「ご自宅の庭側の窓のところに、100匹ほどハエがたかっていたんですね。特にニオイはしなかったんですが、室内で何か起きているんじゃないか、これは異様なことだと思って110番通報したんです。しばらくおうちの方も見ていなかったし……」
と近所の主婦は話す。東京都東村山市富士見町で4日午前11時ごろのことだった。
遺体に目立った外傷はない
すぐさま警視庁東村山署の署員1人が駆けつけたが、1階の入り口はすべて施錠されていたため、署員は消防署に通報。消防車と救急車が出動し、消防隊員が1階の庭側とは反対側の窓をこじ開けて室内へ入った。すると─。
「救出に立ち会った夫に聞いたところ、ご夫婦おふたりとも亡くなっていたと。おひとりは男性か女性かもわからないほどひどい状態まで腐敗していたそうです」(同主婦)
警視庁によると、発見された男女の遺体は身元確認中。死因なども捜査中という。
週刊女性の取材では、亡くなったのはこの住居兼店舗「佐野屋菓子店」の店主・佐野栄治さん(90)とその妻・たき子さん(82)とみられる。
「遺体に目立った外傷はなく、事件性をにおわせる証拠は確認されていない。捜査当局は、室内にあったレシートなどから2月下旬以降に死亡した可能性が高いとみています」
と全国紙社会部記者。
今度は近所の70代男性が説明する。
「中学生のころからあの駄菓子屋さんに通ってお世話になっていました。おじさんは毎日、シャッターを開けて、そこでイスに座ってずーっと新聞や本を読んでいたけれど、しばらく姿を見かけないなとは思っていたんですよ。警察によると、おじさんは閉まっていたシャッターの手前でイスに座った状態で亡くなっていたとか」
一方の妻・たき子さんは、足などが悪くて入院していると思われていたが、
「おじさんが家の中で面倒をみていたんですね。奥さんは布団の中で亡くなっていたようです。おそらくは、おじさんが先に心筋梗塞や脳出血などで突然死し、面倒をみることができなくなって、奥さんが後を追うように亡くなったんでしょうね」(同男性)
と推測する。
近所の70代主婦は、「おふたりで支え合って、ひっそりと静かに余生を送っていらっしゃったのにねぇ。亡くなって2か月以上たって発見されるなんて、もうかわいそうで……」と目頭を押さえた。
さらに、
「おふたりだけど、一種の孤独死ですよね。いまはどこも子どもとは別居という時代だし、ご近所もプライバシーを尊重しすぎるのでしかたない部分もありますが子どもや近所と連絡を密にしていないと、あんなかわいそうなことになってしまう。他人事じゃなく明日はわが身ですよ」と続けた。
亡くなったとみられる佐野さん夫妻の足跡をたどってみる。まず栄治さんは、60年以上前から、ここでいわゆる駄菓子屋さんを営んできた。
「お母さんはおらず、お父さんと栄治さんで店を切り盛りしていた。駄菓子のほか日用品を扱ったり、なんでも屋的に手広くやっていた。真向かいの中学校へも大量に商品を納入していましたね。
“運動会のときは儲かるよ”と笑っていました。そういった関係性もあり、奥さんに店番を頼んで中学校で非常勤の用務員をやっていたこともあったし、ガソリンスタンドでパートをしていた時期もあった」(近くの商店会店主)
再婚、そして男の子の誕生
小柄で少し小太りでメガネをかけた落語家のような雰囲気だったという。いつもニコニコしていて、気さくで優しいおじさんだった。
「ええ、子ども好きで怒った姿は1度も見たことがなかったですね。たとえ子どもが万引や悪さをしたときでも」(前出の70代男性)
栄治さんは、30歳前後のころ、ダンスで知り合った女性と結婚。しかし、15年ほど連れ添ったところで先立たれ、40代後半で現在の妻・たき子さんと再婚した。
「奥さんは近くの病院で働いていたようですね。しょっちゅう同じ服を着ている旦那さんとは対照的に、寒くないのにマフラーをしたり、帽子をかぶったり、リュックを背負う軽装だったり、年配にしてはとってもおしゃれでしたよ」(同商店会の主婦)
栄治さんと前妻との間に子どもはいなかったが、栄治さんが48歳、たき子さんが40歳のときに一粒種の男の子(長男)が誕生した。
「遅くできた子どもなので、目に入れても痛くないといった感じで、本当に可愛がっておられた。特に奥さんは“今日は○○に連れて行ったのよ”とよくおっしゃっていました。でも、息子さんは両親の年齢を気にして“授業参観日はカッコ悪いから来るな”などと言っていたみたいですけどね」(前出の70代主婦)
長男が中学校を卒業したころから、親子関係に変化があったようだ。前出の70代男性が振り返る。
「全寮制の私立高校に入ったんでしょうか。高校時代は見かけた記憶がないんです。そのころから家には戻らなくなって、それ以来、盆や正月でも見たことはないですね」
慎ましやかな生活
最近、佐野さん夫妻はほとんど近所付き合いをしなくなっていた。町内会にも、商店会にも入っていない。しかし、
「30年ほど前はどちらも入っていました。商店会では世話になった人も結構います。佐野さん宅がある一帯は戦前、陸軍兵舎の馬房が並んでいて戦後はその跡地に“カマボコ団地”と呼ばれる長屋がずっとあってね。そこの町内会で祭りや行事の世話人をやっていました。
もちろん、お金にはならないボランティアでね。年を重ねるにつれ、商店会や町内会、近所付き合いもなくなってきたということでしょうね」(前出の商店会店主)
近隣住民らによると、かつて佐野さん宅周辺はほぼ国有地で借地料を払って住んでいた。ところが、1970(昭和45)年ごろ、格安で払い下げられたため、ほとんどのご近所宅は土地を購入。しかし、佐野さんは購入しなかった。また、築60年以上と思われる自宅家屋も未登記のまま。増改築など手をかけた痕跡さえ見あたらない。
「駄菓子店はそれほど儲かる商売じゃないですからね。頑固なところもあったし、金儲けに興味はないし、余計な金は払いたくない性分でもあったからねぇ。ただ、酒やタバコ、ギャンブルは一切しないし、趣味といえるのは図書館を利用した読書ぐらい。
これほど地味な人がいるのかというくらい慎ましやかな生活をされていた。たぶん、最もお金を注ぎ込んだのが、息子さんだったんじゃないでしょうか」(先の商店会店主)
その長男の所在については事件発覚当初、警察もなかなか連絡先をつかめなかったようだが、10日の午前中、ひっそりと自宅前にたたずむ姿を近所の住民が目撃している。
世の中にたったひとりしかいない父と母の悲愴な最期と、最愛の息子はどう向き合ったのだろうか─。
山嵜信明(やまさき・のぶあき)◎フリーライター 1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物などさまざまな分野で執筆している