「毎年、この時期に両陛下は葉山にいらっしゃるので、私も都合が合えば、いつもお迎えさせていただいています。
今回も、おふたりをお待ちしていて美智子さまも窓を開けて応じていただいたのですが、どことなく元気がなさそうに感じました」(地元住民)
2月19日、天皇・皇后両陛下は静養のため、葉山御用邸に入られたのだが、美智子さまの表情は少しお疲れのご様子だったという。
「2月という寒い時期ですので、お身体にこたえたでしょうし、眞子さまのご結婚が延期されたことも関係しているかもしれません。
美智子さまは初孫である眞子さまをとても可愛がっていらっしゃいましたから。
美智子さまはご養蚕をお手伝いなさる眞子さまに“さすがは内親王ね”とお褒めになっているほどです」
そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
2月6日に突如発表された眞子さまと小室圭さん(26)の'20年までの「結婚延期」。
初孫の前代未聞の事態に心を痛めた美智子さまだが、葉山を訪れた初日には“サーヤ”と再会されていたのだ。
“サーヤ”との再会
「17年前、私がまだ3歳だったころに御用邸裏で両陛下とお会いしたことがあって」
そんな思い出を語ってくれたのは、埼玉県在住の大学生・ミラー紗亜耶さん(20)。
今回も、両陛下が御用邸裏の海岸を散歩されるのを待っていたそうで、
「当時はまだ子どもで、ほとんど記憶が残っていませんが、その場に咲いていたスイセンを陛下に勝手に手渡してしまったそうです。
でも、陛下は快く受け取ってくださり、その花を美智子さまがお部屋に飾っていただいたと聞いたんです。直接、そのお礼を言いたくて御用邸まで来ました。
そのときのことをお話しすると、美智子さまは覚えていらっしゃって、“成人おめでとうございます。お幸せにね”とおっしゃってくださり、感動して涙が出てしまいました」(ミラーさん)
両陛下の長女・黒田清子さん(48)のニックネームと同じ“サーヤ”との再会は、美智子さまのお心を温かくしてくれたことだろう。
翌日の午前10時ごろに御用邸を出発した両陛下は、鎌倉市内に住む料理研究家・辰巳芳子さん(93)の自宅を訪問された。
「料理研究家の母親から料理を学び、病苦に苦しむ父への介護食“いのちのスープ”に代表される家庭料理の大切さを多くのメディアで伝えています」(グルメ誌ライター)
辰巳さんの自宅に足を運ばれるのは今回が3回目で、交流のきっかけは美智子さまだったという。
「私の著書を美智子さまがお読みになったことがきっかけで、ご連絡をいただきました。
当日は、とある農業高校の生徒たちが育てた大豆で作ったお豆腐を召し上がっていただきました」(辰巳さん)
自分たちで作った大豆を豆腐店に売ってお金にすることで、“学校施設が豊かになり、農業に誇りを持てる”と話したという辰巳さん。
「私が約15年前から始めた、全国の小学生が大豆の種をまいて育てる“大豆100粒運動”のお話もたいへん喜んでいらっしゃいました。
こんなに喜んでいただける方は今までいなかったので、日本のことをとても愛していらっしゃると感じましたね。
お帰りの際には、その高校の生徒たちが育てた大豆をお土産としてお持ち帰りいただきました」
辰巳さんと約1時間の楽しいひとときを過ごした美智子さま。さらにこの翌日、午前中には御用邸近くの美術館へ。
「海岸沿いにあるこの美術館では、日本画家の堀文子さん(99)が白寿を迎えたことを記念する展覧会が開催されていたんです。
おふたりは係員に案内されて、質問を交えながら作品1枚1枚を丁寧にご覧になっていました」(美術館関係者)
美智子さまと堀さんは以前から交流があり、堀さんが御所を訪れたことも。
「数年前に美智子さまのもとを訪ねた際には、堀さんが草花を描くことから美智子さまはお庭を見せて“自然の草をわざわざ生やしている”と、ユーモアたっぷりに談笑されていたことがありました」(宮内庁関係者)
そんな心を許せる友人の展覧会に足を運び、心安らぐ時間を過ごされたことだろう。
この夜には再び外出され、エッセイスト・堀口すみれ子さんの自宅でディナーを楽しまれた両陛下。
「詩人・堀口大學さん(故人)の娘さんで、約20年前にお父さまとの思い出をつづった著書『虹の館』を読んだ美智子さまが、“お話をしたい”と御用邸に招かれたのが交流のきっかけだそうです。
'02年に葉山町内で皇太子家の長女・愛子さま(16)のご誕生を祝う曲を制作した際に、作詞を担当したのも、すみれ子さんなんです。
いつも料理にお出しするのは葉山の畑や海で採れたものを主とした料理で、両陛下はとても喜ばれています」(同・宮内庁関係者)
夜9時半ごろまで約3時間の夕食会が終わり、翌日の夕方に帰京されたおふたり。葉山での“4つの出来事”が、美智子さまを元気づけたことは間違いないだろう─。