非を認めない市長を追い込んだのは4人の女性職員だった。まさに職を賭し5月22日、実名でセクハラを告発した。
民進党の太田久美子市議は、
「仕事を辞める覚悟がないと、市長には逆らえない。セクハラを訴えたり何かしようものなら、本当に飛ばされてしまうんです。市長は権力を私物化しているように思います」
東京都狛江市の“セクハラ市長”高橋都彦市長は4人の訴えに覚悟を決め、翌23日の会見で辞職を表明した。
ただし、セクハラに関しては「認識に開きがある。心当たりはない」「自分のやったことはセクハラのレベルとは考えていない」「受け手がセクハラと受け止めればそうなる」「性的関心を持ち女性職員と接したことはない」などと語り、言外に不満たらたら。
高橋市長は2012年に初当選し、現在は2期目だった。
セクハラ市長の汚い手口
「昨年の秋くらいから、市長がセクハラをしているという話を聞くようになりました」
と市職員OBにもうわさが広まっていたが、市長の暴走は1期目から始まっていた。
被害者の1人に話を聞いた。
「1期目のときです。立食形式でお酒のある会合でした。ほかにも人がいたのですが、突然お尻を触られました。“きゃぁ、市長!”って声を上げるとスーッといなくなりました。市長がそんなことをするなんてショックでした」
と市関係者のA子さん。
「翌日、市の職員に相談しました。すると“お尻くらいで”と言われ、私も過剰反応かなと思って責任は追及しませんでした」(前出・A子さん)
彼女は今回告発した職員の1人ではない。前出・市職員OBによると、市長のセクハラ被害者は市役所内に10人以上はいるとみられている。
お尻や腰を触られた、抱きつかれそうになったという被害は多々あり、場所も市長室、エレベーター内、公用車の中など、どこでも見境なし。懇親会の後に職員に携帯電話の番号を聞いたりすることも。教えたLINEでいやらしいことを言われた職員の話も流れていたという。
「被害女性は“嫌だ”と思っていても、“仕事を辞めるわけにはいかないから黙っていなきゃ”と、家族にも言えずに自らの内に秘めているという方がほとんどだったそうです」(前出・市職員OB)
女性職員の中には1人で市長室に行くことをためらう人もいたという。
そして市長のセクハラは市役所の中にとどまらなかった。
「PTA関係者の間でも、市長には気をつけてという話を聞きました。市長がPTA役員の女性を車に連れ込んでどこかに行くのを目撃したお母さんもいました」(市民団体のスタッフ)
市議の妻も被害者の1人という情報もあり、「市議会会派の幹部が、市長就任1年目のときから、20回以上にわたり口頭で注意をしていたそうです。それでも市長は変わらなかったそうです」と、前出のスタッフ。
ここまでくると、単なるエロオヤジだ。しかも、かなりの筋金入り。とても理性のある人間の行動とは思えない。
セクハラに加えて、太田市議が述べた理不尽な人事や、市長室に職員を呼びつけて大声で怒鳴るなどのパワハラも市庁舎で目撃されていた。
セクハラの記録、狛江市の恥
市役所の外にまで漏れ伝わっていた市長のセクハラ、パワハラ。市役所内のセクハラ行為を聞きつけた議員が今春、市に対し情報公開請求をしたことで事態は発覚した。
「黒塗りの文章が出てきました。セクハラの記録があり、1人の行為者から、複数の女性がセクハラを受けていると書かれていました」
と、日本共産党の西村敦子市議。今年3月1日、議会の一般質問で取り上げた。
黒塗りの文章には「車内で手を握られた」「エレベーター内でお尻を触られた」「肩や胸も触られて困っている」などの記述が……。行為者の名は黒く塗られていたが、文字数はきっちり2文字。文章が書かれた当時、2文字で個人まで特定できる役職は「市長」しかなかった。
議会で問題になり、メディアも報じると“セクハラ市長”は狛江市の恥として拡散。「高橋市長のセクハラ問題幕引き許さず、真相解明・再発防止へ」実行委員会のもとにも、
「こんな前時代的なことを市長がしていたことが恥ずかしい。セクハラを狛江市からなくしてほしい、という声も多く聞きました」(実行委員長の周東三和子さん)。74歳の女性は「毎日のように新聞に(セクハラ問題が)出て、みっともない」。42歳の消防団員は「とんでもないことだ」。
そんな意見の一方で、「市長は誰とでも仲よくしようとしていましたので、サービス精神が旺盛になりすぎてしまったのでは」(81歳男性)、「大げさな感じがします。受け取り方の問題じゃないかな」(70代男性)といった声があるのも事実。セクハラという新しい概念を心底、理解できない市長のようなタイプがいなくなるには時間がかかる。
当の市長に「自分の娘さんやご家族が上司からセクハラを受けたら憤りを覚えませんか」と質問を投げかけてみた。答えは「実体験はなく仮定の質問にはお答えできません」。
仮定を想像できない人間は相手の痛みを想像できない。新しい考え方が理解できない人は退場するしかない。