【タイムリー連載・フィフィ姐さんの言いたい放題】2月1日、所属事務所からの独立、俳優・豊原功補との不倫関係を公表した女優・小泉今日子。3日には、豊原が会見を開き、小泉とは3年前から交際を始めたこと、交際を機に妻子とは別居していることなどを公にし、「どんな石でも投げつけたい方は僕に投げて下さい」と自らの言葉で語ったが、フィフィはこの会見そのもののに対して疑問を抱く。
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実は私、豊原さんとは『遺産相続弁護士 柿崎真一』(※2016年7月7日〜9月22日に放送された、読売テレビ・日本テレビ系木曜ドラマ)で共演したことがあるんだよね。みんなから驚かれるんだけど(笑い)。
その際、彼と楽屋で一緒になることもあったんだけど、気さくなタイプというよりは、待ち時間もひとり黙々と部屋の端でタバコを吸っている方で。挨拶はするけど、自分から話すようなタイプではないという感じ。ミステリアスで、男らしい、雰囲気のある役者さんだなという印象を受けたのね。
だけど、今回の小泉さんとの不倫関係を巡る会見では、豊原さんの“男らしさ”を演出する態度が、かえって裏目に出てしまったんじゃないかなと感じました。そもそも、あんな会見する必要があったのかなとも思うんです。
今回なぜ怒っている人が多いのかというと、その一因は、会見を行った豊原さんや不倫を宣言した小泉さんを“潔い”と一部の芸能人やメディアが持ち上げたことにあると思う。私も、不倫どうこうというより、そういう持ち上げ方を公の場でしてしまうことは、社会的影響という点からも良くないと思います。純愛ならたとえ結婚していても突き進んでいいんですよと言ってしまうのは、教育、道徳的に問題ありますから。
実際、まだ豊原さんは離婚していないわけです。ご家族はメディアで発言することができない立ち位置にいらっしゃる人たちで、どういう心境なのかもわからない状況のなかで、果たしてこの一方的な会見は必要あったのかなと。
“堂々としているでしょ”、“純愛なの”、“どんな石でも投げつけて”と、常識外れなことをしているにも関わらず、あたかもこちら側が非常識だと言わんばかりの、自分たち二人だけのドラマの世界に酔っているような、小泉さんと豊原さんがスッキリしたいがための会見のように思えてしまいましたよね。別れるか、慰謝料をちゃんと払って離婚へと進むのか、はっきりさせるならまだしも。
勘違いしてしまった小泉今日子
たとえお互い好きになってしまっていたとしても、あくまでいまの小泉さんの立ち位置は“愛人”なわけ。立場上、偉そうにしてはいけないの。本来は日陰の身であるはずなのに、スポットライトを浴びる場で取材陣に対して「自分の罪は自分で背負っていきます」と言われても、少しもかっこ良くないですよね。
それが罪の背負い方なの? って思ってしまう。“罪を背負う”という意味をはき違えてしまっているよね。これは豊原さんの奥さんへの単なる宣戦布告と思われても仕方ないですよ。本当は一生墓場まで持って行かなきゃならない話、内輪で済ませればいい話なんですから。
では、なぜ今回彼女がこのような言動をとってしまったかというと、おそらく、自分は“どんなときも女性の代表”、“新しい女性のイメージを発信している存在”と勘違いしてしまっているからじゃないのかなと思うんです。化粧品会社の顔を長くやっていたこともあって、少なからず世間にも、女性の先頭を行く存在なんだというイメージがあったから。
これは斉藤由貴さんにも言える事ですが、かつて芸能人は“別の世界の人”で、世間の反応をダイレクトに知る方法もなく、何をやっても放置されていた環境にいたんです。そのなかで勘違いしてしまったんでしょうね。
でも、時代は変わりました。いまは芸能人もモラルが求められます。SNSをはじめとして、おかしいなと思ったら個人が発信出来るツールがありますから。バリアがなくなって、容赦なく世間のバッシングが来る。何となく許される時代ではないわけです。
そんななかでいまだに“小泉今日子”である自分が言えば何でも許されると思い込んでいるのは、それこそ“明後日”の方向を向いてしまっている。勘違いも甚だしいですよ。同時に、こういった非常識なことを受け止めてしまう世間でなくて良かったと安心しました。
<構成・文/岸沙織>