バブリーなファッションに身を包み、登美丘高校ダンス部が踊る『ダンシング・ヒーロー』の“バブリーダンス”や、芸人の平野ノラのバブルネタが注目を集め、次期朝ドラ『半分、青い。』は’90年代が舞台。日本中が元気で明るい未来しか見えていなかった’80~’90年代初頭を、モノや流行、出来事などで振り返ると、 今の時代が見えてくる──。
「僕はバブルという時代に救ってもらったのだと思います」
カーディガンの“純一巻き”を筆頭に、バブル期におけるトレンドの第一人者であった石田純一(64)。トレンディー俳優として人気役者の仲間入りを果たし、現在まで多岐にわたり活躍を続けている。そんな石田が「あの時代じゃなかったら、僕は輝けずに売れないままだったと思う」と回想する、意外な真意とは?
「いつしかプロデューサー巻きが、純一巻きって呼ばれるようになったけど、流行らせようと思って巻いていたわけではないですよ(笑)。僕は昔から取り入れていたから、“なんで今ごろ?”って不思議に思ったくらい。でも、あの当時は確かに真新しい文化が次々と流入した時代だったと思う。実は、トレンディードラマの現場もそうだったんです。
それまでドラマ制作の衣装さんっておしゃれではなかった(苦笑)。ドラマのイメージに合わない衣装が多かったから、僕や岩城(滉一)さんは私服で演じていたほどです。演出家や脚本家と、“こんな服装はどう?”“こういうおしゃれな場所があるんだけど?”なんてディスカッションを重ね、新しいアイデアを作り出していきながら、トレンディードラマを機に成熟していったんだと思います。
バックにおしゃれなBGMを流すような演出や、新しいスポットで撮影するのも、トレンディードラマが先駆けじゃないかな」
当時は、タイトルバックだけを撮るために海外ロケに行くなど、2時間のスペシャルドラマの制作費が億を超えるのは当たり前。
「僕も、LAで探した、ベージュのコンバーチブルのジャガーを交際女性にプレゼントしたり……。奥さん(東尾理子)からしたら説教したくなるエピソードも少なくない(笑)。
お金が潤沢にあったことは事実だけど、みんなが余裕と遊び心を持っていた時代でもあったと思うなぁ。ロケハンに費やす時間もスタッフと演者、双方が議論できる空気感もありましたし。『抱きしめたい!』をはじめとした人気ドラマは、河毛俊作さん(演出)、山田良明さん、大多亮さん(プロデューサー)といったテレビ局の気鋭の若手クリエイターが手がけた作品ですが、みんなが“既存の古臭いドラマを変えよう”という志を持っていました。僕も、旧体制のドラマ作りには疑問を抱いていたから、学生時代に演劇を学ぶために渡米したほどです」
それまでのドラマは、紋切り型の演じ方が求められていた、と石田は言う。
「例えば、フラレる男はいかにも情けない姿で、復讐をするなら怒りに満ちた表情で、という具合。ところが、トレンディードラマは内面の多様性も生かす作りをしていて、僕のような雰囲気イケメンに光を当ててくれた。
当時は、アンチ正統派イケメンといった俳優さんが数多く輩出された時代なんです。若い世代が“新しい文化を作るぞ”という気概を持っていたからこそ、今までにないチャンスがめぐってきて、僕も日の目を見ることができた。もう少し早く生まれていたら、売れていなかったでしょうね。
新しい潮流って、個性や自分たちの文化を発信することで生まれます。バブルのころって、お金だけではなく、実は下の世代からの突き上げがすごかった。お金があるからこそできることもあるけれど、それだけではなく、発想や個性を武器に新しいものを創造していってほしい。そうすれば、また活気のある時代になると思いますね」
<プロフィール>
いしだ・じゅんいち◎1954年東京都生まれ。俳優。早稲田大学商学部中退。『あめりか物語』(NHK)でデビュー。『抱きしめたい!』(フジテレビ系)、『想い出にかわるまで』(TBS系)など数々のトレンディードラマに出演しブレイク。映画、ドラマ、舞台、キャスター、バラエティーなど、多岐にわたって活躍。現在、朝日放送『石田純一のシネマに乾杯』毎週土曜日23:10~、JFNラジオ『石田純一のNo Socks J Life』にてレギュラー出演中。週刊新潮『還暦も文化』連載中。