法廷というのは、舞台のようなところ。日々裁判傍聴をしていると、そんな言葉が浮かびます。「凶悪な罪」を裁く場所と思われる法廷ですが、実際行われる裁判の多くは、意外にも簡素で形式的。本連載ではそんな裁判の傍聴から見えた、男女関係のリアルを描きます。
付き合って3カ月で増え始めるケンカ
先日見た男女のもつれから起きた事件も、よくある価値観の違いによるケンカが原因でした。でも最後は女が男を刺し、結果として重症を負わせるという修羅場に発展。好きあっていたはずの男と女が、なぜ傷つけあうほどの気持ちに変化したのか。愛と憎しみの境界線を考えてみます。
【事件概要】
罪状:殺人未遂
被告人:40代女性・知子さん(仮名)
被害者:20代男性・純一さん(仮名)
概要:知り合ってから3カ月で交際に発展した2人。交際3カ月が過ぎたあたりから、お互い束縛や過去の恋愛経験がもとでケンカが絶えなくなる。事件当日も知子さんの元交際相手との関係に不満を持った純一さんが、怒りから知子さん宅に乗り込み口論となる。
どうしたら解決するのか。混乱した知子さんは刃物で純一さんを威嚇し、事態の沈静化を図る。しかしその行動に純一さんは激高。結果として知子さんは純一さんを勢いあまって刺してしまう。
「よく覚えてないんです」
公判中、その言葉を何度も耳にしました。大好きだったはずの男を刺したときのことを問われ、被告人の知子さんは小声でそう返答したのです。
「カッとなってやった」とはよく言うフレーズですが、怒りを抱くとき、ある人は自己処理し、ある人は言葉として出すことで解消させます。最悪なのが、行動で表現してしまうことです。
彼女が男を刺すにいたるには、それ相応のすれ違いと、いら立ちが溜まっていました。付き合い当初、2人は年齢差こそあるものの、ごく一般的な交際関係にあったようですが、知子さんの元交際相手というA氏の存在が明らかになってから、関係はこじれ始めます。
「毎日私の知らないあなたがいて、今日は家にいるかなとか、考えるとすごく不安なの」
「ちゃんと私と会わないときは家にいてよ。友達と遊ぶときは、ちゃんと説明してね」
これは交際の初期に知子さんが純一さんに送ったメールの内容です。知子さんは年齢差からくる生活の違いや気持ちの温度差に不安を強めていたようです。
文面だけを見ると、よくある束縛であり、ありきたりな女心なのですが、彼女は彼に振り向いてほしかったのか、このときA氏という元不倫相手が過去にいたことを告白。A氏とは今は肉体関係がないものの、人生相談の相手としてたまに連絡を取り合うという事実に、若く恋愛経験の少ない純一さんは困惑します。
元彼との関係を続けることは恋愛に誠実ではないのか
「恋人と別れたら友人関係を続けるか」という問いには賛否あるものですが、許すかどうかの価値観は根深いので、主張の違いを話し合ったところで、多くは円満に納得し合うのは難しいものです。
このカップルも例にもれず、純一さんは彼女の告白を受け入れることができず、以降2人のケンカは増えていきます。
純一さんはケンカの際「A氏と縁を切れ」や、「もっとカネのある奴のところへ行けばいいだろう!」と、暗にA氏を引き合いに出すような発言をしており、彼女の「私のことをちゃんと見てほしい」という当初の目的は、果たされないどころか、より悪化する材料になってしまったことになります。
法廷で証言台に立った被害者純一さんは、そのときの気持ちをこう述べています。
「A氏との関係を保ちつつ、僕のところに来たのかなと思った」
「元カレと連絡を取り続けるのが嫌だった」
また刺されたときの気持ちを問われると「(A氏と自分を天秤にかけられ)見捨てられたと思った」とも話しています。
今の恋人ではなく元彼を優先した行動が、怒りでの殺傷だと純一さん側は感じたのです。
世の男性たちは、この被害者である彼の気持ちを、どう感じるでしょうか。筆者は刺されたという事実を除けば、「なぜ純一さん側がそんなに元交際相手に嫉妬するのか」という点を強く感じました。
元彼は元彼であり、今好きなのは今の彼なのです。今の彼が一番だからこそ、元彼A氏の存在を告白したのだし、それを受け止めてほしかった。それを受け止められなかった男と、受け止めたうえで自分に向き合ってほしかった女。このズレが、悲劇の大きな要因の1つだったように思います。
増えるケンカの原因は浮気の心配から元彼への嫉妬へ
付き合って3カ月。ヒビの入った関係は、転げ落ちるように悪化していきます。
もともとは純一さん側と連絡がなかなか取れないことや、急な残業がケンカの原因だったものが、しだいにA氏とのことを話題にした口論になることが増え始めたのです。
そしてこの頃から彼女は「別れたい」と何度か打ち明けますが、純一さんはこれを拒否。話し合いは平行線をたどったまま、ケンカだけがエスカレートするようになります。この時期から、純一さんが彼女の携帯を奪おうとしたり、知子さんが威嚇のために包丁を持ち出したりすることも始まったといいます。
