旅立ったペットたちは、「虹の橋」のたもとで楽しく遊びながら、飼い主がくるのを待ってくれているのだろうか……。イラスト/まなかちひろ

 家族の一員として、長年楽しい時間をともにしてきたネコとも、いずれお別れする日がかならずやってきます。病気の治療など、できる限りのことをした後にやってくる終末期を迎えて、やせ細った愛ネコが衰弱していく姿を見るのはつらいものです。

『ネコの老いじたく』(SBクリエイティブ)の著者であり、獣医師である壱岐田鶴子さんは、「最期を看取ることは精神的に大きな負担をともないますが、ネコは長年住み慣れた自宅のお気に入りの寝床で、愛する家族や仲間に看取られることを望んでいる」といいます。では実際に最期を迎えるとき・迎えたあとの、飼い主自身の向き合い方を壱岐さんに聞きました。

最期を迎えるネコとの向き合い方

 昔から「ネコは死期が近づくと姿を消して、ひっそりとした場所で死んでいく」と言い伝えられてきました。具合が悪くなって外敵から身を守るために、静かな場所でじっとうずくまって体力の回復を待っているうちに、人知れず息絶えてしまうネコが多いからだと思います。

 そのほかに、「ネコには死の概念がなく、体調が悪く苦しい状態を『敵の威嚇』とみなして、その危険から身を隠している」「人に死ぬところを見せたくない」「飼いネコも最期には、クッションの上ではなく冷たい面の上での死を望む」など、その理由もいろいろと推測されています。

 いずれにしても、室内のみで暮らすネコが増えている今日、長年一緒に暮らした飼いネコの最期を看取ることができるのは、飼い主にとってもネコにとっても幸せなことといえます。

 回復の見込みがまったくなく、苦痛を除去・緩和することも限界に達して、ただ「最期のときを待つのみ」という場合には安楽死という選択もあります。

 たとえば、悪性腫瘍や腎不全の末期で、呼吸困難やけいれん発作を繰り返し起こしているような状態であれば、獣医師から安楽死の話があるかもしれません。「1日でも1秒でも長く一緒にいたい」という思いと「苦痛から早く解放してあげたい」という思いの葛藤にさいなまれるかもしれません。すぐに決める必要はありません。

 安楽死に対しての見解は、国や宗教はもちろん、個人の倫理的な観点によっても異なってきます。その国の人への医療制度も反映されるでしょう。たとえば、人の安楽死が合法化されている国もあるヨーロッパでは、ペットの安楽死を「非人道的」とはとらえず、痛みや苦しみにさらされながら体がゆっくりと活動を停止していく過程を、少しだけ早く送り出してあげる「穏やかな死」としてとらえ、日本に比べて安楽死が選択されるケースが多いと思います。

 安楽死を実際にさせる・させないにかかわらず、後悔しないためにも、安楽死について正しく理解しておくことが大切です。安楽死の手段は動物病院によっても多少の違いがあるので、その手順や自宅への往診は可能かなど、不安に思うことがあればきちんと説明を受けておきましょう。

安楽死をするか否かは、ネコの「意思」を尊重して飼い主が判断する

 通常は獣医師が鎮静効果のある麻酔薬を注射して、ネコは飼い主の腕の中で眠りにつきます。ネコが眠りについたところで、2度目の注射(致死量の麻酔薬を静脈注射)が打たれ、ネコの呼吸が止まり、心臓が停止します。

 2度目の注射をするときにはネコは眠っているので、注射されたことにも気づかず、苦痛をともなうことなく、静かに永遠の眠りにつきます。

 このときだけは、飼い主が望むなら(可能であれば)、かかりつけの獣医師に自宅に往診してくれるように頼んでもよいでしょう。住み慣れた家で、家族全員で見送ることができます。

『ネコの老いじたく』(SBクリエイティブ)壱岐田鶴子=著 ※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

