お父さんが仕事をして家計を支え、お母さんが家を守る。こんな日本のテンプレート的な家庭のカタチとは違う生活を選んだ家族がいる。読み方は主婦と同じでも、世間のイメージは対極にある存在の“主夫”という生き方─。
職場を寿退社
「仕事を辞めて自分が家事を担当すると決めたとき、周囲全員に反対されました」
こう語るのは、10年以上の主夫歴を持つイクタケマコトさん。以前は小学校の教師として数年間、教壇に立っていた彼。主夫になるきっかけは、結婚だった。
「妻は同じ学校の教師仲間。結婚したとき、僕は共働きで教師を続けていくのが当然と思っていました」
イクタケさんにはイラストレーターという夢があった。就職して日々の仕事に追われ、結婚して“普通”の暮らしに埋没していくのかと思ったとき、
「“お金のことは心配しなくていいから、好きなことをやって”と妻に背中を押されまして。そう言われたときは“はいっ!”と即答でした。そこで職場を寿退社しました(笑)」
仕事を辞めた当初、イラストの仕事のあてなどなかった彼。一方、妻は朝7時に仕事へ出かけ、帰宅するのは夜の8時過ぎだった。
「掃除や洗濯といった家事をやりながら、出版社などに営業をかけていました。自分の夢が生活の中心になり、それ以外でできることを考えたら、家事だなと。イラストのことだけを考えていられたので、毎日が楽しかったですね(笑)」
しかし、周囲はやさしくなかった。
「住んでいるマンションの年配の方に“君はいつも昼間からフラフラしているけど一体、何をしているんだ?”と、キレぎみに質問されて……。自分が世間からどう見られているのか気になってしまった」
いまほど世の中に主夫という存在が浸透していなかった時代。「“ヒモ”じゃないのか?」と心ない言葉をかけられたこともある。妻の働きで養われていることを指す“髪結いの亭主”という言葉も覚えた。
「当時は本当に、自分が何者なのかわからなくなってしまって。そこでいろいろ調べていたら、主夫という言葉を見つけたんです」
そのとき、自分の肩書を手に入れた気持ちになった、とイクタケさん。
現在はイラストレーターの仕事も増え“兼業主夫”になってきたという。
「いまも家事全般、僕が担当しています。結婚して以来、妻の手料理を食べたことがありません(笑)。それを苦に思ったことは1度もない。好きなことをやらせてもらっているかわりに、何かを返してあげたいと思っていますから。
僕、結婚してから毎日、仕事に向かう奥さんを駅まで送っているんです。近所の方からは、うらやましいと言われますよ(笑)。男だからとか、女だからというのではなく、お互いのことを認め合っていればいいのかな、と思います」
夢を追いかけるため、結果的に主夫になったイクタケさん。だが、主夫の道を選ばなくてはいけなかった人もいる。
主夫を名乗るのがつらかった
慶應義塾大学文学部を卒業し、ディズニーリゾートを経営する会社、オリエンタルランドに就職した、ハンドルネーム・ムーチョこと宮内崇敏さん(30代)。
「就職して2年くらいですかね、人間関係で精神的なストレスで体調を崩してしまいまして……」
休職を経て、入社4年目で会社を退社。ちょうどそのとき、妻が妊娠して長女を出産した。
「僕は子育てをしながら再就職したのですが、体調不良の後遺症みたいなもので仕事を続けられなくなったんです。そんなときに2人目の娘が生まれまして。組織で働くということが僕には無理なのかな、と思い始め、妻と話し合って、僕が専業主夫として子育てをしようと決意しました」
宮内さんの妻は、外資系の医療メーカーで働いている。家庭の大黒柱となったことについて、
「こんなに大変だとは思っていなかった、と。共働きだから、“仕事が大変だったら、辞めてしまえばいいと思っていた”と告白されました。でも、僕が主夫となったので、経済的には彼女が支えていかなければならなくなって。妻も悩んでいたと思います」
“男が主夫になる生き方もある”と思っていたが、いざ自分がその立場になってみると、ガク然とした。
「一般論としては認めていたんですけど、家事をしている自分に対しての拒否反応がハンパなかったんです。心の底では、専業主婦を少し見下していたんでしょうね。だから主夫を名乗るのがつらくて。自分は社会的に下の部分にいる、なんて思っていました」
生きている意味がないとまで思い詰めたというが、子育てや家事をしていくなかで、気がついたことがたくさんあった。
「僕はPTAや町内会といった地域コミュニティーにも参加しているんですけど、サラリーマンをしていたときには絶対会えない人たちと話すことができます。会社って、言ってみれば同じ年収、同じような学歴を持つ人間が集まる場所。社会としては狭い世界かなって。企業で出世していくだけが人生ではないし、お金を稼ぐだけが仕事ではないと思えるようになった。いまは生活を楽しめています」
娘たちも9歳と10歳になり、子育ても一段落してきた。
「専業主夫というのは、終身ではなくていいと思っています。いまは娘たちに手がかからなくなってきたので、リモートワークで仮想通貨の関連会社でアルバイトをしつつ、自営業として漫画やコラムの執筆業も行っています。
主夫を10年くらいやってきてわかったのは、男性や女性という括りで考えるものではないということ。昔の価値観に引きずられて、白い目で自分を見ているのは、周囲ではなく自分自身でした。いまはみなさんに僕たち家族の生活を、胸を張ってオススメできます。ここまで言えるようになるのに、僕は3年かかってしまいましたけど(笑)」