「守一さんを知ったのはたぶん20〜30年前。いつの間にかその存在は知っていて。伝記を読むとね、彼と共通するところがあるんです。画家なのに“絵を描くのはあんまり好きじゃない、遊んでたほうがいい”と言ってたり。僕も怠け者なんでね(笑)」
と語るのは、日本を代表する名優の山崎努(81)。現在公開中の『モリのいる場所』で、『死に花』以来14年ぶりに映画主演。97歳で亡くなった、モリこと実在の画家・熊谷守一を演じている。
舞台は、1974年のある夏の日。草木が生い茂り虫や生き物がすむ自宅からここ30年は外へ出たことがなく、日がな1日、庭のあちこちを見て歩くことが日課という94歳の自由人・モリの姿を描く。
「沖田修一監督が“庭”を作品のテーマの中心に持ってきたというだけあって、素晴らしい出来栄えで。撮影が終わったら元に戻してしまうと聞いてね、もったいないなと思って、撮影後に庭の見取り図を描いたりしたんです。
というのも僕、地図とか描くのが昔から好きなんです。子どものころは日本地図を描けたし、今でも案内図を描いたり。なぜ好きか? 聞かれても困っちゃうよ(笑)。でも、この作品は共演者もスタッフも素晴らしかったけど、あの庭には本当に感動しました」
守一の妻を演じたのは樹木希林。先輩の山崎とは在籍時期は違うものの、同じ文学座の出身。長年数々の作品に出演しているふたりだが、意外にも今回が初共演だった。
「この年になっても、初めて共演する人、結構多いんですよ。守一さんと一緒で、怠け者で仕事しないからだと思いますけど(笑)。希林さんは頭がよくて、感性も鋭く、素晴らしかったです。一緒に演じて本当に楽しかったですね」
ほかにも、加瀬亮や光石研など共演者への思いを語る中、ふと、この人の名前を口にした。
「あとは、工事現場監督役の青木崇高くんは面白かったな。現場で一緒のときもそうだったけど、この間テレビで、小野田寛郎さんのドキュメンタリー番組をやっていたんです。その中の再現ドラマで、小野田さんを日本へ連れ帰った、探検家の鈴木紀夫さん役が素晴らしく、 “いい俳優だな”って感心していたんですよ。そうしたら、あとで“それは青木さんです”って教えられて、びっくりして(笑)。すごいリアルな演技をされる方だなって思いました」
ものを作るやつの言葉なんて、あんまり信用できませんよ
約60年前に俳優の世界へ飛び込み、振り幅の広い演技で、今でも第一線で活躍し続ける山崎。しかし、俳優を志した理由を、
「会社勤めはまず向かないと思ってね。でも、そんな立派な考えがあって入ったわけじゃないんですよ」
と話し、こう振り返った。
「なんだかいろんな偶然が重なって、何もわからずに憧れて入っちゃった感じですね。演劇青年でも、文学青年でもなかったし、単なる普通の高校生、苦学生だったわけで。それほど辻褄(つじつま)が合った志願じゃなかったんです。でもやってるうちにね、やることが出てきて。面白いというと変だけど、熱中するようになって。だから最初はその程度でした、俳優に対する思い入れって。だいたいね、ものを作るやつの言葉なんて、あんまり信用できませんよ。守一さんもそうだけど、あてにならないんだよ(笑)」
そう冗談まじりで話す山崎は、黒澤明監督の『天国と地獄』で脚光を浴びるなど頭角を現し、デビューから着実に俳優としての階段を駆け上がっていった。
ちなみに、映画の舞台である1974年、当時38歳のころの俳優人生を振り返ってもらうと、こんな答えが。
「当時は『必殺仕置人』の撮影で、京都まで週に3日くらい通ってたのかな。あのとき僕が演じた“念仏の鉄”が評判よくて、人気あるんだよ。実は今でも鉄はパチンコのキャラクターになったり(笑)」
念仏の鉄は'77年放送の『新・必殺仕置人』でも再演。同じ役を演じたがらない彼にとっては、例外中の例外の役だった。
「『仕置人』の撮影自体は楽しかったんだけどね。同じ役と付き合っていくのが苦手で、飽きちゃうんですよ。だから途中で足を引きずってみたり、髪型変えたりしてね、キャラクターをいろいろ変えて、退屈を紛らわせてたんです(笑)。
でも今も、事あるごとに鉄の名前を挙げていただくんですよ。いろいろ映像の仕事やってきたけど、みなさんからそこまでおっしゃっていただくと、念仏の鉄が僕の演じた役の中で、代表作なんじゃないかなって。何かそう思えてきちゃいますよね」
また、『俳優のノート』を出版するなど、独自の演劇論を持つ彼は、守一の言葉“絵描きくさいのはやりきれない。それは大変な欠点です”という姿勢に惹かれ、いつも素人でいることが表現者にとっていちばん大切だと、映画の副読本『モリカズさんと私』(文藝春秋)に記している。絵描き然とした絵描き、俳優然とした俳優など、技術ばかり先行した人に、ろくな者はいないと常々思っているそう。
「うまいっていうのは、わかりやすい説明の部分が入ってくるんです。例えばある舞台で演じた場合、500人の方が見たら、みな同じような感想を持つのが昔は名優と呼ばれていた。
でも、人間はそれぞれ感性が違うわけだから、“それはどうもおかしいぞ”と前から思っていて。わかりやすい説明的な演技、つまりどんな複雑な心境で怒っているのか、喜んでいるのかというのを克明にするのがいい演技だとは思わないんです。“500人が見て500通りの答えがあるのがいい演技なんじゃないか”って思いますね」
世間とどう付き合うかは一生のテーマ
かねてから「僕のアイドル」と山崎も憧れていた熊谷守一について描いた本作。“彼のように自由に生きていくにはどうすれば?”と質問すると、
「どうしたらいいんですかね……わからないな。でも、どうやって世間と付き合っていくかっていうのは、一生のテーマだと思いますね」
と語り、思いを語った。
「世の中にはいろんな生き方をしている人がいて、日常の中で付き合って暮らしていく。それぞれなりの変わった生き方をしていると思うし、これが正しいっていうのは何もないわけです。でも、人間っていうのは群れて生きてるわけですからね。周りを気にしてしまうのはしかたないですけど、守一の生きる姿に、“人間はいろんな生き方ができるんだ”ということを感じ取っていただきつつ、ご覧いただければと思います」
やまざき・つとむ◎1936年、千葉県生まれ。俳優座養成所を経て、'59年、文学座へ入団。'60年、三島由紀夫の戯曲『熱帯樹』でデビュー。'63年劇団雲の結成に参加し、同年の映画『天国と地獄』で誘拐犯役を演じて注目を集めた。その後も数多くの映画、テレビドラマ、舞台で活躍。2000年紫綬褒章、'07年旭日小綬章を受章。著書に『俳優のノート』『柔らかな犀の角』『モリカズさんと私』(共著)がある。
(取材・文/成田全)