樹木希林 様
今回、私が勝手に表彰するのは樹木希林さんである。
世の中をスキー大回転に見立てると、しがらみ、妬み、バッシング、炎上といろんなポールが行く手に立っている。そのポールに触れるか触れないかのギリギリの距離で、スイスイ滑り降りる名手がいる。
私は樹木希林さんにそんなイメージを持っている。
子供の頃、ドラマ『寺内貫太郎一家』で大いに笑った老婦役が実は30代と聞いた時、子供ながらにのけ反って驚いた。
人気アイドル真っ最中の郷ひろみさんとデュエットした『林檎殺人事件』は、違和感しかないユニットなのにワクワクが止まらない。
そして切なくなる。歌なのに名作短編のようだった。
テレビ黄金時代に、数々の場数を踏み、その才能を養われたのか、元からすごいのかはわからないが、今のヒステリーな時代をどこ吹く風で生きておられる、あっぱれさがある。
マネジャーもおらず、仕事は自宅のファックス&留守電にオファー。スタジオに私服で現れ、椅子の横にカバンを置き、収録が済むと楽屋にも戻らず、お帰りになる。
あるドキュメンタリーで、地元の人が記念にと、お土産を希林さんに渡そうとした。カメラが回っている。普通ならお礼を言って受け取るはずが、「いらないわ」と断った。テレビの前で「マジか!」と思わず声を上げてしまった。
調和のとれていない予定調和、ルーチンな社交辞令にひょいと背を向ける。
この潔さは、時に偏屈者に映ることがあるが、希林さんにはそれがない。それは、いつも実力が期待を上回るからだ。
今年、北海道と命名されて150周年、それを祝う『キタデミー賞』というイベントが行われ、北海道出身ということもあり、構成をやらせてもらった。北島三郎さん、吉永小百合さん、山田洋次監督など北海道にゆかりある錚々(そうそう)たる顔ぶれ。プレゼンターとして希林さんも参加された。
イベントは公開生放送で行われた。
各出演者はスピーチで北海道の思い出を語った。北島さんは生まれ故郷だし、歌がある。吉永さんと山田監督は北海道を舞台にした数々の映画がある。さしたるゆかりのない希林さんは、一体何を喋るのだろうか。
事前の打ち合わせで、参考までにと渡した台本通りに話すのだろうか。
そして希林さんの番がやってきた。希林さんはいつものように涼しい顔で現れ、マイクの前に立った。
以下がそのスピーチである。
「60年以上前に、私は薬剤師になるべく薬科大学を受けるのでちょうど今頃猛勉強しておりました。だんだん苦しくなりまして、父親が北海道の夕張に、友達に会いに行くというのでくっついてまいりまして、夕張の裏の山に雪がいっぱいに積もっておりました。そこを子どもたちが滑っている。私も板に乗ってずーと滑って、下に降りた途端にドンと尻もちをついて足を折りました。結局、受験はできませんでした。
そのあと、文学座の試験がありまして、それには間に合って。結局、あのときに夕張に来て足を折っていなければ、今頃薬剤師になって薬事法違反かなんかでえらいことになっていたと思います。今では役者になれて、ありがたかった思い出です」
手短で粋なスピーチに、会場は笑いとジーンした雰囲気に包まれた。名作短編のような読後感、またしても期待を楽々と上回った。
樹木希林という「希望の林」は、年中、ユーモアとセンスという葉をつけ、今日も生い茂っている。
<プロフィール>
樋口卓治(ひぐち・たくじ)
古舘プロジェクト所属。『中居正広の金曜のスマイルたちへ』『ぴったんこカン・カン』『Qさま!!』『池上彰のニュースそうだったのか!!』『日本人のおなまえっ!』などのバラエティー番組を手がける。また小説『ボクの妻と結婚してください。』を上梓し、2016年に織田裕二主演で映画化された。『もう一度、お父さんと呼んでくれ。』『続・ボクの妻と結婚してください。』最新刊は『ファミリーラブストーリー』(講談社文庫)。