自宅寝室で妻の啓世さん(66)の首を絞めて殺害した仲子茂美容疑者(69)は、妻の遺体を軽自動車の助手席に運び、島根県に向かった。
殺害現場は山口県下松市の県営住宅。向かった先は、そこから直線距離で約60キロ離れた島根県益田市内だった。
「妻の首を締めて殺した」と夫
親族から出されていた行方不明者届に記してあった同型の軽自動車を、島根県警の捜査員が発見。助手席の倒されたシートに、亡くなった啓世さんが横たわっていた。
山口県警下松署は3月23日、仲子容疑者を殺人の疑いで逮捕した。
「首を絞めて殺したと話しており、容疑を認めています。なぜ島根県まで車で移動したかについては、被疑者の内心に関わることですから控えさせていただきたい」
と捜査関係者は口をつぐみ、
「裁判では、そこが(量刑の)争点になるでしょうね」
と何らかの理由が存在していることを認める。
あるいは思い出の地で自らも命を絶ち、無理心中を完結させようとしたのだろうか。
犯行時刻は3月21日未明。同じ棟に住む70代の女性が、大きな物音を聞いていた。
「深夜0時過ぎ、ドスンって何かを落とすような大きな音がしたんです。いま思えば、遺体を落とした音だったんやろうな。(遺体を運んだと思われる)エレベーターは、いまも怖くて乗れなくて……」
近所の80代女性が「背が小さくてガッチリした日本男児って感じやった」と証言する仲子容疑者が、「背が高くてスラッとしてきれい。お化粧もちゃんとして、身なりをきちんとする人」(同女性)という啓世さんの遺体をひとり、真夜中に自宅から運び出した。
司法解剖の結果、死因は頸部圧迫による窒息死。争った形跡はなかった。就寝中の啓世さんの首を、仲子容疑者が絞めて殺したとみられる。
仲良し夫婦を襲った異変とは
現在の県営住宅から徒歩5分のところに以前、古い県営住宅が建っていた。そこで暮らしていた仲子夫妻を知っているという40代の女性は、
「15年くらいのお付き合いになります。ケンカをするような声を聞いたこともないし、旦那さんがいるときは出かけるのはいつも一緒でした。夫婦仲はよかったと思います。“孫の野球の応援に行くの”って話し、旦那さんの運転する車に乗って出かけて行ったのを覚えています」
と証言する。
仲子容疑者は、プラント関係の仕事で海外勤務が長く、
「年に数回、帰国するぐらいだった。中東のイランだかイラクだかに行っちょるって聞きました。5年ほど前に大腸がんを患ってね。手術したんだけど、その後もまた海外に行きよった。昨年11月に帰国して、また大腸がんの手術をしたんよ。それ以降は仕事を辞めて、ずっと家におった」(前出・70代女性)
長い間、不在だった仲子容疑者は啓世さんと一緒に暮らし始めるとすぐ、妻の異変に気づいた。その様子を最初に指摘したのは前出・70代の女性だった。
2016年5月末、現在の県営住宅に引っ越して間もなく、啓世さんを訪ねた際、女性は察知したという。
「家の中に消臭スプレーや洗剤など、同じものが何個もあったんです。数えたら、5、6品目で、全部で100個もあった。私も仕事で認知症の人を見るから、これは間違いなく認知症やと思い、週に1回は必ず来ていた娘さんに、お母さん認知症やないやろうかって告げた。
そしたら“そんなこと、わかっちょる、恥ずかしくて言えんかった”って話してね。病院にも連れていっとったみたいだけど」
啓世さんは、'15年ごろまで市内にある大企業の独身寮の食堂で働いていた。自己都合で退職したという。
「7年ほど働いてくださいました。遅刻や欠勤もなく、まじめに仕事をなされていましたよ。ただ、きょうは何時に来たのか? など物忘れが激しくなっていたんです。辞める理由として“腰を悪くしたから”と言っていましたが……」(食堂の運営会社の関係者)
韓国ドラマを見て、夜には大好きな焼酎を飲んでいたという美しい啓世さんだったが、
「昔は女優といってもおかしくないような感じやったけど、仕事をせんくなって年相応に変わっていった」
そう話す夫婦と同じ階に住む60代の女性。前出の70代の女性は、
「啓世さんは、何度も同じようなことを話すことがあった。お姉さんがすでに亡くなっているんだけど、“お姉さんが亡くなったんや”と話したと思ったら、10分後にはまた“お姉さんが亡くなったんや”と。症状がないときもあるから、まだ初期の段階やったんやろうけどな……」
最近は、パジャマ姿のまま外出する姿が何度も、近所の住民に目撃されていた。
スーパーでもパジャマ姿で買い物をしていたという。
「旦那さんは車の中で待っていて、奥さんがひとりで、買い物をしていました。以前は、身なりもしっかりされている方だったのに……」(従業員)
子どもに重荷は背負わせられない
すっかり変わってしまった妻を、ただ見守る仲子容疑者。
前出の40代の女性は、
「奥さんは本当にチャキチャキした人だったから、ご主人も変わっていく姿を見るのがつらかったのだと思います。大腸がんが再発し、自分が死んだら奥さんの面倒を子どもにみてもらわなければいけない。ご主人も苦しかったんでしょうね」
と心情を酌み取る。
前出の70代の女性は、「昔は苦労したみたいだけど、最近は体調をのぞけば本当に穏やかで、年金も夫婦で20万円ほどもらっていたはず。孫を可愛がり、娘が来ると孫のために“7000円もする高いお肉を買って渡した”って話したりしてましたよ」と恵まれた暮らしぶりを明かし、
「今年1月には、子どもや孫らと国民宿舎に遊びに行ったそうです。お正月は毎年、家族が集まってワイワイやっちょった。仲のいい家族で、旦那さんは12月頭には正月の食材をそろえたりしてね。
子どもや孫を本当に大事にしとった。だから余計に、子どもに(介護の)重荷を背負わせたくなかったのだろうね」
夫婦がいなくなった自宅の玄関前には傘が2本。ベランダにはタオルなどの洗濯物が干されたままで、夫は妻の遺体と最後のドライブに出かけた。
どこへ向かっていたのか、そして、その目的は? すべては裁判で明かされる。