「CDを見ても、この人、誰だろう? 眉毛が濃いお兄さんがいるなぁって(笑)。本当に実感がわかないですね」
コンサートでは髪の毛をシルバーに染め、アグレッシブなパフォーマンスを見せるヴァイオリニストの式町水晶(しきまち・みずき)。彼が3歳で脳性まひと診断され、両上肢機能障がい(6級)、両下肢機能障がい(4級)のある障がい者と気づく人は少ないだろう。
壮絶な病気といじめを乗り越えて
「両手、両脚のまひ以外に、腎臓糖尿、網膜変性症、飛蚊症、肺動脈弁及び大動脈弁狭窄などと診断されました。なので、楽譜を見ることはできません。それでも、ステージでは座らず立って演奏するというのが彼のこだわりなんです」
そう話すのは、ここまで水晶を女手ひとつで育てた母・啓子さん。生後2か月で夫と離婚してからは、シングルマザーとして働きながら、プロのヴァイオリニストを目指す息子を一身で支えてきた。
そんな母子の努力が実を結び、4月11日にはキングレコードより待望のデビューアルバムが発売される。だが、ここまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
「シングルマザーで貧しい家計の中、ヴァイオリンという高貴な世界に飛び込んだものの、彼の身体のまひはひどくなり、目の病気や内臓疾患もあり、何度も挫折と奮起を繰り返してきました。
小学6年生のときには凄惨ないじめがあり、今も彼に大きな傷を残しているんです」(啓子さん)
いじめでヴァイオリンをも辞めようと思った11歳のころ。そんなときに出会ったのが、ポップ・ヴァイオリンの第一人者である中西俊博氏だ。
「コンサートで見て、絶対にこの先生に習いたいと思ったんです。レッスンは情熱的で、気づいたら4時間も5時間もレッスンしてたことも多かったですね。肉体的な疲労ははんぱじゃなかったですが、先生はいじめられたときも親身になって励まし抱きしめてくれました。
こういうヴァイオリニストになりたいというより、こんな人になりたい。本当の意味で憧れの人です」(水晶)
ヴァイオリンの師だけでなく、人生の師でもある中西氏とは、今回のデビューアルバムで共演している。
「ずっと前に、本格的にデビューするときは自分が作曲した『メモリー・オブ・モーメント』でデュエットしてくださいって約束していたんです。
レコーディングはすごく緊張して、短時間で終わったのに10時間、弾いたくらいの疲労度でしたね」(水晶)
メジャーデビューを果たし、プロとしてスタートラインに立った水晶。だが、そんな彼を身近で支えてきた啓子さんが一昨年からがんを患っていることが昨年、わかったのだ。
「母は僕に隠していたんです。でも、一緒に歩いていても息切れしたりと、気になっていたんですよ。
そうしたら、母の携帯にメールが来ていたのをたまたま見ちゃって、がんのことが書いてあったので、“やっぱり”と思いましたね。“なんで隠すの?”っていうのが第一声でした」(水晶)
だが、2年前はまだ母子2人で音楽活動をしていたころ。今、休んでしまっては息子を支える人がいないと考えた啓子さんは、手術を拒否した。
「音楽活動が大事な時期で、手術以外でなんとか治そうと思いました。3歳で脳性まひと診断されたときから“自分の生きているうちに彼が社会で生きてる姿を見たい”という思いで育ててきました。その思いはがんになっても変わりませんから」(啓子さん)
母への憎しみも大きかった
そんな母を思い、’17 年3月3日に水晶は初めて1日2回公演を行った。
「普段のコンサートだって手がしびれて悲鳴を上げるのに、1日2回のコンサートなんてできるのかって不安でしたよ。
でも、とにかく時間がないので早く母の治療費を稼ぎたいと思いました」(水晶)
2ステージが終わったあと、彼はロビーで倒れた。“危うく自分の治療費になるところだった”と笑うが、母への気持ちにも変化があった。
「がんと聞いて最悪の結果を考えましたし、目の前が真っ暗になりました。母のことはこの世でいちばん大好きだけど、いちばん憎んでいる存在でもあったんです。
父と離婚したことを8歳で初めて知って、母としての見方が少し変わったかもしれません。
子どもながらに“なんで大人は身勝手なんだろう”って考えましたね。さらに障がいで生まれたわけで、母を責めたときもありました。
憎しみながらも、それ以上に尊敬していたり愛していたりしたので、感情のバランスは難しかったですね。ただ、母はここまで全身全霊で僕を育ててくれたし、感謝しています」(水晶)
そう語る息子に、
「今まで、こんな言葉で伝えてもらえなかったですし、最近は感謝の言葉ももらうようになりました。彼が脳性まひでなかったら“好きなことをやれば”という感じだったでしょうが、障がいがわかってからは、“障がいがあっても社会に出て幸せに生きられる道を作ってあげないと”という一心で来ました。
彼がヴァイオリニストとしてたくさんの人の前で演奏して、拍手される姿だけは見たい。せめてそこまでは見届けたいと思っています。シングルマザーですし、環境的にもお金は遺してあげられないのですが、“2人で歩んできた道は間違ってなかったんだな”って思いたいですね」(啓子さん)
そう話す母子の顔は、希望に満ちあふれていた─。