春の嵐が吹きつけた朝。岩手県・大槌町の千葉雄貴さんは県立大槌高校を卒業した。やや緊張ぎみの表情だったけれど、卒業証書を受け取ると堂々と胸を張って式場の体育館をあとにした。
父に東京行きを告げた
友達から、
「卒業しちゃったな」
と声をかけられ、
「そうだな」
と短く答えた。
この春、東京に出る。2年制の専門学校でアニメーターを目指す、という。
「父に“思い切って東京に行ってみようかな”と話したのは高校3年の初めでした。1年のときは岩手県内の専門学校に行くことを考えていましたが、宮城・仙台もいいなって。
いっそ東京に行こうか、とオープンキャンパスに参加したら設備や教育環境がすごかった。担任の先生に相談したら“どうせ行くなら最先端の学校にしたほうがいいんじゃないか”とアドバイスされ、寮生活でお金はかかるけど、どうしようかと父に聞いたんです」
と雄貴さん。
父・孝幸さん(52)の答えは、「先生と2人で相談して決めればいい」だった。
震災は雄貴さんの家族を奪った。母・峰子さん(当時32)、弟・一世くん(同1歳5か月)、祖父・兼司さん(同75)、祖母・チヤさん(同73)が津波にのまれ、母親の遺体はまだ見つかっていない。
この7年間、父子ふたりで暮らしてきた。弟を可愛がっていた雄貴さんは震災直後、一世くんの誕生日には写真を立てかけて誕生会を開き、孝幸さんと一緒に祝った。小遣いでプレゼントも買った。
「よけいに寂しくなるので中3のときにやめました。そんなふうに確認しなくても、いるよねって思うんです」
高校では美術部に入部した。小学校では相撲、中学ではテニスに取り組んだが、アニメや漫画、イラストに強く惹かれるようになったからだ。
「美術部は居心地がよかった。男子部員は4人だけで仲がよく、活動内容は絵も描きますが、だいたい、くっちゃべってましたね(笑)。ただ、(スマホ向けゲームの)モンストやパズドラの話をされるとついていけない。
音楽の話なら加わります。最新のアーティストじゃなくてミスチルとかなら。学校帰りには男子部員でカラオケボックスに行きましたね。友達同士で行くカラオケは何を歌っても大丈夫なので気持ちいい。採点で80点取れないんですけど」
とおもしろおかしく話す。
強がる父が心配
もちろん絵を描かないわけではない。自宅のスケッチブックには描きためたイラストがある。描いて消して、描いて消して、「落書き含めて100点以上」。東京には好きな作家の画集を持っていく。
「仕事にするには描きたいものばかり描くわけにはいかない。求められた絵をどれだけうまく描けるか。そのために2年間勉強します。正直言うと、東京にはあまりいいイメージはないんです。空気がもわっとしていませんか。でも、いままで続けてきたように絵を描いて、描きまくりたい」
小学校でも、中学校でも卒業式は仮設校舎だった。孝幸さんは「震災がなければと、なんだか、せつなかった」としみじみ振り返り、初めて本校舎で行われる卒業式の参列前は「絶対に泣かないから」と言い切っていた。しかし、やっぱり泣いた。
孝幸さんを残して東京に行くのは心配じゃないか、と雄貴さんがひとりのときを狙って尋ねた。
「心配です。でも、何を言っても、いつもどおり“大丈夫。やりたいようにやりなさい”と言われて終わりだろうな。父はこれからどうやって生きていくんだろう。何を生きがいに……と考えて、うるっときました。父は“あ〜もう食事作らなくてすむんだ。俺はもう作らないよ。コンビニ弁当でいいもん”とか強がりみたいなことを言うんです」
トイレから戻ってきた孝幸さんは、そんな話はつゆ知らず、「じいちゃんも絵がうまいので血筋」と笑った。