母・弟宅マンションの玄関前には、住人によって黄色や白の菊が手向けられていた

「お兄さんはとてもいい人でね。世の中にこんないい人がいるのか、というくらいお母さん思いで、弟さん思いのとてもやさしい、温厚な人。弟さんを殺すなんて今も信じられなくて……」

 と同じマンションに住む主婦は声を震わせた。

「突発的にやってしまった」

 別の住人男性も、「認知症を患ったお母さんの介護をされていました。介護する側はついキツイ言葉遣いになったり、怒ったりしがちといいますが、お兄さんが怒っている姿は1度も見たことがない。ホントに素晴らしい方です」と話す。

 そんな、やさしいお兄ちゃんの犯行だった。

 5月23日午前6時半ごろ、静岡市駿河区八幡のマンションから静岡県警静岡南署に110番通報があった。通報したのは、同マンションから約400メートルのアパートに住む無職の川合智宏容疑者(62)本人だった。

「弟が冷たくなっている。(自分が)殺害した」

 署員が駆けつけると、容疑者の弟で、このマンションに住む無職の川合雅和さん(60)が、寝室の布団の上であおむけになっていて、すぐに死亡が確認された。

 事情を聴いていた静岡南署は同日午後5時5分、智宏容疑者を殺人の疑いで逮捕。翌24日の司法解剖の結果、雅和さんの死因はタオルのようなもので頸部を圧迫されたことによる窒息死で、死亡推定時刻は22日夜と判明した。

 肝心の動機については、「突発的にやってしまった」と供述している程度で詳細は明らかにされていないが、大手新聞の社会部記者は、

「殺害された雅和さんはアルコール依存症で、精神状態も不安定だった。しばしば母親を怒ったり、暴力をふるったりして、容疑者に叱責されることがあったようだ。犯行当夜も弟が母親に食ってかかろうとしたため、母親を守ろうとして突発的に犯行におよんだとみられる」

 と事情を語る。

 雅和さんは84歳の母親と同居していた。

「雅和さんは下半身に障害があり、約3年前から車イスの生活でした。母親も同じころ認知症になり、近くに住む智宏さんが2人の介護をなさっていたんです」(前出の主婦)

母・弟宅のマンション

 もう少し事件の背景を遡る。母親がこのマンションに住み始めたのは約30年前のこと。

「お母さまは会計事務所で働き、ご主人は刑事でした。2人の息子さんはそれぞれ家庭を築いていたので、ご夫婦で定年を迎えたころ転居されてきました」と前出の住人男性。

 間取りは3DK。部屋は狭かったが、物持ちのいい高齢夫婦にはちょうどいい広さだった。しかし、15年前に夫が他界し、母親ひとりの生活が始まった。母親はマンションの自主管理組合で初の女性理事長を務めるなど精力的で、息子の世話にはならなかった。

華やかな経歴が邪魔に

 ところが約6年前、次男・雅和さんが東京から戻ってくることに─。

「雅和さんは秀才で、お母さんの自慢の息子でした。県内随一の進学校といわれる静岡高校から京都大学に進み、卒業後は大手家電メーカーに就職して、役員まで務めたそうです」(前出の住人男性)

 しかし、その家電メーカーで6~7年前、大リストラが敢行された。雅和さんがクビを切られたのではない。切ったほうだった。

「人事部長でしたからね。仲間のクビを切った責任をとって、自らも会社を辞めたんです。精神的に相当参ったようで2男をもうけた奥さまとも離婚し、このマンションでお母さんと2人で生活するようになりました」(前出の主婦)

 雅和さんはUターン後、地元の電機関係企業2、3社に職を求めたが、いずれも長くは続かなかった。プライドが高く、雇用する側からすれば華やかな経歴も邪魔でしかなかったようだ。

「そのころから部屋にひきこもり、アルコール依存症になった。お母さんは、しょっちゅう酒を買いに行かされていて“次男のことで悩んでいる。もう死にたいぐらい”とこぼしておられた。お母さんに認知症の症状が出てきたのは、そのあと」(前出の男性住人)

 とうとう3年前、雅和さんは救急車で運ばれてしまう。高校の同級生が打ち明ける。

「彼の顔はアルコール依存症でパンパンに腫れあがって、黄疸が出ていたと聞きました。泥酔してどこかに激しくぶつけたのか、脊髄を損傷して歩けなくなり、部屋には排便の跡もあったらしい」

 同居する母親は認知症が進んでおり、息子の異変に対処できなかったようだ。長男・智宏容疑者は故郷に戻った。

母と弟の介護をひとりで

智宏容疑者が住むアパートの部屋は洗濯物が干しっぱなしで突発的犯行をうかがわせる

「智宏さんは東京で大手スーパーの店長を務めていました。30代の娘さんがいますが、奥さまとは離婚されたらしく単身でした。マンションの部屋は3人で生活するには狭すぎるため、近くにアパートを借りたんです」(前出の主婦)

 1Kで家賃は5万円。若い単身者向きのアパートだった。

「毎朝、自転車でマンションに来て、夜遅くアパートに寝に帰る生活でした。なにしろお母さんと弟さん2人の介護だから、朝昼晩3食作って、その間に洗濯、炊事、買い物ですからね。

 お母さんは徘徊癖があったので付き添って散歩したり、弟さんの車イスを押して外へ連れ出したり、それはもう献身的な姿で、頭が下がる思いでした」(同)

 近所のドラッグストアの店員は、容疑者が弟用の紙オムツを大量購入していく姿をよく見かけた。近くのタクシー会社のスタッフは、父親の月命日に母親を墓参りに連れていくため、会社まで訪ねてきた姿をよく覚えている。限られた生活費から迎車料金を節約している様子だった。

 容疑者の唯一の楽しみは、行きつけの飲食店で月1回程度たしなむ晩酌だった。母親と弟に食事をさせて寝かしつけた後、「オレの食うもんがなくなっちゃったからマスターお願いね」と笑って腰かけ、生ビールをグイッとやる。つまみは決まって、鶏の手羽先とあさりバターの酒蒸し。たまにウイスキーの水割りも。

智宏容疑者が行きつけの飲食店でよく頼んだメニュー。左手前から時計回りに、あさりバターの酒蒸し、ウイスキーの水割り、生ビール、鶏の手羽先

「疲れた様子は微塵も見せず、陽気な方でね。“いま弟は医者に酒を止められているから飲めないけど、解禁されたら連れてくるからよろしくね”って言って。最近は、好きだったタバコもやめたと言っていました」(飲食店の店主)

 お勘定は千数百円。翌朝が早いので長居はしなかった。

 駿河湾に臨む高台に川合家の菩提寺がある。雅和さんの葬儀は26日、同寺でしめやかに行われた。参列者によると、喪主は東京に住む雅和さんの長男が務め、次男と前妻、高校の同級生や大手家電メーカーの元同僚ら約20人がその死を悼んだ。そこに母親の姿はなく、現在は高齢者施設で暮らしているとみられる。

 マンションの住人が言う。

「ひとりぼっちになってしまったお母さんに会いに行ってあげたい。生きているあいだに智宏さんが刑期を終えて出所できるかわからないが、住民で裁判所に嘆願書を提出し、少しでも罪が軽くなるようにできたらと思っています」


やまさき・のぶあき 1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物などさまざまな分野で執筆している