(ノンフィクション・ライター 菅野久美子)
今回紹介するのは、Webディレクターとして都内の広告代理店に勤務する小野洋子(仮名・34歳)。周囲の結婚ラッシュに焦りを感じて婚活を始めた30歳の頃、アニメ仲間のオフ会で出会った佐々木陽介(仮名・38歳)と4年不倫関係が続いている。ある日、専業主婦の妻、6歳の娘と住む陽介の家に招かれた洋子は、結婚式の写真が飾ってある部屋で、陽介と関係を結んでしまう――。
「不倫するのはクソ女だってずっと思ってた」
洋子は、物心ついた頃からオタク文化に傾倒し、少女マンガにどっぷり浸かって育った。大好きな少女マンガの世界は、胸がときめくような純愛に溢れていた。運命の出会いに、永遠の愛を誓う二人――。私も、こんな少女マンガのような恋愛がしたい。不倫なんてありえない、と思っていた。
「不倫はダメだって、小さい頃から思っていました。人のものはダメだって感覚ですね。世間だけじゃなくって、やっぱり少女マンガの世界に刷り込まれてたんだと思う。昔はむさぼるように少女マンガを読んでました。少女マンガの世界は純愛が多いですよね。一度心に決めた相手とは、添い遂げるものだと思った。だから、“絶対不倫は汚らわしい”って思ってた。あと、10代の頃、友達の両親が不倫して、友達がその狭間で大変そうだったんです。その悲惨さを見ていると、子供がかわいそうだなって」
しかし、いざ自分が経験してみると、現実は少女マンガとは違うことに気が付いた。大人の女性になれば、少女マンガの世界のような純愛もないし、簡単に切れない感情だけが膨れ上がっていく――、そんな自分に洋子は気が付いた。
「もし、普通に結婚していたら、不倫を叩く側だったと思う。不倫する女=クソ女だって。見方が変わったのは、自分が経験してからですね。こうなっちゃうんだなと。『ダメだ、ダメだ』と思うほど、そっちに行っちゃう。麻薬と一緒なのかも。禁じられているから興奮するんです。『不倫なんてダメだ、良くない』と思えば思うほど、その人のことを考えてしまうんですよ。だから、不倫していることに関しては、“すいません”と言うしかないです」
父親みたいな存在に頭をなでられたい
洋子がまだ幼い頃に、両親が離婚。母親は、洋子の兄と妹を含めた3人を引き取って、いわゆる母子家庭というハンディを抱えながら育てた。無職の父親は、家にお金を入れることもなく、たまに気まぐれに訪れるだけだった。家計は火の車で、母親は夜昼を問わず働いて、子供たちを養った。洋子はそんな母親を助けるために、家事を一手に引き受けていた。
そんな家庭環境による寂しさゆえか、洋子は小学校3年生の時に、自分の髪の毛を1本ずつ抜いていたことがある。髪が徐々に薄くなり、一部がハゲになった洋子に気付いた母親は、慌てて病院に連れて行った。
「あの頃は全く無意識だったと思うんですが、髪を1本ずつ抜いちゃっていましたね。それが、痛いという感覚はないんですよ。今でもストレスを感じると、髪の毛を抜いてる時があるんです。爪を噛むのも好きで、母親にそれを発見されたときに心配されましたね。お父さんが好きというのと、お父さんがいないことによる寂しさを、今の不倫相手にぶつけているんだと思います。子供っぽい男の人を今まで好きになったことがないし、好きになる人はどこか父親的な包容力のある人が多いんです。そうなると、どうしても落ち着いている妻帯者になっちゃう。今の人もそう。セックスなんかよりも、頭をなでられたり、ハグされると落ち着くんです」
洋子の家庭を破滅に追いやったダメな父親だったが、母親や他の兄妹と違って、洋子には父親に対して良い記憶しかない。ダメな父親だったとしても、子どもの頃の思い出もあって、会えるのはたまらなくうれしかったからだ。
優しくて、包容力のある男――そうなると精神的にも幼い同世代の男ではなく、妻帯者が自然と視界に入ってくる。
洋子は20代の時も、40代の男と不倫関係になっている。不倫相手は、当時、勤めていた職場の上司。洋子の自宅が職場と近かったこともあり、定時に会社が終わると、6時に不倫相手が家に来て、必ずセックスをして、終電前に帰る。そんな日々が5年続いた。それはまるで、父娘関係の再現のようだった。
「あの時は、彼が好きというわけじゃなかった。ただ、寂しかったから。なんだかんだ、5年も一緒に居たんですよ。毎回セックスして彼が帰ると、心の底に空しさだけが残るんです。そんな関係だと、心がどこか満たされないですよね。ただ、人並みに性欲があって、ムラムラ感があった。お互い寂しい者同士だったから、そこで利害が一致していただけという感じです」
なんか、落ち着ける場所を探して、ずっと旅をしている感じ――。
洋子は、ぼんやりと空(くう)を見つめながらそう言った。無償の愛で包んでくれる、父親のような相手を探す旅。果たしてそんな相手が見つかるのだろうか。いや見つかってほしい、私は切にそう願う。今も昔も、洋子と不倫相手との関係は、まるで洋子がかつて行っていた抜毛癖(ばつもうへき)のようだと思った。不在の父親を無意識に求めてさまようがゆえに、「不倫」というその場しのぎの関係をつかんでしまうのだ。
