写真はイメージ

 3つのネグレクト(育児放棄)事件を取材してきた。

 2000年に愛知県武豊町で起きた、3歳の女の子がダンボール箱の中で、餓死をした事件。両親はどちらも21歳で、夫は会社員、妻は専業主婦だった。下に1歳の男の子がいた。二人は殺人罪として懲役7年の判決を受けた。

 続いて2010年に大阪市西区で起きた、風俗店で働く23歳の女性が、3歳と1歳の姉と弟を50日間、風俗店の寮に放置して餓死させた事件。この母親は殺人罪で懲役30年の判決を受け、服役中だ。

 さらに、2014年に神奈川県厚木市で発覚した、37歳のトラック運転手の父親が、5歳の時に亡くなった息子の遺体を7年4か月間、アパートに放置した事件。

 この父親は、妻が出て行った後の2年間、たった一人で、ライフラインが止まり、雨戸を締め切った真っ暗闇のアパートで子育てをしていた。1審の判決は殺人罪で懲役19年。2審は、白骨遺体で見つかった息子の死因が餓死か病死かわからず、保護責任者遺棄致死罪で12年となり、刑が確定した。

 これらの事件を社会の変化と関連づけて考え、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)を執筆した。

杉山春=著『児童虐待から考える』(朝日新聞出版)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

メディアで激しく糾弾された親たち

 3つの事件には、いくつもの共通点がある。

 どの事件でも、母親は10代から20歳の若年出産であること。彼女たち全員が育ちに偏りがあり、家庭の中に安定した居場所がなかったこと。ティーンの時期に深夜徘徊を繰り返し、男性に出会い、妊娠、結婚したことなどだ。

 武豊事件では、母親は家族との生活を続けつつ、子どもを部屋の中に放置した。大阪事件では、離婚をして子どもを連れて家を出たものの、育てきれず、風俗店の寮に放置した。

 厚木事件の場合は、子どもが3歳になった時に母親が家出をし、夫と子どもが残された。夫には、軽微な知的ハンディキャップがあった。

 すべての事件の親たちは発覚当時、メディアにより、激しく糾弾されている。

 だが、詳細に見ればどの事件も、親たちは周囲に窮状を訴え、助けを求めたり、ノーと言う力が乏しかった。困難な状況の下、周囲に適応し、子どもに厳しいしわ寄せがいき、命を落としている。

 さらに、どの親たちも一生懸命子育てをしていた時期があった。

 武豊の事件では、長女は生後10か月の時、夫に激しく揺すぶられて硬膜下血腫を起こし、37日間入院している。この時19歳だった母親は、たった一人で病院に泊まり込み、付き添いをした。当時彼女は妊娠していたが、家計簿をつけ、4人家族になっても夫の手取り13万円の収入で生活ができるか計算している。子どものケアを担う役割を果たそうと一生懸命だったのだ。彼女が子育ての意欲を失っていくのは、子どもの発達の遅れがわかり、夫の関心が仕事と職場の仲間との交流に移り、家族への関わりが希薄になってからだった。

 大阪事件の母親は20歳で結婚して、専業主婦として子どもを育てていた。この時期には、夫の弁当を作り、地域の育児支援のメニューを全て使っていた。だが彼女の浮気が理由で離婚してからは、公的支援を使っていない。親族からの支援を受けず、2人の子どもを連れてキャバクラで働いた。半年後には風俗店に変わる。子どもを亡くしたのは、さらにその半年後だった。

 ケアをする役割と収入を得る役割を果たそうとして、力尽きている。

 厚木事件の母親は、18歳で出産したが、1歳半検診まではママ友と一緒に予防接種も受け、検診にもきちんと通っている。このころ、夫が正社員のトラック運転手になる。トラック運転手は厚生労働大臣告示により、月に293時間の拘束が認められている。夫は職場ではAランクの評価を受けていた。トラック運転手はその働き方を変えず、妻が出て行ったことを誰にも告げず、ケアを担わない妻に激しい怒りを募らせつつ、たった一人で子育てをした。実母は精神疾患を抱えており、実家は頼れないと考えていた。公的支援については、早朝から勤務もあるので、保育園は難しいと考えた。児童相談所の存在は知らず、市町村に子育て相談をすることも思いつかなかった。

 トラック運転手は法廷で「困っていたことは、子育てと仕事の両立だった」と繰り返し語った。だが、法廷でその言葉が十分に受け止められることはなかったように思う。

 子どもを亡くしてしまった3つの事件の親たちは、社会に働きかけて、自分の状況を改善する力が乏しかった。子育ては自分一人が担うべき責任だと思い、その役割を果たそうとして、力尽きていたのだ。

