子代表の活躍によって一躍有名になったカーリング。出場選手は、“カーリング娘”として人気に。そんなチームで主将として活躍した小笠原歩(旧姓・小野寺)を支えたものとは。
「トリノ五輪でカーリング娘のリーダー的存在だった小笠原さんは五輪後に一時、引退しましたが、'10年に現役復帰。'14年のソチ五輪に出場し、過去最高タイとなる5位入賞を果たしました。そんな彼女は体調を整えるため、プルーンジュースをよく飲んでいたそう。ドライプルーンを液状にして、水に溶かし、そこにプロテインやサプリメントを溶かして飲む。お世辞にも美味しそうには思えませんが、お通じもよくなり、また頭痛や貧血なども改善したとか」(前出・スポーツジャーナリスト)
作ろうと思えばすぐ作れそうなプルーンジュース。健康のために試してみては。
記者もタジタジ?羽生結弦の“聞く力”がすごい
2大会連続の金メダルが期待される“ゆづ”こと羽生結弦。かわいらしいマスクの裏側は……。
「大会や練習後、取材エリアにいた記者といろいろ話をしているのをよく目にしますね。自分の演技や姿勢、表情などがどうだったか意見を聞いているのです。彼は専門家以外の人のほうがむしろ、自分やコーチが考えつかないところを見ているから、意見を聞きたいと考えている。世界一をつかんだ、その向上心ははっきり言ってレベルが違いますね」(前出・スポーツ紙記者)
'14年に出版されたスケート専門誌『フィギュアスケートDays vol・18』(ダイエックス出版)で《平昌までしっかりとがんばる。そのあとはまだ漠然としていて具体的に何をしたいっていうことはない》と“引退宣言”ともとれる発言をしていた羽生。今大会が有終の美となるのか。
選手村の食事行列ができるのはあのお店
行列のできるお店は法律事務所だけでない。五輪の選手村にも行列店はあるという。
「あくまで日本人の視点ですが、海外の料理はやはり舌に合わないことが多いそうですね。トリノはイタリアだったためかパスタが美味しかったそうですが、アメリカのソルトレークでのパスタはうどんのようだったとか。だんだん飽きてきて、最終的にみんなが集うのは、マクドナルド(苦笑)。ほかの店はガラガラなのに、マックだけは人だかりができているなんてこともザラらしいですよ」(前出・スポーツ紙記者)