「幸せになりたいけど、不幸な関係を呼び寄せちゃう」
「本当はこんな不幸な恋愛じゃなくて、幸せになりたいんです。でも、なんか、不倫のような不幸な関係を呼び寄せちゃうんですよね。私もまっとうな人と付き合いたいと思うんです。でも、愛してくれない人を好きになっちゃう。父親みたいなタイプが好きだから、独身の男とはなんかうまくいかない。
しかも、自己否定の気(け)が強くて、仕事で追い詰められてると、自分に絶望しちゃうんです。今の相手(陽介)も、仕事がうまくいかなくて、精神的に不安定な時に出会ったんです。“ダメだ”とか、“できてない”とか、とにかく自己否定がひどい。類が友を呼ぶというか、不安定な人を呼び寄せるんですよね。彼は、家庭生活にすごく不満があって、セックスレスも重なって、自己否定のモードにあると思うんです。そう考えると、自分がしっかりしないとなって思うんですけど……」
洋子は、そんなふうに自己分析してみせた。しかし、洋子にはどうすればいいのかわからない。このままでは、まっとうな婚活からは遠ざかるばかりだ。実は洋子は、これまでに何度も陽介との関係を清算しようとした。
「もう、連絡してこないで! 奥さんを大切にしてよ!」
相手は妻帯者――。たまにその現実を直視して、気が変になりそうになる。そして、ヒステリックに陽介を問い詰める。何をどう言ったところで彼は自分のものではない――、寄せては返す波のように、幾度も幾度も狂おしい感情が、洋子の心身を追い詰めるのだ。
そんな言動の末に一方的に関係を切ると、陽介はパタリと連絡してこなくなる。絶対に向こうから深追いはしてこない。妻とはうまくいっていないとはいえ、離婚する気などさらさらないからだ。不倫する男にありがちな、「来る者は拒まず、去る者は追わず」というスタンスなのだ。
それが何日も、それこそ何週間も続くと、洋子は寂しさに耐えきれず、自分からLINEでメッセージを送ってしまう。その繰り返しが未だに続き、無限ループから逃れられない。けれども、たとえわずかな時間であっても、落ち着ける場所という夢を見させてくれるなら、藁(わら)にもすがる思いでその関係に依存してしまう。それが不倫という行為の本質なのだ。
「休日とか、家に独りきりでいるのが無性に怖いんですよね。それでどうしようもなくなっちゃって、止めたほうがいいと思っていても、不倫相手につい連絡しちゃうんです。寂しさを紛らわす相手としては、たった一瞬つながるだけでも救われるんですよ。“服をたくさん買ったの”とか、そういう他愛もない話を聞いてほしくて。
この前の日曜日、LINEで私が『今なにしてるの?』とメッセージを送ったら、『動物園に来てるよ』っていう返信が、画像と一緒に送られてきたんです。ゾウが映っていて。あぁ、今ごろ、嫁と娘と3人で、動物園に行って家族サービスしてるんだなとピンときました。でも、その時はムカつくというよりも、いいなーと、思ったんです。羨ましいって。私も幸せになりたいって」
洋子は何度も、「幸せになりたい」と口にした。しかし、それはとても漠然としていて、現実味を帯びていないように感じた。
陽介は、少女マンガの世界から飛び出してきたかのようなイケメンだが、決して洋子のことを一番に思ってくれているわけではない。陽介は家庭生活に不満があれど、離婚する気がないのを洋子は知っている。
それでも、自分からこの関係を断ち切れず、不倫ともセフレともつかないような関係がズルズルと続いている。陽介にとっては、この関係は決して悪いものではないだろうが、洋子にとっては、結婚という夢物語が夢物語のまま終わるのを、黙って見過ごすことに他ならない。
洋子は、とても気さくで、心根の優しい女性だ。それは兄妹の面倒を引き受けていた過去のエピソードからもよくわかる。そんな洋子が、取材を終えた別れ際、少し寂しそうにしていたのがとても印象に残っている。
彼女が「かけがえのない誰か」に出会い、「落ち着ける場所」を得て、旅がハッピーエンドを迎える日はくるのだろうか。それはきっと、これから訪れる新しい出会いの中にしかない。そして、「救いとしての不倫」から「本物の救い」へと至るには、自分自身を不自由にしているのは、何なのかということに気付くことだと思う。私はそう信じている。
<筆者プロフィール>
菅野久美子(かんの・くみこ)
1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。
最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の生々しい現場にスポットを当てた、『中年の孤独死が止まらない!』などの記事を『週刊SPA!』『週刊実話ザ・タブー』等、多数の媒体で執筆中。