このときに着ていたシャツも、自身が描いた2代目光進丸の設計図がデザインされたもの

「光進丸よ~俺の夢のせて海へはばたけ~♪」

 自ら設計したクルーザー「光進丸」に乗り、笑顔を見せる歌手・加山雄三(80)。まさかこの約半年後に、船が焼失してしまうなんて知る由もなく――。

 4月1日夜、静岡・西伊豆の港に停泊していた光進丸が炎上、その知らせをコンサートの打ち上げ中に聞いた加山は「表現のしようがない」ほどのショックを受けたと、翌日の会見で言葉を絞り出す。その姿は、普段の力強い歌声からは想像できないほど憔悴(しょうすい)しきっており、「長年の相棒で分身みたいな存在」への愛の深さが伝わってきた。

光進丸は跡形もなく炎上、大きく傾き水没してしまっている

 実は昨年9月、週刊女性は光進丸の船上で加山に取材を行っていた。

「ここは俺にとって家みたいなもの。光進丸は3代目だけど、作った船はもっともっとあるよ。若いころから船が好きで、船乗りになるか、船の設計技師になるかって、ずっと思っていたんだ」

 今は亡き光進丸の上で、加山はこう続けた。

「ライブの練習をしたり、本を読んだり。ここにいれば心が安らぐんだよ。歌の練習もここならいくらでも大きな音が出せる。こんな贅沢(ぜいたく)を手に入れたくって一生懸命に働いてきたわけだ」

 ようやく手に入れた自分の相棒との時間を謳歌(おうか)していた矢先の出来事に、悲しみに暮れる若大将。また船の上で微笑(ほほえ)む姿を見られるのは、まだ少し時間がかかりそうだ。