考案したお弁当の絵を教室の黒板に描く吉田さん(左)と熊谷さん

 4月から宮城県立気仙沼高と統合する気仙沼西高で今月1日、最後の卒業式が行われた。夢を胸に羽ばたいた卒業生108人。その中に、吉田安珠さんと熊谷英莉奈さんもいた。互いに「安ちゃん」「えっこちゃん」と呼び合う仲だ。

「幼稚園のときから16年来の付き合い」

 と熊谷さん。仲のよさは一目瞭然だが、親友ともちょっと違う感覚を2人は持つ。

「家族、ですね。親同士も仲がいいし、どちらかの家に行ってゴロゴロしたり」

 そう話す吉田さんの隣で、熊谷さんもうなずく。

 2人は先月9日に発表された宮城県主催「平成29年度高校生地産地消お弁当コンテスト」で、応募総数55作品(16校)のうち、最高賞にあたる宮城県知事賞に選ばれた。

 同賞は、県内の高校生が地域の食材を使った弁当を考案するコンテストで、2010年から毎年開催されている。

「お弁当作りは授業の課題でした。ペアを組んでください、って言われたとき、えっこちゃんと目が合いました。言葉はありません」

 と吉田さんは笑いながら振り返る。アイデアを吉田さんが提案し、厳しく採点するのが熊谷さんの役目。

明確な将来設計

 吉田さんのひらめきを刺激したのは、本州と気仙沼湾の大島とをつなぐ橋、気仙沼大島大橋だった。

「徐々に橋が架かっていくのを遠くから見ていたので思い入れがありました。それでお弁当作りについて話し合っているときに“希望の架け橋”という言葉が浮かびました。気仙沼に観光客が増えたらうれしいな、と思い、この言葉をテーマに、地元の食材を使ったお弁当作りを始めました」

 そんな吉田さんの提案に熊谷さんは、

「一発オッケーです」

希望の架け橋弁当は2月末、仙台市内で実演販売。写真左は2人を指導した小山和美教諭

 同コンテストをきっかけに気仙沼のよさを再確認できたという吉田さん。

「仙台の写真専門学校に進学します。将来はカメラマンになって、気仙沼のいいところや海産物、景色を温かな雰囲気の写真で撮り、紹介したい」

 一方の熊谷さんは、

「理容師になるのが夢です。 腕のいい理容師になり、喜んでもらえるお店を作り、みんなに恩返しがしたい」

 と将来設計は明確だ。

 震災から7年。

「高台にある学校の校庭から津波を見ました。海沿いの友達の家が流されて……」

 今も生々しく吉田さんの胸に焼きつく、その日の記憶。

 熊谷さんも遠くを見るような視線を宙に漂わせ、

「震災の日、いろんな音がしていたことを覚えています。痛がっている声、助けを求めている声、いまだに怖いです」

 と小声でつぶやく。

 町は動き続け、2人も将来に向け気仙沼から巣立つ。

「新しくできたお店で遊んだり、新しい思い出も増えています。でも、震災前の景色を思い出せないことが寂しい」

 という熊谷さんは、弁当コンテストで発揮できた吉田さんとのコンビネーションの復活をこう夢見る。

「私がモデルさんにヘアメイクをして、撮影は安ちゃん。気仙沼を舞台に、2人で作品が作れたらって思います」