'93年4月に両陛下として初めて沖縄県を訪問した際には、小児発達センターで美智子さまは子どもたちと笑顔でご交流を

「天皇・皇后両陛下は、約4年ぶりに沖縄を訪問されます。来年にお代替わりが控えているので、両陛下として沖縄に行かれるのは最後となる見通しです」(宮内庁関係者)

 3月27日から2泊3日の日程で沖縄県に滞在される両陛下。皇太子ご夫妻の時代から数えると、実に11回目の訪問となるが、今回は初めて与那国島にも足を運ばれる。

「初日には、糸満市の『沖縄平和祈念堂』を訪れたあと、『国立沖縄戦没者墓苑』で献花されます。

 その翌日には、与那国島で在来馬の与那国馬や世界最大級の蛾である“ヨナグニサン”を見学し、日本最西端の岬『西崎』も視察される予定です」(同・宮内庁関係者)

 今回が最後の訪問とあって、地元の人々も“熱気”にあふれている。

 両陛下を奉迎する実行委員会の事務局長・大山晋吾さん(57)に話を聞くと、急な訪問決定にもかかわらず、おふたりを歓迎する準備をしっかり整えたという。

「初日の夜には、那覇市の緑ヶ丘公園から県庁前の広場までを“提灯大パレード”と銘打って提灯行列を行い、最終地点の奥武山公園の両陛下が宿泊されているホテルに向かい“万歳三唱”を行います。

 今回のご訪問は準備期間が短かったのですが、日の丸の小旗が約4万本、お提灯の数は4500ほど用意いたしました」

 訪問に合わせて、“記念冊子”も作成したと大山さんは続ける。

「今回で11度目のご訪問になりますが、こんなに多くいらっしゃる都道府県はほかにありません。両陛下が沖縄にお寄せになる御心に対して、少しでも感謝の気持ちでお迎えしたいと考えております。

 今回のご訪問に合わせて“皇室と沖縄”という全12ページの小冊子を約7000部作らせていただいて、県内で配布しています。

 本冊子では、両陛下の沖縄県民に寄せられる御心に感謝申し上げて、これまでの10回のご訪問を写真やエピソードで振り返った内容に仕上げました」

 沖縄県民から手厚い歓迎を受ける理由は、同県に対して両陛下が強い思い入れをお持ちであることに起因する。

沖縄県が本土復帰した3年後に初めて訪問した皇太子時代のご夫妻は「ひめゆりの塔」で献花された('75年7月)

「沖縄県は、太平洋戦争末期に激しい戦火にさらされたところでもあり、一般人も含め約20万人が亡くなった場所です。

 初めて同県を訪問されたのは、沖縄が本土復帰を果たした3年後の'75年に開かれた“沖縄海洋博”の開会式出席のためでした」

 そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。

 皇太子ご夫妻時代に初めて同県を訪問されたときには、多くの人が知る“ひめゆりの塔事件”が起こった。

'75年は、遺族の方々も多く存命しておられたので、複雑な感情がまだ残っている時代でしたが、おふたりは“たとえ石を投げられてもいい”と沖縄入りをされたのです。そんな中、現地女学生のための慰霊塔である“ひめゆりの塔”で献花された際、過激派が火炎瓶を投げ込みました。

 美智子さまも足に傷を負われ、今では考えられない事件だったので、沖縄ご訪問の歴史の中でも印象に残っている出来事です」(渡邉さん)

 その夜、当時、皇太子だった陛下は“異例”ともいえる沖縄への思いをつづった「談話」も公表された。

《払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々の長い年月をかけてこれを記憶し、ひとりひとり深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません》

 このときの出来事が、両陛下が現在も続けられている国内外への“慰霊の旅”の原点なのかもしれない。

“過密スケジュール”を懸念する声も

 その一方で、今回の沖縄訪問は、おふたりへの「ご負担が大きい」と話すのは、別の皇室ジャーナリスト。

「遠方ということもそうですが、2日目の与那国島は“過密スケジュール”なんです。

 午前中に那覇空港から特別機で与那国島に到着後、午後だけで5つの場所にお立ち寄りになります。

 さらに、その日中に那覇に戻る行程なので、ご高齢の両陛下にとって、ご負担はとても大きいでしょう」

 美智子さまは、日常生活に大きな支障はないものの、時折、足に強い痛みを感じられているという報道もあった。

皇后さまは、今年1月ごろから断続的に足の痛みがあり、21日に行われる予定だった宮中祭祀『春季皇霊祭・春季神殿祭の儀』への出席をお取りやめになりました。

 持病の『頸椎症性神経根症』にもお悩みになっていて万全の状態ではありませんが、陛下のご体調を第一に気遣われているのでしょう」(同・皇室ジャーナリスト)

 というのも、以前に陛下は冠動脈のバイパス手術を受けたり、前立腺がんを患っておられたこともあった。

 さらに、84歳というご高齢なだけに、陛下を古くから知る同級生はこんなエピソードを明かす。

「両陛下とお食事を一緒にさせていただくときには、陛下は耳が遠くなっているようで、会話しているときに聞き直されることがあります。その際には、美智子さまが会話をフォローされますね」

 '15年10月に富山県で行われた三大行幸啓のひとつ『全国豊かな海づくり大会』では、こんなひと幕も。

「式典で閉会のことばを話そうとした富山県議会議長を陛下が呼び止め、“最優秀作文の発表は終わりましたか?”とお尋ねになったのです。

 作文発表はその30分前に終わっていたので、“老化によるご体調の問題があるのでは”と、関係者の間で噂になりました」(皇室担当記者)

 この皇室担当記者によると、昨年8月15日の『全国戦没者追悼式』でも、陛下に“異変”が見られたという。

昨年の「全国戦没者追悼式」で陛下の異変に気づかれた美智子さまは、さりげなく“アシスト”を

「陛下が戦没者に黙禱したあと、平和への願いを込めたおことばを読まれました。

 おことばが終わって一礼したあと、次の動きに移ることなく、その場に立ち尽くされてしまったのです。

 その状況を察したと思われる美智子さまが“陛下、そろそろ……”と促して、おふたりは席に戻られました。

 予定外の陛下のお動きに美智子さまが“アシスト”されたように見えましたね」

「満身創痍」の美智子さまが、陛下を支えながら果たされる今回の沖縄訪問。ご負担は計り知れないだろう。

陛下は手術を経験になっておられますし、美智子さまもお身体が痛まれています。

 そんな状態で飛行機に乗って、しかも過密スケジュールの行程であれば、ご負担は大きいでしょう。その中で美智子さまは、陛下を気遣ってお支えになる立場なので、そうとう大変な行事だと思います」(渡邉さん)

 それほどの強い思いで訪問される両陛下の姿に、島民もさぞ胸を打たれていることだろう。