警察庁の発表によると、DV(ドメスティック・バイオレンス)の相談件数は、増加する一方で、平成29年は72,455件で、DV防止法施行以降、過去最多を記録。その被害者の大半は女性である。今、女性たちに何が起こっているのか。
3年間もの間、交際相手から暴力を受け、刑事裁判で争った女性がそのリアルな現実を赤裸々に語る、ノンフィクションの後編。
健康関連施設に勤める20代後半の伊藤麻里子さん(仮名)はシングルマザーで、小学校低学年の娘・葵(仮名)と2人暮らし。交際相手の新井大輔(仮名)が麻里子さんの家に転がり込んでから半年後のある日、大輔が麻里子さんを怒鳴りつけ、殴る蹴るの暴力を振るいはじめる。暴力が日常的になる中、麻里子さんが激しいDVに耐えていた理由とは――。
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家族が乗っ取られる
にわかには信じられないことだが、大輔は、娘の葵が小学校に入学したときから、平然と葵の「父親」を名乗るようになった。「長い出張から帰ってきたお父さん」という設定を自分で作り上げ、葵にも信じ込ませた。
そして、地元のスポーツ少年団にも葵の保護者、つまり父親として、参加するようになる。
多くのDV男性の特徴として、異様なほどに外面が良いという共通点がある。まさか、あの人が、DVなんて――。大輔は、まさにその典型だった。
娘の学校の人間関係から固められてしまったんです、と麻里子さんは当時を振り返る。
「スポーツ少年団には、保護者がかなり関わらなきゃいけないんですが、特にうちの地域では、お父さんの出席率が高いんです。例えば、大会に向けて、積極的にお父さんたちがボランティアで、土日だけでなく、平日の夜も練習に参加してコーチと一緒に子供を指導したりする。うちも父親がいない負い目があって、そこにお父さんとして参加してもらえるのは、正直、娘も喜んでいた。それもあって、普通に父親として参加していましたね」
高校時代に、スポーツ選手だったという大輔は、保護者や子供からも絶大な人気を得て、慕われるようになっていった。DV男に典型的な、この異様な外面の良さに、周りはだまされていた。保護者や子供たちの前では、コロッと態度が変わるからだ。麻里子さんも外では、大輔のことを自慢の夫として、振る舞うようになった。
「スポーツ少年団の他の子に対しても優しくて、すごくいいお父さんだと言われてました。“葵ちゃんのお父さん面白いね”と言われると、娘だって悪い気はしないし、うれしそうだった。だから、娘を人質に取られているような感じでしたね。ただ、外でいつも私を馬鹿にするのは、心が痛みました。“うちの嫁、若いから、なんにもできない” “家事もへたくそでねぇ”と、自分が全て家のことをやっていると言う。実際は、私を奴隷のように、こき使っているのに。
でも、そうやって罵(ののし)られると、私の言うことは、ますます周りの人には信じてもらえなくなる。学校は子供の関わるところだから、あそこの夫婦って仲良いよねって言われていたほうが、子供にとってもプラスになるんです。“旦那さんがしっかりしておられるから、仲良くていいよね”とうらやましがられるんです」
大輔は、ひとたび家に帰ると、まるで別の人格のようにガラリと態度が変わった。
ちゃんと料理を作っても、毎日「お前、人のことなめてんのか? なんだこの飯!! おちょくってんのか!!」と怒鳴られる。「ごめんなさい」と謝っても、「声が小さいわ!」とグーパンチが飛んでくる。一度DVが起きると、怖くて、心臓がバクバクして、手足が震える――。蹴られたり、殴られた後は、相手の目をまともに見れなくなる。目が合ったら、さらに殴られるからだ。
殴られたり蹴られたりした直後に、大輔と一緒に子供を学校に迎えに行くという日々が続いた。一歩外に出ると、スポーツが得意な優しい父親の顔に変貌する大輔。学校では仲の良いおしどり夫婦で、通っている。そんな演技をするため、目を合わせたり、ほほ笑んだふりをする。それが一番辛かったと、麻里子さんは話す。
本当は怖くて目も合わせられないのに、どうやって仲の良い夫婦のふりをすればいいの――?