なぜここまでこじれているのに別れないのか。素朴な疑問が湧きますが、純一さんの主張としては、「ケンカの原因がA氏とのことにあったから、そこが解決されれば、やり直せると思った」と、まだ前向きな姿勢を崩していないのです。
しかし、彼女の考えとしては、すでに彼への愛情が消え失せ、別れたいという気持ちが勝っていたようです。
事件当日、知子さんは純一さんに関係修復をあきらめてほしいという目的から、2つの内容が書かれたメールを送っていました。
1つは、今もA氏と連絡を取り合っていること。2つ目は、過去にA氏の子を堕胎した経験があること。このメールを送ると同時に、彼女は彼を着信拒否し、関係の強制終了を図ります。
驚いた純一さんは事実確認をしようとしますが、連絡がつかない。混乱した結果、最終手段として彼女の自宅へと向かい、そして悲劇が起きてしまうのです。
4時間にも及ぶ口論の結末としての殺傷
深夜の彼女宅。彼は家の前でドアをたたいたり大声をあげたりしたのち、部屋に上がり込みます。コトの真相を問い詰めますが、別れたい気持ちが強い彼女は「別れてほしい、帰ってくれ」の一点張りです。
彼は処理しきれない気持ちを言葉にする際「今まであげたものを返せ」と彼女に迫りますが、奪ったネックレスなどを目の前で引きちぎるなどして、さらに状況を複雑にします。
その後いったんは家をあとにした彼でしたが、やはり納得がいかなかったようで、再び彼女の部屋へと戻り、「あげた物を渡されても仕方ないし、なんで別れなきゃダメなのか?」と、再び別れる別れないの口論が始まることに。
そこからA氏に電話しろと要求する彼と、とにかくこの場を終わらせ別れたい彼女のぶつかり合いは続きます。
彼はベッドに知子さんを押さえつけたり携帯を奪ったりし、知子さんは「刺すぞ!」と包丁を持ち出し、またしても威嚇行動へと発展。このときA氏には「この浮気野郎」と男の声で罵倒する電話があり、その後ろから彼女の「やめろ!」という声が聞こえてきたそうです。
そして訪問から4時間後、純一さんが知子さんの携帯を奪い、背を向けて部屋を出ようとしたところで、知子さんはとっさに威嚇に使った包丁で男の首を背後から刺します。
刺した当時の心境は「『刺そう』と思ったというより、気づいたら刺していた」と、頭が真っ白だったと、言葉少なく語ります。
刺し傷は7cm。純一さんは救急車の要請を頼むも、容疑者はコトの重大さに不安になり、自室にこもってしまいます。彼は自ら部屋の外へ出て警察を呼び、一命を取り留めました。
恋愛における怒りはどう付き合うのがよいのか
傍聴席はほぼ満員からスタートしたこの裁判。たまたま隣に座った中年男性と話す機会があったので感想を聞いてみると、なぜこんなに関係が悪化したのかよくわからないと首をかしげます。
起こったことは殺人未遂ですが、その裏にあったのは、未熟な男と未熟な女、双方の主張のズレと修復能力の低さが微妙な形で絡み合っていただけ。そう思うと、テレビでよくある凶悪事件ほどの見応えはなく、しかし同時にこのようなトラブルは、いつ何時私たちの身にも起きるかもしれないという、身近な怖さをはらんでいます。
「怒り」の処理は複雑です。距離を取り、まずは落ち着き、原因が明確にわかればそれを取り除けばいいだけなのですが、恋愛という感情が交錯し続ける場面においては、なにが根本で引っかかっているのかまでは、なかなか理解するのは難しく、わかるには経験や失敗が必要です。
こじれた痴話ゲンカと、湧き上がる感情をとりあえず鎮める方法。そのいちばん手短な手段が、声をあげ手をあげること。そして刺すという行動だったのかもしれません。
被害者の純一さんは弁論中「今もA氏を守るために刺されたのかなと思っている」と、胸の内を話し、被告人の知子さんに対しては「実刑を望む」と語気を強めました。
判決は懲役3年。知子さんは今、塀の中にいます。
これでやったことは裁かれたとはいえ、すれ違いがなぜ起きたのか、なぜわかり合えなかったのかは、今でも双方が理解できていない気がしてなりません。
おおしまりえ◎恋愛ジャーナリスト、イラストレーター
日本大学芸術学部卒業。学生時代より大手ゲーム制作会社やモデル、プロ雀士や一部上場会社、水商売などあらゆる業種業界を渡り歩き、のべ1万人の男性を接客。鋭い観察眼を磨き、相手も気づいていない本音を見抜く力を身につける。20代で結婚と離婚を経験後、恋愛ジャーナリストとして活動を開始。現在anan・女性自身・週刊SPA!・エキサイト・スポニチなどで連載を担当。アラサー婚活から不倫問題、裁判傍聴やシニア婚活など、ゆりかごから墓場まで関わる男女問題を日々研究。恋愛という人それぞれで異なる状況の中から、個別の問題と人間共通の心理を振り分け、わかりやすくより面白いコンテンツ発信をおこなう。