1986年『女が家を買うとき』(文藝春秋)での作家デビューから、70歳の現在まで、一貫して「ひとりの生き方」を書き続けてきた松原惇子さんが、これから来る“老後ひとりぼっち時代”の生き方を問う不定期連載です。
第3回「幸せは条件ではない」
結婚しようが、しまいが、生涯独身だろうが、どう生きようが、それは個人の自由なので、他人がとやかく言うことではないが、本人はけっこう悩むものだ。
30代後半でアルバイト生活だったころのわたしは、このままシングルでいいのか悩むことが多かった。大学の同級生は、ほぼ全員が30歳までに結婚し、2人の子供のママになり、見た目も幸せそうに見えた。
人が幸せそうに見えるときは、自分が納得できる人生を送っていない証拠。「隣の芝生は青い」のことわざのように、他人が幸せそうに見えるときは、黄信号だ。
もやもやしていたある日、街でばったり大学時代の友達に会った。「覚えている?」と言われ、一瞬わからなかったが名前を言われて思い出し、「元気だった?」とあいさつし合ったが、会話はとても短いものだった。彼女は裕福なエリートサラリーマンの妻になり、こちらはひとり身のアルバイト物書き生活。立ち話の間に、共通の話題を探しきれなかった。
別れ際に彼女は、
「ひとりで大変ね。何かあったら遠慮なく電話してくださいね」
と、お願いしたわけでもないのに、電話番号を書いたメモをわたしに渡した。そのとき、彼女が民生委員に見えた。わたしは同情される身なの?
目標に向かって人生を歩んでいるなら、そんなふうに感じなかっただろうが、当時のわたしは、鳴門の渦の中で回っていたので、なぜか、とても傷ついた。自分で認めたくない本当のことを、他人から指摘されたからだ。
足取りは重かった。ひと駅歩いた。
「やっぱり片目をつぶってでも結婚したほうがよかったのかな。このままじゃ惨めな老後になるに、違いないわ」
そんなある日、人生の先輩に助言を求めると、その方はゲラゲラ笑いながらわたしを一喝した。
「アハハ、あなた、もうすぐ、40にもなろうとしているのに、なんてお嬢ちゃんなの。幸せは、条件じゃないのよ! 条件で、人は、幸せになれないのよ」
その言葉は、わたしの胸につき刺さった。
貧しい国に生まれた人がみんな不幸ではない。財産を持っている人が幸せとは限らない。貧乏でも食べ物を分かち合い、明るく生きている人たちはたくさんいる。わたしは食べるものにも困ってもいないのに、そのありがたみもわからずに、人の持ち物と比較して、自分を嘆いている。なんて、バカなのか。
「今の日本人は、食べていくことはできる。だから、日本人に生まれただけで幸せなのよ。日本に生まれる確率って、考えてみたことある? 天文学的確率よ」
すでに十分に幸せであることに気づけ、と言われたのだと思うが、当時のわたしは、「誰か紹介してくれないかしら」とやましい気持ちを心の底に持っていたので、素直に受け止めることができなかった。あなたは家族もお金も持っているから……。
幸せは条件ではなく、自分の心が決めるものだと心からわかるようになったのは、恥ずかしながら、つい最近のことである。いえ、本当のことを言うと、今でも、お金があったらもっと幸せかもと、通帳を見て思うことがある。なんで、もっと若い時から個人年金に加入しておかなかったのか。この年まで大きな病気もせず、また、明日のご飯に困っているわけでもないのに、企業年金で悠々自適の同級生を見ていると、ついつい。
ああ、まだまだ、わたしは修行が足りないですよね。座禅に通っていたことがあるのに、何も学んでいないわたしだ。
顔に「心が不幸です」と書いてあるシングル女性が多い
わたしが主宰しているNPO法人SSSネットワークには、定年を迎えたシングル女性が多く参加している。日本の男女不平等の組織の中で定年まで勤め上げたというのは、並大抵のことではないはずだ。
そんな自立した彼女たちにとり、誰にも頼らずに自力で生計を立ててきたことは誇りのはずなので幸せでいいと思うが、幸せそうに見えない人が多いのには、正直驚きを隠せない。
女性は男性と違い堅実だ。シングル女性の多くが老後のために、家、貯蓄などせっせと準備しているのが普通だ。一方、シングル男性は、家や貯金にこだわらないようで、病気で職を失いホームレスになる人もいる。女性にホームレスが少ないのは、家に執着する性格のせいのような気がしてならない。総務省統計局の「平成26年全国消費実態調査」によれば、単身世帯の持家率は男性50.9%、女性67.9%と、女性のほうが男性を17ポイントも上回っていることからもわかる。
それなのに、彼女たちは、健康を失ったときに自分の世話をしてくれる人がいないことに、大いなる不安を感じているのだ。こんな言い方はしたらいけないが、顔に「心が不幸です」と書いてある人が多い。
口の悪いわたしは、「あなたって不安が趣味なの?」と言うのだが、最近は、冗談も通じないほど不安の渦が大きくなっているのを感じる。老いと共に不安は増大するようだ。
先ほどの幸せの条件の話ではないが、お金があっても幸せになれない実例を日々、見せつけられ、とてもいい勉強になっている。
お金は確かに大事だし、ないよりはあったほうがいいと思う。しかし、それにとらわれすぎると、幸せから遠ざかることになりかねないのも事実だ。
選択肢が少なければ、迷うことも少ない
年を取れば取るほど、病気のリスクは増え、仮に老人ホームに入所することになれば、まとまったお金が必要だ。お金のある人は有料老人ホーム入居もありえるが、お金のない人に、その選択肢はない。しかし、だからといってお金のない人が不幸かというと、それは違う。ホームに入る選択肢がない幸せもあるのだ。
つまり、選択肢が少なければ、迷うことも少ない。ホーム入居の選択肢がなければ、最後まで自宅で頑張る気力もわいてくる。そういう考え方に変わると、肝がすわり、怖いものがなくなってくるから不思議だ。
単純に比較できないが、株を持つ人は、いつも金利のことを考えて落ち着かず、損得で一喜一憂して暮らさなければならないが、株を持っていない人は、その不安がないぶん、さわやかだ。最近、わたしは年齢のせいか、持っていない幸せを痛感することが多くなっている。
SSSネットワークの会員に、借家住まいの80代の女性がいる。借家住まいは追い出される不安があるため多くのシングル女性は家を買うのに、彼女は死ぬまで、今の借家に住み続けると笑いながら話す。なぜなら、大家さんから「一生住んでもらっていい。死んだら火葬もやってあげるから安心してね」と言われているそうだ。これは、彼女が、長年かけて作ってきたいい人間関係の結果ではないだろうか。幸せは、お金ではないといういい例ですよね。
会員の中には、こんな60代のシングル女性もいる。昨年、両親を見送り戸建てにひとり暮らし。寂しくないか聞くと、あっけらかんとした顔でこう答えた。
「ぜんぜん。ひとりは最高! ひとりは自由! 家族のしがらみもなくなり幸せよ。変な話、ひとりだと死ぬのも自由よ。全部、自分で決められるっていい。ひとりの老後を心配して不安で過ごしている人に言いたいわ。なんて、もったいない暮らし方をしているのって」
わたしも心からそう言える人になりたい。
<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『「ひとりの老後」はこわくない』(PHP文庫)、『老後ひとりぼっち』(SB新書)など多数。