 安楽死は「世話をすることができない」とか「病気になったネコの痛々しい姿を見たくない」など、決して人側の都合ではなく、ネコの生活の質が保たれているかを基準に判断しなければなりません。ネコがそのネコらしく生きられなくなったときが「安楽死に値する状態」と考えてもよいかもしれません。

 しかし頭ではわかっていても、「そのとき」を決めるのは簡単なことではありません。いちばん大切なのは「ネコの心の声」に耳を傾けることだと思います。ネコと心が通じ合った飼い主には、ネコの生きようとする「目の輝き」が失われた瞬間が感じとれるはずです。

 最終的にはネコの「意思」を尊重し、家族全員で話し合った上で、ネコのことをいちばんわかっている飼い主のする選択が、ネコにとってもいちばんよい選択なのです。「自然な死」を迎えさせてあげても、安楽死を選んでも、最後までネコに寄り添ってあげることが大切だと思います。そして、「よく頑張った」とネコをほめてあげましょう。

ペットロスの悲しみの乗り越え方

 大切な家族の一員であるネコを看取ったり、そうでなくても、なんらかの事情で手放さなければならなくなったとき、喪失感に襲われて、しばらくの間はなにもする気が起きない日が続くかもしれません。

 ネコがいなくなってから、小さなネコがどれほど大きな存在であったのかに気づかされます。ネコに対する思いは一人ひとり異なり、そのネコと飼い主との関係は世界に1つしか存在しません。

イラスト/まなかちひろ

 最愛のペットの喪失(ペットロス)による悲しみの感じ方も一人ひとり違いますが、ネコとの心のきずなが強ければ強いほど、深い悲しみからなかなか立ち直れないこともあります。悲しくてなにも手につかなくなったり、眠れなくなったりすることもあるでしょう。誰かに怒りをぶつけたり、「あのとき、ああしていれば……」などと後悔の念に駆られて、自分のことを責めたりすることもあるでしょう。

 しかし、命が尽きるのは誰のせいでもなく、命が尽きる日は(ネコにかぎらず)誰にでもかならずやってきます。

 大切な家族の一員がいなくなれば悲しいのは当然です。泣きたいときは思いっきり泣いて、ネコの死を受け入れて、自分なりにネコとしっかりお別れすることが大切だと思います。

 見るのがつらければ、しばらくの間は写真や思い出の品をしまっておいてもよいでしょう。あなたがネコと一緒に過ごした楽しい幸せな思い出は、あなたの心の中にしっかりと刻み込まれています。

 理解を示してくれない人がいても気にすることはありません。ネコとの思い出を共有する家族や友達と思い出を語り合うのもよいでしょう。あるいは、インターネットのペットロス掲示板で、愛するペットへの想いをつづったり、ペットを亡くした人々の間でいつしか語られるようになった「虹の橋」という詩を読んでみたりすることで、少しは気持ちが楽になるかもしれません。

 日を追うごとに悲しい気持ちや後悔の念は薄れ、心にぽっかり空いた穴は、愛ネコとのたくさんの楽しかった思い出が埋めてくれるはずです。たくさんの写真の中からいちばんお気に入りの写真を選んで、愛ネコの写真に向かって「今までありがとう」と言う、やさしくて穏やかな気持ちになれる日がかならずやってきます。そのときは、あなたの最高の笑顔を見せてあげてください。ネコもそれを望んでいるはずです。

(文/壱岐田鶴子)

<プロフィール>
壱岐田鶴子(いき・たづこ)
獣医師。神戸大学農学部卒業後、航空会社勤務などを経て渡独。2003年、ミュンヘン大学獣医学部卒業。2005年、同大学獣医学部にて博士号取得。その後、同大学獣医学部動物行動学科に研究員として勤務。動物の行動治療学の研修をしながら、おもにネコのストレスホルモンと行動について研究する。2011年から、小動物の問題行動治療を専門分野とする獣医師として開業。http://www.vetbehavior.de/jp/