そう思ったら、自然と涙が出てきて、止まらなくなる。麻里子さんは、その苦しみの中で今にも引き裂かれそうだった。極度のストレスに襲われ、めまいがひどくなって、仕事ができなくなった。たまらず病院に行くと、ストレスによるメニエール病だと診断された。半年間、仕事を休むことになった。
地獄だ――と思った。
自分さえ耐えればいいんだ
そこまで、麻里子さんが耐えていたのは理由がある。あれだけ娘が憧れていた父親――。娘にとっての初めての父親というかけがえのない存在をなくしたくなかったからだ。そのためには、自分さえ耐えればいいんだ、そう思っていた。
「子供が大きくなるまで、どんなにDVがひどくても頑張ろうと思ってました。小学校の高学年になれば、あの人の正体もわかるだろうって。それなら“ママ、もう、あの人から離れてもいいよ”と言ってくれるような気がしていたんです。ちゃんと事情を分かってくれるまでは、自分が父親を奪ったとは、どうしても思わせたくなかった。
前の夫も離婚して自分が奪ってしまっているんです。どんなにひどい父親でも、急にいなくなったらかわいそうな気がして、ママ、もういいよと言ってくれたら離れよう、と思ってました。それまでは、どんなに辛いことがあっても、あの人の奴隷でいようと決めていたんです」
大輔が麻里子さんの家に転がり込んできて、3年が過ぎた――。大輔は、これまで子供の前で暴力を振るったことはなかった。しかし次第にエスカレートして、平然と暴力を振るうようになっていった。
「子供の前で、私に暴力を振るった時に、これはマズイと思いました。葵は泣いてましたね。とにかくワンワン泣いていて、すごくかわいそうでした。あとで、葵の布団に入って、“ごめんね、ママ大丈夫だからねと、もう寝よう”と言って寝かしつけました」
麻里子さんにとって心身ともに限界が近づいていた。子供が見ている前での面前DV。日々、増え続けるあざ。そして、激しい暴言――。
自分はDVを受けているのだと、自覚し始めた。それは、これまで目を背けていた現実だった。それに向き合う時がきたのだ。
避難前日に起こった事件
そして、大輔に隠れて、職場でDV関係の本を休憩時間に読み漁った。職場は、唯一大輔と離れられる場所だった。麻里子さんは、それらの本を参考にして、記録として日々、日記をつけることにした。裁判などに備えるためのDVの記録だ。そして、警察や女性センターにも相談に行った。
事情を知った警察に避難を勧められ、ようやく、DVシェルターへの一時避難を決意した。そして、明日避難というその前日に、ある事件が起こった。
スポーツ少年団の帰りに、大輔が、スーパーの駐車場で娘を蹴り上げたのだ。
「練習のことで、いちゃもんを付け始めたんです。子どもの中ではなんで怒られてるかわからなかったと思うんですよ、娘は、いきなりお腹を蹴られて、庇おうとして、手にあざができたんです。これはマズイ。もう一刻も早く逃げなきゃと思いました」
麻里子さんに手をあげたことはあっても、これまで葵にまで手を上げたことはなかった。一線を越えてしまった、とにかく早く逃げ出そう――麻里子さんは、そう思った。
さらにその夜、娘の容態を心配する言葉を発すると、麻里子さんも太ももを蹴られ、頭をグーで殴られた。あと、数時間だ――。数時間で警察がきて、この生活からさよならできる。そう思いながら、嵐が過ぎるのをひたすら待った。麻里子さんの人生で、一番長い夜だった。
「普通」の家族なんてない
麻里子さんは、その翌日、予定通り荷物をまとめてDVシェルターに避難した。大輔は朝から仕事に出かけて、夕方まで帰ってこない。それでも、万が一の事態に備えて、警察官2人がアパートから避難するのを見守ってくれた。
帰宅後、大輔は麻里子さんの不在を知ると、狂ったように何十通もLINEのメッセージを送ってきた。麻里子さんのスマホはあっという間に通知だらけになった。警察の指示に従って、そのすべてを無視した。DVと娘の暴行に対する被害届を出すと、すぐに大輔は逮捕され、接見禁止命令が出た。それ以降、大輔とは連絡をとってはいない。
その後、刑事裁判にかけられることとなり、懲役10か月、執行猶予3年という判決が下った。DVの刑事裁判自体が珍しい中で、相当に悪質なケースだと、担当の検事は麻里子さんに言った。
葵は、体育の授業で学校の体育館に足を踏み入れると、大輔のことを思い出してブルブルと震えたり、怖がるようになった。DVのトラウマだと精神科医は告げた。
麻里子さん一家は新たな住まいを見つけ、再び2人の生活が始まった。
もう、普通の家庭を、目指さない――麻里子さんは、そう決めた。父親がいないという事実に、麻里子さんは娘と共に、初めてしっかりと向き合うことにしたのだ。
「娘にはずっと父親を作ってあげたいと思っていたけれど、それは、無理なんです。見せかけ上の家族を作っても、それは本当じゃないって気がつきました。新しい環境では、最初からシングルマザーであることは堂々と言いました。よく見てみたら、周りにも私たちみたいな人もいるんだなと、初めて分かったんです。全然引け目を感じることはないんだって。
今、娘との2人の生活が本当に今までで一番満たされているんです。ありのままの姿の私で生きられるって幸せなんだって、ようやく知ることができたんです」
幸せな家族像を追い求めて、そこで麻里子さんが体験したのは、暴力の現実から目をそらし続けた「仮面家族」という地獄だった。長い道のりだった。しかし、今、親子は、再生しようとしている。
麻里子さんが追い求めた、幸せな理想の家庭とは、誰かが与えてくれるものではない。そして、自分以外の世間という「あいまいなもの」に認められることではなくて、自分たちの手でちゃんと作り上げていくもの。それを麻里子さんは、この辛い経験を通じて理解したのだった。
【文/菅野久美子(ノンフィクション・ライター)】
<プロフィール>
菅野久美子(かんの・くみこ)
1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の生々しい現場にスポットを当てた、『中年の孤独死が止まらない!』などの記事を『週刊SPA!』『週刊実話ザ・タブー』等、多数の媒体で執筆中。