労働環境の大幅な変化が育児にもたらしたもの

 この四半世紀で私たちの社会は、労働環境が大幅に変化した。非正規雇用が増え、労働力として人の商品化は進んでいる。

 大阪事件を取材していた、2010年当時、風俗業界紙の元記者は私に次のように語った。

「1992年ごろまでのバブル期には、風俗で働く女性はアンダーグラウンド的な特殊な存在でした。それが援交ブーム、ブルセラブームを経て、性産業への敷居が下がる。バブル崩壊後の95年ごろにオウム事件が起きて、警察の取り締まりが手薄になり、雨後のタケノコのようにソープが作られました。格差社会が進み、性産業への敷居はさらに下がった。派遣業であれ、風俗であれ、今の20代、30代は、自分が商品として扱われることに慣れています

 一方、1997年には大手金融会社が複数倒産している。厚生労働省が5年ごとに行う全国母子世帯等調査によれば、その翌年の1998年から2003年にかけて、母子世帯は28%増加している。この、シングル家庭の増加の背景には困窮があったはずだ。収入とケアを夫と妻で役割分担する家庭を保持できにくくなっていた。家庭の不和は広がっていく。

 2000年の武豊事件と2010年の大阪事件の母親の背景はよく似ているが、事件の見え方は異なる。

 武豊事件は家庭の中で起きた。両親と弟が暮らす居間のすぐ隣の、北向きの三畳間に置かれた段ボール箱の中で、子どもが親のケアを受けられずに亡くなったが、まだ、「家族」のつながりがあった。

 大阪事件の母親は風俗嬢だった。彼女は子どもが亡くなっていく50日間、SNSの中では自分にいかに素敵な恋人がいるか、仲間たちに髪をどんな色に染めたか、アピールし続けていた。つまり、自分に価値があることをアピールしていた。その一方で、子どもが亡くなっていった。彼女は、母として自他共に認められている時は、多様な社会資源を使うことができた。しかし、母としての価値が低くなった時は、社会の資源を使うことができない。

 2つの事件の違いは、この10年間で人の商品化が進む一方で、家庭が維持できにくくなったことと関係がある。

 お金と経済と精神に余裕がなければ、安全な子育てはできない。力が尽きた親を社会は激しく断罪する。

 子どもたちの育ちを、家庭だけに任せておくことが難しい時代が到来して久しい。社会がどのように子育てに関わるのかが問われる時代になっている。

児童福祉法の改正で示された「新ビジョン」

 2016年に児童福祉法が改正され、子どもは権利の主体になった。子どもの最善の利益が優先して考慮されるよう努めることが示された。子どもの育ちが家庭内で守られない時、社会の支援が求められる。

 この改正を基に翌年’17年8月には、社会的養育ビジョン(以下、新ビジョン)が発表された。新ビジョンでは、社会的養護を必要とする子どもたちの里親委託率を、5年以内に75%まで増やすという数値目標で話題になった。現在、親元で育つことができない子どもたちは、施設入所が中心で里親委託は2割未満である。

 その上で、新ビジョンの最も重要な柱は、在宅支援に、お金と人材を投入することが示されたことだ。

 現在、児童相談所への児童虐待通告は2016年度で12万2578件。しかし、そのうちの95%の子どもたちが自宅に戻り、「見守り」になる。その子どもに措置費が投入されるのは、状態が悪化して、親子が分離されてからだ。虐待の通告だけでは、子どもの最善の利益は保証されない。新ビジョンはそんな家族に、措置費をつけて、ケアを入れていくという仕組みだ。

 地域の里親に委託されれば、同じ学校に通い続け、友達と遊ぶこともできる。週に一度は、実親と過ごすことできる場合もあるかもしれない。

 3つの虐待事件は、どのケースも、少なくとも一度は公的機関につながっていた。しかし、社会的なケアには結びつかなかった。私たちの社会は今後、力の弱い親たちを支え、子どもたちの見守りを続けることができるのか。これからどのように新ビジョンが育っていくか、注目していきたい。

【文/杉山春(ルポライター)】

<プロフィール>
杉山春(すぎやま・はる)◎1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌記者を経てフリーのルポライター。『ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館文庫)で第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書は他に『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』『家族幻想 「ひきこもり」から問う』(以上、ちくま新書)、『満州女塾』(新潮社)、『自死は、向き合える』(岩波ブックレット)など。